ACT.1
普段通りに目を覚まして、普段通りにつまらない学校へ行き、普段通りに帰ってくる。
拓夜はそんな日々に埋もれる、ただの高校生だ。
充実していないわけではないが、満足しているわけでもない。
今日もいつも通りに帰る、そのはずだった。
「ヤッベっ!?」
その日の帰宅途中。
誰と一緒というわけでもない拓夜がダラダラと歩いていると、突然雨が降り出した。
走りだすも、雨が家に着くのを待ってくれるわけも無い。
天候はすぐに大雨と化し、拓夜の体を雨が叩く。
……こんなことなら天気予報を素直に信じて傘でも持ってくりゃよかったよ畜生ッ!
帰宅を断念し、記憶にある場所へと駆け出す。
自宅まではまだ数百メートル残っているが、近場であるこの地域は拓夜にとって庭同然だ。雨宿りが出来そうな場所も把握してある。
細い裏道を通り、目的の場所である数年前から使われていない廃倉庫に駆け込んだ拓夜は、大きくため息をついた。
「うへ、びしょ濡れかよ……ホント、今日は不運だなオイ」
捨てられたも同然に取り残されている金属製のテーブルの上の埃を払い、そこにバッグを置く。
そしてセットになっているボロボロのイスに腰掛けた。
さらに、そのままバッグに頭を乗せて突っ伏す。
まだ雨は止まないだろうが、所詮は夕立だ。そのうち弱くなったときに帰ろう。
そう決めた拓夜は、久しぶりに訪れた廃倉庫を見渡してみる。
昔はよくいろんな面子で集まって遊んでたっけか? と過去を思い出していると、不意に視線が奥にある扉に固定された。
その扉のことを思い出す。
あれは、倉庫の奥にある小部屋に続く扉だったはずだ。
確か奥はそんなに広くない小部屋で、遊ぶにも不便だったからほとんど立ち入ったことは無かった。
だが今は、なぜかどうして、あの先が気になる。
理由は自分にもよくわからなかったが、雨が止むまで時間があることに変わりは無いので、拓夜は腰を上げた。
手ぶらでその扉に近づき、手を掛ける。
錆びて固くなった蝶番を力技で動かし、拓夜は扉をこじ開けた。
その先は記憶通りの、広くない小部屋。だが違和感を感じる。
光源は自分が背にしている開いた扉から差し込む光だけで、視界が良くないのは確か。
拓夜は何かに誘われるように、さらに一歩踏み出した。
砂の浮いたセメントの上を進む度に、ジャリッという砂の音だけが響く。
それからさらに数歩歩き進むと、つま先が何かを蹴った。
「ん?」
光源は一箇所。さらに雨雲で弱弱しい光では、全く見えない。拓夜がそっと手を伸ばしてみると、小さなテープルだった。
錆びきった空き缶がテーブルの上に転がっている。
ここを使ってた人たちの休憩室か何かだったのか? と思いつつ、何か無いかと探す。
――空き缶をどかす手が、なにか別のものに触れた。
触ってみた感じ、ツルツルしていて丸い。そして冷たい。
それを片手で持ち上げてみた途端、拓夜がこの部屋に意識を固定されたときの巻き戻しのように、この部屋に居る興味を失った。
拓夜は首を傾げつつも、とりあえず見つけたものをしっかり見てみようとその丸い物体を持って扉から外に出る。
バッグの置いてあるテーブルに戻り、持ち出してきたものを見てみると、それは真っ黒に輝く球体。
大きさは直径が10センチ程度。水晶玉のように光を反射している。
「なんだ、これ?」
持ち上げたり、下から覗き込むように見てみたりするも、特異な点は見当たらない。
真ん丸で、透き通った黒色。ただそれだけの球体に見える。
首をかしげること数分。思い出して倉庫の外に目を向けてみると、雨はずいぶん弱くなっていた。
――いつまでも、埃っぽい場所には居たくはないな。
拾った珠をバッグに放り込み、倉庫の外に、細い裏道を出て通りに戻る。
まだ雨が完全には止んでいないからか、傘を差す人影が多い。
拓夜はそんな中を、駆け足で走り抜けて行った。
◆
……そろそろ、いいかな?
良さそうな宿主さんだし。
わざわざ手を掛けた甲斐はあったみたい。
だから――
――お願い。簡単に壊れないでね?
◆
後は寝るだけ。
ベッドに腰掛けた拓夜が、両手の平の上であの黒い珠を弄ぶ。
どういうことかつい持ってきてしまったが、あの場所に戻すのも勿体無いなく感じてしまう。
この珠、よくよく見てみると透き通っていて、中でなにか煌いている。
試しに部屋の明かりを消してジックリ見つめてみると、その煌きは確かにあった。
"それ"が何なのか、どういう仕組みなのか、は理解できなかったが。
人工的に作られたオブジェかもしれないし、天然に生まれた面白い物質かもしれない。
……深海の生物には光を放つ生物が居るって聞いたことあるし、別に無機質な物が発光してもおかしくは無いだろ。
悩んでも正しい答えが見つかりそうに無かった拓夜はそう結論付けて、『珠がなんなのか』という思考を頭の中から削除した。
あって困るものでもない。机の上か部屋のどこかにおいておけばインテリアとしても成り立ちそうな物でもある。
真っ暗な部屋の中で、拓夜はもう一度珠を覗き込む。
中心部分で、明滅する淡い光。
色は珠に影響されてか、暗い紫色をしている。
パチパチと弾けるように明滅し、その度に珠自体が淡く光った。
不意に光る中央から珠の外縁部に向けて、雷のようにジグザグな一筋の光が通る。
変化した? と訝しげに見つめる拓夜の瞳が、それをもう一度観測する。
その後も、不規則に何度か光が走り――
――光量が爆発的に増大した。
先ほどまで近づけていた顔を僅かに照らすだけだった光が、部屋を照らすほどに増大する。
「ッ、おぉぉぁぁぁっ!?」
超至近距離で覗き込んでいた拓夜は光の影響をモロに受け、珠を手放して目を押さえた。
例えるのなら、朝起きてすぐカーテンを開いたことで入ってきた日光か。これまで暗いことに慣れていた分、光は目に突き刺さる。
それは今まで暗い部屋で珠を見ていた拓夜にも当てはまった。当分視力は回復しないだろう。
拓夜は瞼を閉じてなお、強い光に晒されているような気がした。
だが、それではない目下の大問題は直後に控えている。
ベッドに座り、顔の前で保持していたものをそのまま真下に落とした拓夜。
軽いとはいえない硬質の珠が落下していき……。
「――ハァウァっ!?」
拓夜の股間を直撃する。
その瞬間、女性には一生理解されないであろう激痛が総身を一瞬にして駆け巡った。
目への光学的ダメージに加え、急所への物理的ダメージという連鎖を受けた拓夜がベッドの上で転げまわる。
……以後数分間、彼はベッドに蹲ることしかできなかった。
何とか両方のダメージから回復した拓夜は恨みがましい目を向けつつ、ベッドの下に落ちた珠に手を伸ばす。
拾い上げてみると、光はだいぶ弱まっていた。
その代わり、さっきまでのような明滅は無い。常に珠が光を放っている。
「……ホントなんなんだ? コイツは」
暗い紫色の光は、少しづつとはいえ光量を増しているように見える。
何が起きるのか気になる好奇心と、さっきのようなことが起こるんじゃないかという恐怖心にも似た気持ちが、拓夜の中でせめぎあう。
そしてどうやら、好奇心のほうが勝ったらしい。
手放すこともなく、煌きを増す珠を見つめ続ける。
珠をじっと見つめて――拓夜は不思議な感覚を味わっていた。
自分が何かに飲み込まれているような……かといってそれは不快感にはならない。
喩えるとすれば、海の上に何もせず浮いている常態か。
絶妙なバランスで体勢を維持し、それとは反するように自然体で浮かぶ。
いつしか、拓夜を飲み込んでいたナニカは、逆に拓夜の内にあった。
今度は拓夜がその全てを飲み込んでしまったような感覚。
その感覚に、拓夜は満足感と全能感のようなものを同時に味わい……直後、その意識をブラックアウトさせた。
◆
「ん……ぅ?」
眩しい朝日の差し込む自室で、拓夜は目を覚ます。
……なんか、違和感がする。
そう感じながらも、後ろ髪が引かれる思いで上体を起こした。
「あ、れ?」
拓夜がその時点で気付いたことは、自分がなぜかベッドに対して横向きで寝ていたということだ。
足の膝から先はベッドに乗らず、床に着いている。
何か忘れているような気がするが思い出せない。
それを思い出そうとして記憶を辿ってみると、さらに不可解なことに辿り着いた。
"昨日、学校を出てから寝るまでの記憶が無い"。
確かに学校を出た。そこまでは憶えている。
いつも通りに友人と校門から出て、帰り道の途中で別れて1人になって……その先を思い出せない。
気がついたら今の体勢で寝ていたとしか、拓夜には言えなかった。
とはいえ寝巻き代わりにしているスウェットを着ているのだから、風呂には入ったはず。少なくとも制服からこれに着替えたはずだ。
だが、今の拓夜にはそんな記憶すら"無かった"。
拓夜はベッドに腰掛けた体勢のまま顎に手をやって考えるが、思い出せることは無い。
必死になって記憶を自分の記憶を走査したのも無駄になった。
――おいおい、まだボケるつもりはサラサラ無いぞ?
若干気落ちしながら必死に記憶を辿っていると、不意に傍らにあった携帯が鳴った。有名なバンドの音楽が拓夜の耳に入った。
同時にバイヴレーションで振動する携帯を手に取り、二つ折りの携帯を開く。
「侑士……?」
拓夜は画面に表示された十分に親しいといえる友人の名前を確認して、通話ボタンを押した。
「もしもし? どうした?」
『どうした、じゃねーよ。俺いまいつもの場所に居るんだけどさ、まだ来ないのか? そろそろ遅刻するぜ?』
「へ?」
間の抜けた声を出して、とっさに壁掛けの時計を見る。
示す時間は――8時30分。朝のSHRが始まるのが8時45分。
そして拓夜の自宅から学校まで、普通に歩いて大体20分。この時点で5分オーバーだ。
まだ着替えてないことを鑑みても、まだ時間は掛かる。
俺先行ってるから。という声を最後に、スピーカーからは無機質な音が聞こえてきた。嫌な汗が背筋を伝う。
思い切り「薄情者ッ!!」と叫びたかったが、今はその時間すら惜しかった。
携帯を開いたままベッドに落として立ち上がる。
壁に掛けてあった制服を手に取り、スウェットを脱ぎ捨てて着替えを1分で終わらせ、スクールバッグに必要なものを放り込む。
仕送りがあるとはいえ、拓夜はあまり無駄遣いの出来ない一人暮らし。学校の購買で昼食を買うのはあまり取りたくない手だが、こういう場合には致し方ない。
遅刻するよりはマシだと思うことにして、拓夜は家から飛び出す。
――焦る彼の頭の中から、寝起きに感じた違和感と記憶の相違は消し飛んでいた。