07 幕引き
王妃を別室に残し、ハーストの三人はカデルの国王執務室にこもる。
「さて、報告を聞こうか」
まぎれもない為政者の顔で国王は控える二人を見つめる。す、と先に動くのはドーズ伯アラステア・チェンバーズ・サイラス。
「カデルの農業、鉱工業の総生産額、従来の税率、総資産など含め獲得できると予想する賠償金の額です。戦が終わったことでの復興にかかる費用の内訳、従来の職に戻れる男性が増えますのでいずれ生産力は元の水準に達するでしょう」
「今後の方針は?」
「ここを規模を縮小して、ハーストのカデル支配の本拠地といたします。ハーストの王族の方においでいただきたく」
「ふむ……。将来、カデルの王子にめあわすことを考えれば、娘のいる者がよいか。余計な野心を抱かぬように男子のみの者にするか。カデルの令嬢ととなると厄介ごとを抱え込むか」
頬杖をつきながら、あれこれ算段しているハースト国王は、少しの間目と口を閉じた。
この時間は誰も邪魔をできない。可能性を探り、検討し、吟味して現状と未来にとっての最善を選択する。
いつも、とクラークは思う。この国王陛下が熟慮している時間ほど恐ろしいものはない。選んだ道で多くの人が、物が、事態が動く。どれほどの重圧だろう。おそらく戦場で自分が命令を下す際と本質は同じであっても、規模が異なる。
重圧に晒され続け、困難さを感じさせないだけでもたいした事だと思う。
意見を取り入れはするが、おもねったりしない。最後の決断は自分で下して結果生じる責任も負う。仕え甲斐の主にめぐり合えた己の幸運を、今更ながらに噛み締める。同時に有能な友人であり同僚に恵まれたことも。
「さて、クラーク。お前の目から見てカデルの武力的な位置づけは?」
「能力としては悪くない、有能な指揮官の不在につきたように思えます。ただ貴族付きの騎士と、国王軍の連携があまり取れておらず方針の周知徹底に時間をとり、それが勝敗の差に繋がったかと。
貴族の再編で近衛および各貴族付きの騎士や従者など一定の者が武装解除を行うと思いますので、ハーストからの軍勢をどれほど残すかで略奪などが起こらないような体制を整える必要があります」
「一定の期間、駐留させるとして規模と振り分けか」
あらかじめ用意させていた茶を喉に流し込んで、同じように茶を飲む国王の裁可とアラステアの動向を待つ。
幸いにもあまり国土は荒れてはいない。元は農業の盛んだったカデルだ、ゆくゆくはハーストをも支えられるような食料の生産拠点となり、国力も回復するだろう。
貴族の増長を王族が制御できないところがあったが、それも解消される。
「カデルの王族に関しては、どうだ」
クラークは国王の言葉に夢想から覚める。これからの成り行き次第で、王族の運命が決する。
「国王は死亡、継承権のある成年男性も死亡か老齢過ぎる、また直系ではないので遺児である王子をハーストで養育し、将来カデルに戻す方向でよいかと。
姫君達の母親をハーストの貴族に嫁がせましょう。カデルの血をハーストに落とせばよいと思います」
「相手はそこそこ由緒はあるが実力はなく、カデルの王族を擁してなにかしようとしてもできない田舎貴族だな」
国王の揶揄にアラステアは黙って頭を下げて同意を示した。
クラークは知らず緊張している自分に気付いた。手のひらにかいていた汗を、そっと拭う。まずは姫君とその母親の側妃の今後。
「王子の母親には厳しい監視をつけます。間違っても遺児を旗印にカデルを、などと考えないように。愚かな考えを吹き込まれないように」
「王妃はいかがいたします?」
クラークの問いかけに、国王とアラステアは揃って声の主を見つめる。
順当に考えれば王妃は修道院だろうか。本人も望んでいる節がある。
「王妃の扱いにはいささか苦慮しております」
だから、アラステアが言ったのに内心クラークは驚く。情けをかけるのは厳禁だ。特に私情は。アラステアとて立場は同じはずなのに、なぜすぐに幽閉の方向にいかないのだろう。
同じ疑問を国王も抱いたようだ。
「どういうことだ、アラステア」
「は、王妃に子はおりませぬ。いればかなりの脅威になったでしょうが。此度のことで父親である宰相も処刑されました。
もともと王妃と宰相が民に慕われていたこと、王子の母親はある意味王子にとって人質の役割を果たしますが王妃にはそのような枷がないこと、カデルには勿論残してはおけませぬが、ハーストでも自由にさせるわけにもまいりませぬ」
「王子の母親ともども修道院に入れてはどうか、それが話が早いだろう」
アラステアが国王に返答する際、ほんの少しだけ逡巡したのをクラークは見逃さなかった。
「カデルの民の感情や、ハーストが周辺からどう思われるかを考慮する必要があります。幽閉を連想させてはカデルの民の感情を逆なでします。まずは、離宮に入れられるのが得策かと」
「ここで私のところにと言わないあたりが良いな、アラステア。私も迎えたばかりの妃との間に波風をたてたくない」
「敗国の王族ですので側妃にでもとは思いましたが、王妃自身には王族の血が薄いですゆえ」
クラークは息をするのを忘れていたように思った。
「では、当面カデルの王族達は離宮にまとめておこう。クラーク、警備は任せる」
「かしこまりました」
「近づく者、出て行く者、それぞれを……」
わざと餌をちらつかせるおつもりか。お人の悪い。
ハースト内部の、此度の戦に乗じようとする輩もあぶりだす意図と、クラークは思わずにやりとして凶悪な人相をいっそう歪める。
アラステアも苦笑しているので、思いは同じようだ。
「陛下、こちらが条約書になります。お目を」
「うむ」
アラステアの起草した書面に見入るハースト国王と、時々注釈を加えるアラステアを前にクラークはすっかり冷めた茶を口に含む。
カデルの王族をハーストへ。
彼女達は離宮へ。
その先は?
クラークは黙って茶器を卓に置いた。
王妃が呼ばれた頃には既にかなりの時間が過ぎていた。
カデルの文官と典礼官を背後に、王妃はハーストの国王と対面する。
「お待たせして申し訳ない。条約の書面に署名を願いたい」
促されて腰を下ろせば、厚手の紙に記された条約が提示される。エリザベスは本来なら触れることはなかっただろう国の重大事に、女の身で立ち会う重圧を感じていた。
父親が教育を施してくれたとはいえ、女が政に口を挟むものではないとされてきた。それが夫である国王も、父親である宰相も先にいなくなっていまい、残されたのは署名する資格があるというだけの自分だけ。
エリザベスはそれでも一心に文面に目をこらした。少しでもカデルの負担が減らないか、取り返しのつかない不平等な要求がなされていないか。傍らの文官とともに、文面の行間の意味すら読取ろうと努力する。
「順当……なのでしょうね」
傍らの文官の同意の印である頷きの後で、エリザベスはハースト側に声をかけた。
ドーズ伯のサイラス卿は得たり、と何度も頷く。ハーストの国王は内心興味しんしんで待っている。
クラークは壁際で、王妃が署名をなすのを見守った。
「これで、カデルは終わりです。どうぞ、民は……」
「ご心配なく、戦も終わり貴族の税率よりは緩やかになるでしょうから暮らし向きは楽になるでしょう」
「よろしくお願いいたします」
続いてカデルの正当な王位のよりどころを示す数々の宝物、印章などを典礼官よりハースト側に引き渡す。
これで正式にカデルはハーストに下り、以後は庇護を受けて生き残ることとなった。
部屋をでた王妃に、騎士が付き従う。
それが少々もめているように聞こえ、クラークは現場に向かった。
「どうしたのだ」
「は、あの、王妃様が……」
「カデルの旗がおりるのを見届けたいのです」
城に掲げられているカデルの旗は、ハーストとの条約が締結されてしまえばそのままの形ではいられない。しばらくはハーストの旗が翻り、カデル国王の遺児が長じて戻ればハーストとカデルの両方をハースト優位で取り入れた形になるだろう。
幕引きも見届けるか、とクラークは王妃の強い一面に瞠目する。
では、と警備を増やして城の階上へと上がる。折しもカデルの旗がおろされようとしていた。その様子をまばたきもせずに、王妃は目に焼き付ける。
カデルの旗がハーストの旗に取って代わり、エリザベスはふっと体の芯からなにかがぬけていくような心持ちを味わった。
これで、用済み。
「では戻りましょうか」
「わたくしはもう王妃ではありませんので、王妃の間には戻れません」
クラークは面食らう。確かにさきほど書面は交わしたが、王妃の名称こそ変われども、城内での立場は従来と変わらない。
「戻らぬ、としてどちらに向かわれるおつもりか」
「礼拝堂に行きたいのですが警備には不都合でしょうから、来城の貴族にあてがわれる部屋にと思っております」
「あなた様がそれでは、他の側妃たちもということになる」
「あの方達は、陛下のお子とご一緒ですので王族の区画に。わたくしは……」
アラステアが王妃の扱いに苦慮した理由が良く分かる。元王妃ではあるが罪人の娘との立ち位置にいて、それに相応しい待遇をしろと迫っている。はいそうですかと頷くことは到底できず、さりとて正論で押す王妃にこちらの分が悪い。
しかし幸いなことに、先ほどの話し合いで王妃の処遇についてもある合意がなされていた。
「我が陛下は、あなた様に従来と同じ待遇をと仰せです。どうぞ、王妃の間にお戻りください」
有無を言わせないクラークの言に、エリザベスも押し黙る。
しばらくしてから、エリザベスの口から謝罪の言葉が漏れる。
「わがままを申しました。――戻ります。ウォーレン卿、ご迷惑をかけました。今もですが……」
礼拝堂でのことも、だとクラークは悟る。かすかに頬が赤らんでいるように思えるのは、穿ちすぎか? この言い方からはあのできごとを王妃は恥じているのだろうか。
ならばこちらもなかったことにするのが、大人の対応だろう。
内心では忘れられないとしても。
「とんでもない。部屋までお送りしましょう」
歩き始めた王妃――元王妃になったエリザベスを護衛するように、クラークは廊下を進んだ。近衛達は一定の距離をとって後ろから付いてきていた。
無言で歩む廊下は長いようで短く、程なく王妃の間へと到着する。
「ありがとうございました。では、これで」
「――これからは、なんとお呼びすれば?」
「え?」
「王妃ではないとおっしゃるのなら、どのようにお呼びすればよろしいか。適当な爵位がそのうち陛下から授与されるでしょうが」
エリザベスは首を傾けてクラークを仰ぎ見る。もっさりとした髪とひげに覆われて、面積の狭い顔が見せる表情は凪いでいる。
「エリザベス・アン・プレストン。わたくしの名です。父は一応侯爵位におりました。わたくし自身は陛下が王子の時期にはマルグ公爵夫人の称号はいただいていますが、これらはどうなるか分かりません」
「レディ・エリザベス、プレストン嬢、エリザベス様……」
「お好きなように。どれも久しぶりに呼ばれる名です。ただ、もう嬢という柄ではありませんわね」
声に懐かしむ色をのせて、エリザベスは呟いた。
優雅に一礼して扉が閉じる。警備の者に注意を与えてから、背中を向けてクラークはもと来た廊下を歩いた。
「レディ・エリザベス。プレストン様。エリザベス様。エリザベス。――リズ」
最後になるほど口には出せんな、とクラークは胸の中にしまい込んだ。
すぐに役目を思い出して警備体制の強化と、ハーストへの帰還準備を並行して行う。
国王が到着して葬儀も終えた一月後に、カデルの王族はハーストの国王の一行とともに城を離れた。アラステアは残り、クラークは一行に付き従う。
馬車と馬の旅が始まろうとしていた。