08 お別れ
クラークの周囲に張り詰めた空気が漂う。固唾を呑んで見守るあまたの目。中心にいるクラークは、愛用のハルバードを握っていた。
槍が前方にくるように持って踏み込んで突く動作から、引きざま半回転させて柄を突き出す。柄で突いて斧で切り倒す動作、両手の親指が中にあるように持った柄を見えない敵に押し付けるような動作など、はじめは型をなぞるようにゆっくりとした動作が、次第に速く複雑なものに変化していく。
いかつい顔が更に厳しく、見えない敵を見据えているようだ。
大きな体にも似合わずに俊敏に動き、振り下ろす時などは体重と速度を生かした、あれを受けたら衝撃と痺れは必須だろうと思わせる迫力を持っている。風を切る音が間段なく響いていた。
普段でもクラークが武器を取ると余計なおしゃべりはなりをひそめ熱い視線が注がれるが、今日はいつにも増して真剣に見入っている。
お気楽な三人も同様で、食い入るようにクラークの一挙手一投足を見つめていた。
「実戦では甲冑を引っ掛けて倒せ」
言いながら同じようにハルバードを持たせた相手と見本を見せる。
手首の返し方や、倒れたところをすかさず踏みつける早さ、甲冑の隙間に当たる脇の下に槍の先を押し付けて止めをさすところまで――魅せた。
とん、と石突を地面についてクラークは一同を見回す。
「お前達の半数はここに残る。しっかり頼むぞ」
「はい」
気合をみなぎらせた返事に頷くクラークは、ふと表情を緩める。
共に戦って生き残り、今はかつての敵国の城にいる。守り続けるのは攻めるよりもある意味難しい。長い緊張を強いられ、反対に取り込まれれば堕落する。
全員ハーストに戻りたいのは承知しているが、それでも残していかなければならない。人選にも気を使った。
「いいか、お前らは私が見込んでここに残す。ここでハーストの誇りと自負を保ち続けられるように、精進しろ」
その目は言い換えれば、やわな精神なら必要ないと語りかけている。
「また、私とハーストに戻る者達も心せよ。国王陛下がいらっしゃる。それからカデルの王族も一緒だ。間違いがおこってはならん」
かつての敵国を、王族を伴って抜けていくのだ。
残党勢力が襲えば、たちまちに和平は覆される。高貴な人々を守りつつ移動するのだから、道中の緊張は並のものではない。しかも女性や子供が加わるので、軍の移動のような強行軍というわけにもいかない。
クラークとしても頭の痛いところだが、残していく者へは厳しく優しい気遣いを見せる。
「私もこの年だ。お前達がハーストに戻る頃には新しい団長と交代しているかもしれない。その新しい団長が感心するくらいに、カデルでも鍛錬を怠らずに精進しろよ。期待しているぞ」
「団長っ」
野太い声が感極まったようにあがり、中には涙ぐむ姿さえ見られる。団長は泣くな、と笑いながら鍛錬を終えた。
送別会を兼ねた昼食会が終わり、夜ともなればいよいよ明日が出立の日だ。
「情報のやり取りはしような」
「勿論だ」
「親父様は元に戻ったみたいだけど、なあ……」
片隅でヒュー、ルイス、イアンも別れを惜しみつつ歓談をしていた。ヒューはハーストに戻るが、ルイスとイアンはカデル残留なのだ。
ルイスとイアンはクラークの口止めに従って、ヒューにも見たことは話していない。ただその目で見ていても、熊親父は元の強面になって、思い悩む様子も揺れ動く様子もなくなっている。あの夜更けのことが夢だったかと思うくらいだ。
「国王陛下がいらっしゃる直前だったから、気が立ってたんじゃないか?」
「そう……か」
いまひとつすっきりしないようなヒューを前に、ルイスとイアンは空とぼけている。
「まあ、しばらくは会えないんだ。今夜は飲もうぜ」
「俺がいない間に可愛い子とくっついたりするんだろう、お前ら」
「いやいやいや。お前が交代でカデルに来る時のために、完璧な王都花街概略を作っておくさ」
「うう、『牝鹿亭』のリリアちゃんに会えなくなるのか」
「安心しろ、変な虫がつかないように見張っておいてやる」
したり顔なイアンをヒューがしめあげた。
「そう言いながら、お前がリリアちゃんの所に通うつもりだろうが」
「先走るな。花街で情報を取るだけだ。お前の後釜なんて狙っちゃいない」
「そうそう、先走るのはあっちだけで充分だろうが」
なだめるルイスを、ヒューがにらみつけた。
「さすがにカデルの王都だけあって、女の子の質はすっごく良かったんだぞ。俺は後ろ髪を引かれているんだ」
「まあまあ、ハーストの王都にだっていい子はたくさんいるじゃないか」
「王都にならな。親父様が領地に戻れば、戻れば……」
そこで会話が途切れる。クラークの領地はすなわち、三人の故郷でもある。
残してきた家族がそこにいる。ヒューは気まずそうに目を逸らした。
「すまん、考えなしだった」
「いいさ。俺達はこうして生き残っているんだし、伝言で無事も伝えてあるからな」
「カデルの土産話がたくさんできるってもんだ」
ふと周りを見ればそこここで、別れを惜しむ者、故郷の家族に伝言を頼む者などがいる。思いは同じようだ。
イアンとルイスも束の間郷愁にかられるが、振り切るようににかっと笑った。ルイスがヒューの首に腕を回す。そのまま耳元で内緒ごとをした。
「俺達がいない間、親父様を頼むぞ。あの人はあんなさまだが」
「お前に言われなくてももとからそのつもりだ。今朝の鍛錬なんて残していくお前達にって、力が入っていたものな」
女性にはからきしだが部下には慕われる熊親父のことを、それぞれに口に出さずとも心配し慕っている。慕うのが野郎ばかりなのは、お約束かもしれない。
ルイスは花束を無造作に押し付けてきたあの日の熊親父を思い出した。熊親父の優しさとか気配りは、本人を目の前にすると価値が三割は確実に減少してしまう。代わりに疑念と畏怖が倍増になる、本当に残念な人なのだ。
面倒見のよい、頼りになるいい人なのに。おっさん……親父だが。
ヒューの首根っこに腕を回したままぼんやりしていたルイスは、ヒューの暢気な一言で現実に戻る。
「でも、ハーストの王都には親父様のいい人がいただろ。親父様も戻るのが楽しみなんじゃないか?」
「ちょっと待て。王都のって……」
「そうだ。奇跡だろ。親父様『に』夢中なんだから」
ルイスは噂を思い出す。ハーストの王都もカデルに劣らない隆盛を誇っている。その中の、名高い……。
「おい、あの話は本当なのか?」
「本当もなにも、『黄金の女神亭』の主人が渋い顔になってたじゃないか」
忘れたのか? と真顔で尋ねられても今の今まで忘れていたルイスは、イアンを顔を見合わせる。
このたびの戦の英雄、敵の首を取った熊親父がハーストに戻ればそれは凱旋だ。当然、王都はお祭り騒ぎになる。かきいれどきとばかりに、あの辺りも活気付くだろう。最も有名で格式の高い『黄金の女神亭』も例外ではないはずだ。
そこには……。
「でも、な。親父様は浮かれるわけにもいかないだろう。なにしろ、陛下とカデルの王族を伴う旅だ」
「そうだな。戻ってからもしばらくは城詰めだろうしな。だけど、親父様にだって非番や自由になる時間はあるだろう」
城から『黄金の女神亭』は、さほどに遠くない。
ヒューの言うことはいちいちもっともだ。ごもっともなのだが、ルイスとイアンには素直に同意できない事情がある。
ただ口にすることはできない。口封じもされていることだし、なにより約束を違えたと熊親父が知った日には、戦で落とさなかった命を散らしてしまう恐れすら零ではない。
やり取りを漏れ聞いたバートは心の中で苦笑を漏らす。バートには親父殿の行動が予測できる。きっとあの界隈には出かけないに違いない。代わりに番犬のように離宮に張り付くはずだ。
親父殿が警備をするはずの離宮は、既に警備体制の刷新強化を図っているのも予想される。親父殿のおめがねにかなうような体制にしておかなければ、誰かが必ず泣かされる。または恐怖のあまり恥ずかしいことになる。
思考に耽るバートに気付くことなく、イアンがためらいがちにヒューとルイスの話に加わった。
「親父様は当分は城から出られないだろう。今回の褒賞のこともあるだろうから」
「褒賞か……」
カデルからの賠償金とおそらくは土地が、ハースト側に転がり込むはずだ。配分をめぐって水面下での攻防は始まっている。最大の功労者の熊親父がどう出るか、で他の者の対処が変わってくる。
良くも悪くもこっそりと注目されている熊親父は、面と向かって尋ねたりする人間が少ないためにかえって憶測を呼んでしまう。
ルイスとイアンだって、親父様の花束の意味は承知しているつもりだが本人には毛筋ほども匂わせることはできない。可能なのは、さっきからなにやら考える人になっているのが視界に入ってきた副官のバートぐらいだろう。そのバートにしても、僭越だと思えば聞きはしない。
「とにかく、ハーストの親父様のことをできるだけ詳しく教えてくれよな」
「なんだ、お前ら。いくら親父様を慕っているからって、まるで恋……」
続けられなかったのは、ヒューの首に回されていたままの腕に、ルイスがぐぐぐっと力をこめたからだ。
「気色悪いことを言うな。俺達は一緒に花街に通った仲だろう?」
「お、おう。それはそうだが」
「なら、そっちの気は全然、丸きりないのも知っているだろう?」
「まあ、な」
じわじわと首にかかる圧力が増して、ヒューは冷や汗を感じる。
イアンはそれくらいにしておけと態度で示していて、ルイスもようやく拘束をといた。
「俺達はな、ヒュー。いない間に親父様が団長を辞めたりするのが心配なんだ。だから、親父様の動向を教えて欲しい、それだけだ」
「そうか、お前らは部下の鑑だな」
感激するヒューを一応納得させて、ルイスとイアンはヒューともども花街の『牝鹿亭』に繰り出し陽気に過ごした。
翌朝、少々酒は残ってはいるものの、きりりとした姿勢で一行を見送った。
今後は自分達の関与できないハーストでの未来を心配しながら。
クラークが警備をする一行は馬車を連ね、前後をハーストの軍に守られてカデルとハーストの国境を目指す。
途中の宿はカデルの貴族の館に立ち寄っては食料などの提供を受け、実際は接収を行いながらの旅だ。さすがにカデルの王族に向けられる民の目には単純な尊敬や熱狂だけでなく、困惑と同情が浮かんでいる。小さな子供が連れて行かれるのだから、複雑さはなおさらだ。
それでも民のことを考えずに戦を仕掛けた王族に対しての、怒りや軽蔑といった感情もごくわずかではあるが見受けられ、クラークは騒動にならないようにと神経をすり減らした。
道筋の貴族の領地の一つに亡き宰相の侯爵領があり、そこで数日間滞在することになった。エリザベスの生まれ育った館に、馬車が到着する。
ハースト国王は宰相の部屋に、王子と母親は宰相の妻の部屋に、他の側室も客間にと通される。
「わたくしは、娘時代につかっていた部屋に」
エリザベスは自室に入った。生まれてから暮らし、行儀見習いの目的で一時的に修道院に入るまでの間過ごした部屋は、驚くほど変わっていない。懐かしさでいっぱいになりながらエリザベスは全てを記憶に残しておこうとするかのように、あちこちを見てまわる。
館で使っている者達に指示を出し、時ならぬ賓客のもてなしを監督もした。
クラークは家令に見覚えがあった。宰相の棺を城の裏門で受け取った男だ。家令もクラークに対して丁重な礼をして、さすがに侯爵家と思わせる応対をする。クラーク自身は国王の部屋の近くで、気を配りながらの滞在だ。
館の構造や出入り口の確認目的で歩き回ると、宰相の雰囲気に似つかわしい落ち着いた内部と感心する。目を引く派手さはないが、上質で心安らぐような色調なのだ。
館の外も見てみようと、クラークは厩舎へと赴く。馬丁に加えて従騎士や騎士見習いが馬の手入れに余念がなかった。
「あ、親父様」
声をかけるのにこたえながら、愛馬のところにいく。体重のあるクラークを乗せても動きの鈍ることはない、優秀な馬は毛を梳かれ気持ちよさそうだ。侯爵家の馬丁もクラークの馬には興味があるようで、しげしげと眺めている。
「うちの馬のお相手になってくれたら、とびきり優秀な子馬が生まれそうなんですがねえ」
「これは気難しくてな、なかなか相性のよい相手がいないのだ」
「いやいやいや。うちのは美人ぞろいですよ、なかでもお嬢様のはとびっきりだ」
「お嬢様?」
クラークは不審に思って問い返す。確か王妃……エリザベスは一人きりの子供ではなかっただろうか。馬丁は慌てて言い直した。
「つい癖で。王妃様のことです。愛馬がここにいるんですよ」
「どの馬だ?」
興味をそそられて案内してもらうと、ハースト側に明け渡した厩舎に負けないほどに手入れの行き届いたところに、一頭の鹿毛がいた。
「雌馬か?」
「ええ、繁殖に適した年ですよ。どうです? 考えてみてはもらえないでしょうか」
「この馬はなぜここに? 王妃様の愛馬なら王都に連れて行くのが自然ではないか?」
馬丁は帽子を握り締めた。明らかに弱ったなといった格好だ。
それでもクラークの迫力と無言の圧力に押されたのか、馬のことだからか話をしてくれた。
「王妃様について王都には行ったんです。ただなじめなかったというか、国王陛下が王妃様が乗馬をなさるのをあまり好まれなかったせいで、こっちの方がこいつにもいいだろうと戻されたんです」
馬丁は鹿毛の首筋を撫でてやりながら、宰相も馬が好きだったこと、ここにいた時分は家族で遠乗りをしたりしていたことなどを懐かしそうに語った。
クラークの目から見ても優美で魅力的な馬だ。血統も良いらしい。
このまま、主の戻らない厩舎においているのが惜しいように思えた。
「この馬の名は?」
「デボラといいます」
どのみちこの馬の処遇はエリザベスに聞かなければ。
口実ができたことで、クラークはエリザベスの部屋の扉を叩く勇気を手に入れた。