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この危うい関係  作者: 素子
本編
5/52

05  長い日

 忌々しいほど天気のよい、すがすがしい朝の訪れに眠れずに充血した目をまたたかせて、クラークは寝台に起き直った。

 顔を洗い服を着替えて寝室を出れば、バートはまだそこで眠り込んでいた。


「朝だ、起きろ」


 短い言葉でもバートはすぐに目を覚まして、かけられていた毛布を体から外した。


「お早うございます、親父殿」

「さっさと朝食を食べて戻って来い。今日は長い一日になるぞ」


 その時、来訪者が現れた。自身に護衛は不要とするクラークだが、取次ぎも兼ねているので仕方なく置いている。その者が耳打ちした名前に、もとからいかついクラークの顔つきが厳しくなった。


「すぐにお通ししろ」

「親父殿」

「お前もここにいろ」


 短いやりとりの最中に来訪者が顔を見せた。いくぶんか顔色の悪い、王妃がそこにいた。


「不躾な時間に申し訳ございません。早くお目にかかりたくて」

「――何の、ご用でしょうか」


 喉に絡んだような声でクラークが促すと、王妃は布で包んだものを取り出した。

 近づいてクラークに手渡す。


「わたくしの髪の一部です。父の、棺に納めていただきたく。わたくしは父から顔を見せるなと言われておりますので」


 布を開いて確認すると、細いリボンで束ねた小さな毛束が現れた。

 娘に最期は見せたくない親心で、宰相はそう言ったのだろうと想像できる。心情を思いやってクラークも胸がつまった。

 丁寧に布を元のようにたたんで、王妃に頷く。


「確かに、承りました。必ずご希望に沿うようにいたします」

「よろしくお願いします」


 王妃も眠れなかったのだろう、くまが見て取れる。それでもクラークを見上げて、ほんの少し固い表情が和らいだ気がした。バートにも会釈をして王妃は出て行く。このせいで結局クラークとバートは共に朝食の卓を囲むことになった。

 いつものバートなら皮肉なり、からかいなりが混じりそうだが、黙々と食事を平らげるのに専念している。クラークも同じように、静かに朝食を取り終えた。

 無言で時間をつぶし、刻限が近づいてクラークは重い腰を上げた。すっとバートも後ろに控える。廊下を歩いて宰相の部屋へと到着する。

 出迎えた宰相が、誰よりも落ち着いて見えた。


「わざわざご足労いただきまして。それで私はどこに向かえばよいのでしょう」

「この部屋で結構です」


 椅子に座るように促せば、食事の後で身も清めたらしい宰相は穏やかに頷いた。

 

「寛大なお心遣いには感謝するばかりです」


 できるだけ苦痛の少ないように、そう考えて決定した手段。そのうちにアラステアも顔を出し、いよいよとなった。

 宰相の酒が杯に注がれる。クラークはゆっくりと懐から薬包紙を取り出した。

 即効性でいて確実な、そして苦痛の少ない……。

 宰相は杯に入れられた薬剤を、自ら杯を揺らして溶かした。そのまま窓から外の景色を眺める。


「良い日和です。陛下がお一人ではお淋しいでしょうから、早く参らねば」


 そして杯を持ったまま、クラークとアラステアに真摯な眼差しを注ぐ。


「方々、なにとぞカデルをお願いいたします」

「けして悪いようにはいたしませぬ」


 アラステアが請合えば、宰相はふっと息をはいた。懐から小さな何かを取り出して、少しの間それを見つめる。


「ウォーレン卿、勝手な願いで申し訳ないが、ことが済んだ後にこれを娘に渡してはもらえないでしょうか」


 差し出されたのは、王妃に似た女性が描かれた細密画。

 おそらく王妃の母であり、宰相の妻である女性だろうと思われる。

 こんなところまで親子かと、クラークは静かに考える。死後にそっと形見の品を忍ばせようとする。それだけに押し込めた思いが、かえって悲痛に感じられた。


「お安いご用です」

「ありがとうございます。娘が、リズがあまり悲しまなければよいのですが」


 ひそり、とクラークだけに聞こえる小声で伝えて、自身の最期までは側におきたいと宰相は笑った。その後で王妃に渡すようにとクラークに託す。

 いたって自然に、宰相は杯に口をつけた。一息にあおって杯を卓に置く。

 顔を背けるカデルの者達、次にハーストの者達に目をやってぐらりと体がかしいだ。

 声なき声を吐いて宰相は、落ち着いた表情のまま目を閉じ動きを止める。

 あっけなく、終わってしまった。



 運び入れた棺に宰相を納める。表情は穏やかで眠っているようにしか見えない。すすり泣くカデルの臣下の様子から、宰相が相当に慕われていたのが分かる。こんな出会いでなければ、今も優秀な宰相と絶妙な駆け引きが繰り広げられていたのだろうか。

 クラークは宰相の手を取って胸の上で組み合わせた。その手の下に、そっと王妃からことづかった布包みを忍ばせた。

 宰相が最期に託した細密画を懐に入れ、クラークは棺を運び出すように命じた。

 アラステアとクラークの配慮で、宰相の部屋から裏門までは人を遠ざけている。

 クラークとバートは裏門まで同行し、待機していた宰相ゆかりの者に棺を渡した。


「丁重に頼む」


 目を真っ赤にした宰相の家の家令だと名乗る男は、クラークの言葉に何度も頷いた。

 棺をのせた馬車が見えなくなるまで、クラークとバートはその場を動けなかった。


「仕方のないこととはいえ、たまりませんね」

「そうだな」


 重い足取りで元来た道筋をたどりながら、二人は言葉すくなだった。

 勝者がいれば敗者が出る。そして敗者には責任を取らなければならない者が出る。

 それが戦のならい。クラークだとていつ敗者になるか分からない。敗者になれば、まず間違いなく生き残ることはかなわない。

 戦の世の厳しさと無情がクラークの心を乾いた、冷酷な方へと導きかける。

 それを留めたのが、バートの言葉だった。


「親父殿、王妃様にいつ渡しますか?」

「少し落ち着いた頃合の方がよいだろう」

「そうですね」


 アラステアの執務室に顔を出して、必要なやり取りを済ませたクラークは自室へと戻った。砂を噛むような思いで、それでも昼食を取り過ぎぬ時間をじりじりしながら潰した。

 懐から細密画を取り出す。細面の柔和な顔が微笑んでいる。驚くほど王妃に似ていた。髪の毛の色が若干異なるくらいで、碧の瞳の色合いもそっくりだった。


 これだけ似ていれば、さぞ娘も可愛くて慈しんだだろうと容易に想像できる。

 自分には妻も子もいないが、大事な存在を残して、しかも敵の中に残していかなければならない無念や憂慮は理解できるつもりだ。それを最期まで見事に自制した宰相は、本当に敵方として対峙したくない存在だった。

 自分の最期はどうだろうか、とクラークは思う。見事に散るのは理想的だが、もし大事な存在ができていれば?

 細密画を手にクラークは考え続けた。



 日が傾く頃、クラークとバートは王妃の行方を捜した。王妃の間で問えば、礼拝堂にいるという。緑の芝生を歩いて礼拝堂へと向かう。

 音がしないように扉を開けると護衛騎士が目礼し、王妃付きの侍女の姿も見えた。

 肝心の王妃は、祭壇の前に跪いて両手を胸の高さで組んで祈りを捧げていた。

 邪魔にならないようにクラークは辛抱強く待った。いつまでも祈りは終わらず、だんだんと礼拝堂の中も暗くなっていく。

 クラークが壁にもたれて腕を組んでいると、ようやく王妃が顔を上げた。

 ゆっくりと立ち上がり、振り返って動きが止まる。

 ここにクラーク達がいることが意外だったようだ。


「……ウォーレン卿、礼拝堂までどんなご用でしょうか。声をかけてくださればよろしかったのに」

「祈りの邪魔は、と思いまして」


 よそよそしく冷ややかな声音に、王妃のよろう立場が透けて見えた。

 国王が、そして宰相が倒れた国で名目だけでも最高責任者の一人であり、王子が幼いことを考えれば実質唯一の責任者でもある。

 細い肩にのせられた重圧と緊張。同情を誘うに充分だった。

 クラークは懐から小さな包みを取り出した。王妃がしたように布に包んである。


「お預かりしたものは、間違いなく宰相殿の棺に」

「ありがとうございます」

「そして、これを宰相殿から預かりました。あなた様に渡してほしいと」


 受け取って布をめくった王妃の目が、細密画に釘付けになる。穴が開くほど見つめているうちに、眉根が寄せられてふいに双眸に涙が滲む。

 クラークには見られたくなかったのか、顔を横向けるがそれよりクラークの動作の方が早かった。別の布を差し出して、低い声で王妃に囁いた。


「泣いて構わないのです。そして恨むのなら私を恨んでください」


 それで少しでも気が休まるのなら。

 そんな思いを胸にクラークは王妃に向き合った。



 王妃は、エリザベスはクラークの差し出した布を取ろうとはしなかった。顔を俯けていたかと思うと、おもむろに細密画を持っていないほうの手を握り、クラークの胸に押し当てた。


「……えして、返して下さい。わたくしの、夫を、父を……あなたの、あなたが」


 震える声で最初は弱々しく、次第に強くクラークの胸を叩き始めた。

 合間に嗚咽が漏れる。


「お父様」


 何度も繰り返される、父を呼ぶ声に思いが込められている。

 クラークは抵抗せずに王妃の激情を受け止めた。実際には女性のこぶしだ。ほとんど肉体的な痛痒は感じない。むしろ王妃の方がこぶしを振りかぶるたびに足元がよろけているので、こけないようにとクラークは王妃をゆるく腕に囲う。

 そのうちに殴打がやみ、クラークの服をぎゅっとつかんで王妃が泣く。

 声も出さずに肩を震わせながら。ただ胸の辺りに熱いものが染みてくる感触をクラークは静かに受け止めた。


 どれくらいそうしていたのか、王妃の膝がかくんと折れる。慌てて抱きとめると泣き顔の王妃が真っ青になって目を閉じていた。

 侍女が短い悲鳴を上げているのを背後で聞きながら、細密画を取り、王妃の手首をさぐる。規則正しい鼓動と、呼吸音から単に気を失っているだけと判断した。

 王妃の膝裏に腕を差し込んで抱き上げる。


「すぐに侍医を呼ぶように。私は王妃の間へとお連れする」


 護衛騎士に命令し、侍女に案内するようにと声をかける。

 その際にここでの出来事は他言無用と厳命する。にわかに慌しくなった礼拝堂の中を大股で移動して、すっかり日の落ちた外へと出る。

 道すがら、侍女に質問する。


「王妃様の食事や睡眠はいかがだったのだろうか」


 侍女は動転しながらも王妃大事か、意外にしっかりした口調で答える。普段ならクラークには怯えるはずが、今は気にならないらしい。


「ここ最近は食も落ちて、夜もよく眠れていらっしゃらないようでした」


 過労や栄養失調なところに緊張の糸が切れたのだろうと予想する。

 細い体にどれだけの負担だったのだろう、その負担の一因は間違いなく自分だと思うとクラークはやるせなかった。

 王妃の体は軽く、まだ涙がこめかみを伝っている。クラークは薄暗い庭から城へ、王妃の間へと急いだ。


 寝台に寝かせて涙をぬぐってまもなく、侍医が護衛騎士に連れられてやってきた。寝室の隣で待っていると出てきた侍医の診断は、クラークの予想と変わらなかった。

 睡眠と栄養が何より大事だということで、このまま寝かせるとのことだった。

 クラークは侍女を伴って再び寝室へと王妃の確認に戻った。手際よく着替えさせられ、結っていた髪の毛をほどかれた王妃がこんこんと眠っている。

 その傍らに、そっと細密画を置いて侍女を振り返る。


「これは王妃様にとって大切な品だろうから、管理をしっかり頼む」


 侍女はクラークの言いように目を丸くしながら、慌てて頭を下げた。

 もう一度眠る王妃に視線を当てて、クラークは寝室を出る。そこで待っていたバートと、自室に落ち着いた。


「お前、夕食もここで食べていくか」

「そうさせてもらえるとありがたいです」

「疲れただろう、今日はゆっくり休め」


 長い一日を終えて、ようやくクラークも緊張を解いた。

 やったことは大したものではないが、心理的な負担は非常に大きかった。

 今日ばかりは王妃をゆるくではあるが腕にしたのも、抱き上げたのもクラークを慌てさせたり赤面させたりはしない。

 浮ついた気分になどなれるはずもなく、団長と副官は夕食を済ました。


 振り返って思い返しては赤面するしかない、長い長い一日だった。







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