03 熊使い
領地の城から王都の屋敷へ。
仮の婚約者として辿った道を、正式に夫となった人と戻るのは感慨深い。
ろくでもないと内心呪いたくなった『仕来り』も笑い話にできたように。
王都と周辺のごたごたも沈静化しつつあり、戻っても大丈夫だろうと判断されてのことだった。
来た時と違うのは馬車の窓から外が眺められること、そこに常に見受けられる人。
「リ……レディ、お疲れではありませんか」
「いえ、あとどれくらいですか?」
「もう王都の門が見えています」
いよいよ王都に入るのだとエリザベスは居住まいを正す。
手には馴染んだ扇子、衣装はもう喪服ではない。今のエリザベスはクラークの妻でウェンブル侯爵夫人だ。
王都の門をくぐるまでにもだいぶ時間がかかったが、王都に入ってからも屋敷までは遠かった。それだけ大きな都なのだ。エリザベスはカデルに誇りは持っている。
しかし贔屓目に見てもハーストの王都の方が繁栄していて、規模が大きいのは認めざるを得なかった。本来なら自分と国王だった前の夫とで、こうなるように導かなければならなかったのに……。
「レディ、どうかなさいましたか?」
「とても活気があると感心していました」
王都に付いてきてくれたルイザの質問に応じて、エリザベスは手振りで外を示す。
ルイザはああ、と納得した顔だった。
「私も二度ほど王都には来たことがあったんです。そのたびに広くて賑やかで、まごまごしてしまいました」
「迷子になってもおかしくない広さですね」
「だから、ほら、あれを目印にするんです」
窓際に移動したルイザにつられて指さす方角を見れば、高い塔がそびえている。
「王城の塔なんです。広場から見えるようになっているので、そこから方角を確かめたらいいんです」
「便利なこと」
二人して窓際に寄ったせいか、クラークがウルススを馬車のすぐ側につける。
「レディ?」
「王城の塔を拝見していました。あれを目印にすればいいとルイザが教えてくれたんです」
「ああ……」
クラークも目をすがめて塔を仰ぐ。
平時は王城の威容の象徴だが、非常時には物見の塔であり重要な拠点にもなる建物。
「あれの側に騎士団の建物があるんです」
「そうでしたか」
そう聞けばあの塔も特別なものに思える。いつか騎士団を訪れた際には間近にすることもあるだろうと、エリザベスは塔を飽かず眺めた。
馬車はしばらく石畳を走り、ある屋敷に到着する。
玄関の外に使用人が並んでいるのを確認するに及んで、ここがクラークの屋敷かとエリザベスはわずかに緊張する。
数ヶ月を過ごした領地の城とは異なる、王都の屋敷。
ここがこれからのエリザベスの居場所になる。根を下ろし、花を咲かせることができるだろうか。元は敵対した国の王妃と、反発されはしないだろうか。
内心色々と考えていたエリザベスを、馬車の扉を開けて手をさしのべたクラークが迎える。
「どうぞ、お手を」
大きく、がっしりとした骨太の手。掌は軽くくぼんでエリザベスを待ってる。
手を重ねるとぎゅっと握られる。手どころか身を丸ごと委ねても揺るぎもしないだろう力強さに、エリザベスの弱気が払拭される。
扉にぶつからないよう注意しながら、手を取られたまま馬車をおりる。
隣り合い、今度は差し出された腕を組んで、エリザベスはすっと玄関とその前に並ぶ一同を見渡した。
「お帰りなさいませ、旦那様。ようこそ、奥様」
柔らかな低音で迎えてくれた男性が頭を下げた。それにならって、後ろに控えていた人も頭を下げる。
ややあって顔を上げた男性にはどことなく見覚えがあった。
「初めまして。私はコーディ・アダムスと申しまして、王都の屋敷の管理を任されております。家令のアダムスの甥にあたります」
「……エリザベス・アン・……ウォーレンです。よろしく頼みます」
アダムスの甥、それで面影が……と斜め後ろに控えるアダムスを見やればエリザベスにかすかに頷いた後で、甥に厳しい視線を注いでいる。
屋敷の使用人が緊張しているのはクラークが戻ったせいもあるだろうが、アダムスも同行しているからか。
玄関の扉が開かれクラークが前を見据えて一歩を踏み出す。
エリザベスも、腕を組んだままで歩む。
――この人と一緒なら、大丈夫。
「ここがわたくし達の、居場所ですのね」
「リズ……。あなたが私の、帰る場所です」
バートは二人が何事か言い交わしながら微笑んで屋敷に入る姿を感無量で眺める。
ここに騎士団内部で行われた賭けは終了した。
結果は『無事に婚儀を迎えその後も上手くいく』
賭けの勝者はバートともう一人、代理人を立てた副団長だった。
クラークは騎士団の鍛錬所で日課をこなしていた。
ハルバードと剣を振るった後、若手に胸を貸し稽古をつける。潰した模造剣だからと緊張が緩むのは赦さない。厳しい顔と声でもって剣を振るっていた。
そこに場違いな色彩が現れる。柔らかな色合いの衣装をまとったエリザベスが、ルイザを連れて顔を見せたのだ。
注意が集まるが、熊親父の手前あからさまに顔を向けるわけにもいかない。
エリザベスとルイザも端でひっそりと、鍛錬の様子を見守っている。
「よし、終わるぞ」
クラークの声に模造剣の手入れをし、掃除を始めて解散となる。
それまでちらりとも視線を向けなかった熊親父が大股で奥方に歩み寄る様を、作業をしながら皆が注目していた。
「どうなさったのです」
「マルグ公爵――カデルの王子の誕生会に招待されましたの」
「ええ、それは承知しておりますが」
「どうせならとクラーク様のご様子をうかがいたくて」
汗を拭う布を差し出しながらエリザベスが微笑んだ。
それまでも体を動かして血色の良かった熊親父だったが、微笑まれ手が触れてますます赤くなったようだ。
だめ押し、近くにいた騎士達は聞き取った。
「いつにも増して真剣なお顔や姿を拝見できて良かったです。素敵でした」
熊親父が固まった。
騎士達も固まった。
汗を拭う姿勢のままでいた熊親父は、今や顔から火が出んばかりで。
「クラーク様も招待されていらっしゃいましたよね?」
「――う、あ、は……い、今から、支度を」
「アダムスが衣装を携えております。着替えは騎士団のお部屋でされるのでしょう?」
こくこくと頷く熊親父に、では参りましょうかとエリザベスが誘う。
遠ざかりながら騎士団への差し入れが……などとエリザベスが話しかけているが、当の熊親父はなんだか危なかしい足取りだった。
誰が最強の『熊使い』か。
誰が騎士団に君臨しているのか。
ハースト騎士団が痛感した、ある日の一幕。