01 お屋敷
王都に戻ってからは目の回るような忙しさだった。
騎士団長としての仕事は勿論だが、エリザベス関連、ひいては反逆罪と内々に判断された者の捕縛や追求があるからだ。
逃亡した者、私兵を使って抗戦する者と様々で勢い騎士団も駆り出される。
合間に、机に山と積まれた書類と格闘しなければならない。
留守を任せた副団長は切れ者の文官肌で、自分の権限で決裁できるものは全て処理していた。それでも残ったのはすなわち、クラーク以外には手が出せない書類たち、ということだ。
「事務仕事は嫌いだ」
「親父殿、仕方ありません。ぼやいて書類が減るのなら、いくらでもそうしてください」
バートがいなすと、クラークは背筋を再び伸ばして新しい書類に目を通す。そのまま署名するものには筆記具を走らせ、折衝が必要なものは別にしてとさばいていく。
合間にというか、我慢の限界の前に鍛錬で体を動かし、夜は夜で国王陛下や宰相閣下のところに伺候しては報告と協議を行う。
バートはバートでやるべきことが多い。
副官としての不在の間の騎士団内部や王都の状況の把握は勿論、疲れた胃を休めたい。
心身を癒やす因子はもちろん一つしかなかった。
「進展はどうです」
「ベイリー。既にかなりの人数がふるい落とされている」
「そうですか。で、副団長は?」
「愚問だろう」
胴元であるので賭には参加できないはずなのだが、どうやら代理人を立てているらしい。そしてふるい落とされずに、賭けの恩恵を受ける位置につけている。
さすがに抜け目ないと思いつつ、締め切りぎりぎりまで賭け金を突っ込むのを黙認してもらった手前おおっぴらには非難できない。それに自分が沈んで副団長が浮かぶのならともかく、仲良く勝ち抜けできるのならそれでいい。
「このままでいけば……概算だがこれくらいの額になるな」
さらりと告げられた数字に、この数ヶ月のうちにすっかり馴染んだ鳩尾の痛みさえ和らいだ。
それほど魅力的な金額だった。
「――悪くないですね」
「まあ、婚儀が済んで一定期間が経過しないと確定しないがな。せいぜい張り付いて不和の種は潰すことだ」
「言われなくてももとよりそのつもりです」
ほぼ同格、腹黒具合は向こうが上、熊親父の心情に聡いのはこちらが上の奇妙な均衡を保っている副団長と団長の副官は互いに悪よのうとほくそ笑む。
バートは俄然未来が明るくなるのを感じた。
これまでのクラークはほぼ騎士団の宿舎に住んでいたような、いや生息していたような状態で、王都の屋敷にはほとんど足を向けなかった。
しかしエリザベスと婚儀をあげたらそうはいかない。今後はエリザベスが住むことになり、必然的にクラークもこちらを本拠とするだろう。最低限の人数の使用人しか置いていなかったが、それも増やさないといけない。
忙しくて身動きの取れない熊親父に代わり、バートが連絡役を務める。
領地の城での婚儀と蜜月の後で、アダムスやバーサも王都に移ることになっていて、王都の屋敷と領地の城は同時進行で準備に追われている。
主が留守の屋敷を預かっていた執事はアダムスの甥で、コーディ・アダムスといい、伯父に気質がよく似ている。
「奥様となられるレディ・エリザベスの私室の改装や、衣装や装飾品などを揃えておく必要がございますね」
「レディの寸法はこの紙に書かれている。参考にしてほしいとアダムス、いや領地のアダムスが……」
「ありがとうございます。お好みの色や意匠はご存知ですか?」
ここでうっと詰まるバートだった。簡素な好みとしか言えない。なにしろあちらではずっと喪服といっても過言でなかったし。
甥のアダムスはまあ仕方ありませんねと呟いて、最低限の数をハーストとカデルの流行で揃えましょうと決める。
「ご領地の城をお気に召したのなら、あれを基調にしましょうか。壁紙と窓掛けは新調いたしましょう」
侍女をどうするかも問題だった。
領地からジェマとルイザを連れてくるのが最良とは思うが、実家から遠く離れるのを嫌がるかもしれない。
同道してくれるならそれでよし、無理ならこちらの侍女をと大まかに決める。
「質問してもよろしいでしょうか」
「勿論」
「奥様となられるレディ・エリザベス・アン・プレストン……女侯爵でカデルの元王妃の気質はいかがでしょう」
「熊使いだ。初対面から親父殿をまっすぐに見据えた」
よどみなく間髪入れずに返ってきた答えに、コーディ・アダムスはほんのわずか目を見張った。必要に応じて柔和にも冷静にもなる、変幻自在な表情と佇まいを崩す。口の端がゆっくりと上がった。
「……それは旦那様にとってもようございました」
「体裁こそ政略だが内実はなど解説するのもばからしい」
「重ねて喜ばしいことです。こちらの屋敷もさぞ活気づくでしょう」
それは間違いないと思われたので、バートも素直に相づちをうつ。優雅に微笑んだアダムスは、なおのこと入念な準備をしませんとと執事魂に火がついたようだ。
「伯父に注意を受けてはたまりませんから」
「ああ、アダムス、な」
静かな、それでいて全てを見透かすような老練な家令を互いに思い浮かべて、どちらも押し黙る。王都の屋敷に入ったならその瞬間から、甥から実権を静かに奪い取って屋敷を手中におさめるような気はしているが。
アダムスは忙しくなります、と楽しげだ。課題が困難なほど燃える手合いとみた。
バートはまた何かあれば寄らせてもらうから、と完璧に淹れられたお茶を飲み干し席を立つ。
ふと、思い出したように老練にはまだまだのアダムスへ首を巡らせた。
「私見だが――寝台はとにかく大きく頑丈な方がいいと思う」
「ご忠告、痛み入ります」
素直に受け止めて算段を始めたらしいアダムスに見送られて、バートは玄関に既に配置されていた愛馬にまたがる。
ここが賑やかになるのは喜ばしい。
喜ばしい、が。
「おっさんを騎士団に連れてくるのに苦労するかもしれないな」
やれやれと肩をすくめながらも表情は晴れやかだ。
女主人と、彼女を崇拝する主の明るい未来をバートは疑わなかった。