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この危うい関係  作者: 素子
番外編
51/52

04  やけ酒

 花街にほど近い食堂兼酒場はあまり値段が高くない割には美味いと評判の店だった。

 店でも騎士が常連なら酒の上での騒ぎも起こりにくく、しかも代金の取りっぱっぐれがない。双方ともに利点を見いだして、繁盛していた。

 今夜集まったのもハースト騎士団の団員達で、支払い役として団長副官となぜか平の騎士が引っ張り出されていた。


「なんで、僕が……」

「うるさい、副団長の代理でお前も儲けた口だろう。少しは還元しろ」

「バートさんと桁が違いますよ。第一副団長がほとんど持っていってしまったんですから」

「安心しろ。ここに来る前に徴収している」


 副団長の賭けの代理人になった騎士は、背中を丸めて諦めたようなのでバートは優しく肩に手を置いた。


「遠慮せずに、飲め、な?」

「酒は行き渡ったか? ならまず乾杯だ」


 飲み会を呼びかけた騎士が立ち上がり、酒杯を掲げる。

 ほぼ貸し切り状態なので、普段から大きな声もいっそうよく通るというものだ。


「日頃の慰労と我らが団長の婚儀を祝って、乾杯」

「乾杯」


 斉唱してからぐっと酒を流し込む。満足そうな吐息の後で、あちこちからお代わりの声が上がった。

 あとは酒を水のごとく消費し、料理は皿洗いが追いつくのかと心配するほど次々と出される。


「ちょっとは控えてくれ。うちの倉庫を空っぽにする気か?」

「今夜だけで稼がせてやる。どんどん持ってこい」


 食堂の親父のぼやきも、誰かが混ぜっ返す。実際体が資本なところもある騎士や従騎士ばかりなので、食欲は旺盛で卓に供された料理もみるみるうちに食べ尽くされていく。

 親父がやけっぱちに近くの店に応援を頼めと怒鳴るのもご愛敬、と陽気な酒盛りは続いていた。


 

 ようやく人心地ついた頃、誰からともなく団長こと熊親父の婚儀についての話題があがる。


「――にしても、なあ。親父様の様子」

「鍛錬所の件だろ。親父様が硬直するなんて、戦場でもなかったのに」

「政略結婚のはずなのに、もう真っ赤な顔してふわふわした足取りで後をついて行っていたな……俺、首輪か鎖でも付いているんじゃないかと目を凝らした」


 ふと無言になり、あの時のことを反芻しているような間が漂う。

 鎖か首輪か、とバートは蒸留酒を味わいながら思い返す。熊使いと評してはいたが、ああも見事とは思わなかった。

 熊親父は蜜月に溺れるかと危惧していたのに、エリザベスが仕事をしている姿が素敵と褒めたせいで、いそいそと屋敷と騎士団を往復している。

 バートにすれば喜ばしい成り行きだが、騎士団の面々にはそうではないらしい。


 納得がいかない、と酒杯を持つ顔が物語っている。


 なぜ熊親父が熊親父のくせに、熊親父のままで幸せの絶頂なのだろうと。


 笑う子も泣く戦場の悪鬼。ハーストの騎士団長の女性への縁のなさは有名すぎるほどで、過去に縁談がいくつか壊れたのも知られている。

 花街の最上級の『花』に慕われているとの噂が流れた際にも、一同は荒れた。

 なんで熊親父が、とあからさまに口にした者もいた。ただ相手は『花』だ。最上級なら相手を選べる立場とはいえ、金銭で恋愛遊戯や体をいっとき独占できる、そんな相手だ。

 熊親父は普通の女性にはもてない。それが共通認識だった。


 それなのに、婚儀をあげた相手は元王妃で現侯爵。熊親父自身も侯爵位を賜って出世した。性格にも見た目にも問題のなさそうな、奥方だった。

 首に縄をつけるでもなく自然に熊親父に寄り添って、微笑んでいたのは見間違いではない。簡単に、熊親父を転がしていた。


「あれか? 恐れ多いが物好きな方なのかもしれん」

「お目が悪い可能性は?」

「いっときの気の迷いに一票」

「貴公子には飽きた……?」


 好き勝手な意見が飛び交う。放っておけばこの場で新たな賭けが始まりそうな勢いだった。とても情けない内容で。

 皆は熊親父を尊敬し、慕っている。それは確かだ。戦場で誰より頼りになる指揮官であり、ハルバードを振り回せば誰も近寄れない。

 愛馬でさえ桁外れで馬上の熊親父の放つ威圧感といったら。


 そんな悪鬼が馬を下りて王城に移れば、女性や子供から泣かれ怯えられ避けられるという気の毒な状況だった。

 親父様、と同情しきりで少しだけ憐憫を含んだ空気を背負わされていたのに。


「親父様には幸せになってほしいとは願っていたが、いざ目の当たりにすると微妙だな」

「俺はたいそう微妙だ」

「言い回しは変だが気持ちはわかる」


 そこに遅れて登場した副団長が、ごく冷静に断言した。


「羨ましいんだろう。違うか?」


 その瞬間、ああ……と誰からともなくため息のような声が吐き出される。

 

「羨ましい。そうか……そうかもしれません」

「空気まで甘いですもんね」

「何だろう、目から汗が……」


 認めたら負けの一言があっさり副団長から出て、今度はおのおのが内省する番のようだ。陽気な空気がなりをひそめている。

 これだから人を抉るのが上手い奴は、とバートは苦々しく思いながら副団長のための酒を注文する。静かに酒杯を合わせ、ここにはいない熊親父に敬意を表した。


「場を盛り下げてどうするんですか」

「この方が面白いだろう。是非奥方の普段の様子を知って、騎士団の円滑な運営に役立てたいものだ」

「で、騎士団をまとめる手立てにすると。やっぱり腹黒ですか」


 副団長は心外だとでも言いたげに眉を上げた。

 

「騎士団がまとまるのは大事だろう? 領地で好き勝手やっている間、私は事務仕事と連絡の伝達と調整に忙殺されたんだ」

「好き勝手って」

「実戦をする、暗殺を生業とする者と対峙する、堂々と貴族の使用人達を捕縛する。貴族を断罪する。他には……」

「詳しすぎやしませんか?」


 バートの皮肉も副団長には通じない。

 情報の収集と分析は副団長の得意とする分野だ。文官気質なせいもあり、宰相にも気に入られて独自の繋がりを持っている。

 一見地味だが熊親父とは別の意味で敵に回したくない、人物だ。


「修道院には平謝りで、たいそうな額を寄付したそうじゃないか」

「はあ、まあ……」

「修道院から城までの道行きも耳に入っているが」

「もういいです」


 バートは胃に優しい煮込みに逃げる。

 副団長はすました顔で酒を流し込んでは、しんみりしたり賑やかになったりする部下を観察していた。

 

「団長には稼がせてもらった恩はあるから、注意深く今後を見守るさ」

「――もっともらしいことをおっしゃいますが、要は新しい賭けの材料を探すつもりなんでしょう」

「ばれたか」


 悪びれず肯定してから副団長は不敵に笑う。

 バートはこの、と思いつつ熊親父の幸福は騎士団の平穏に繋がるという意見には賛成だった。

 おっさんがレディの前で幸福だろうが降伏していようが、迷惑を被らなければそれでいいのだ。


「次の賭けの材料、か」


 独りごちてバートは食堂の親父自慢の煮込みに舌鼓を打った。

 ――定番なら二人がいつ諍いを起こすかとか、いつ子供が生まれるか、子供の性別はなどだが。


「どちらが手綱を握るかなんて、誰も賭には乗らないでしょうね」

「違いない」


 まだまだ夜は長く、話も食欲も尽きそうにない。

 出費は癪だがこいつらから巻き上げた金でもあるし、とバートと副団長は気持ち良く隠しを取り出した。








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