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この危うい関係  作者: 素子
本編
47/52

47  お花畑

 料理人が嬉しい悲鳴を上げながら作り出した料理は次々と腹におさまり、酒樽も景気よくあけられる。

 エリザベスの修道院行きを見送った後だけに、反動は大きかった。

 そのエリザベスとクラークは隣同士で座り、時折ぎこちないながら仲睦まじそうに人々の目に映った。

 

 陽気にたらふく食べて飲んで解散となった後、クラークはエリザベスを部屋に送る。

 差し出された手にゆっくりと己の手を重ね、エリザベスは微笑みとともにクラークを見やる。刹那びきりと固まったクラークは、バートに促されて我に返り塔の階段を上り始める。

 部屋に送って終わりではなく、色々と話し合わなければならない問題があり、クラークとバートは女主人の部屋に落ち着いた。


「リ、……レディ。そろそろ王都に戻らねばなりません」

「は、い」


 本来なら今日修道院にエリザベスを送り、クラーク達は王都に引き上げる予定だった。

 宰相閣下から与えられた期間も過ぎ、王都には今回の騒動の首謀者や関係者が拘引されていて詮議や処断、事後に起こりうる事態に対処する必要があった。そのためには当事者かつ強面の戦場の悪鬼、ハーストの騎士団長が不在では都合が悪い。

 

「あなたを伴い王都に戻るべきなのですが」


 もはや遠慮なくエリザベスの隣に陣取ったクラークは、歯切れが悪かった。

 エリザベスは膝の上で扇子を手に続きを待つ。


「問題がいくつかありまして」

「そうですか」

「まず婚儀の間までの住まいについてです。一緒に住むのは外聞が悪いので相応の屋敷を用意すべきなのですが、婚儀まで数ヶ月となると……」

「わざわざ用意するのも大変ですし、すぐに使わなくなるのではもったいない、のでしょうね」

「ご自身も侯爵の身分ですから、相応しい屋敷となるとかなりの規模になります」


 新しく屋敷を建てるのは間に合わない。どこぞの屋敷をという算段でも内装や使用人を整えるのだけでも手間がかかる。

 第一、婚約期間すら待てないと焦れるクラークによりいくらも使わないうちに、その屋敷は用済みになる。


「誰かの屋敷に客人として滞在されてもよいのですが、婚儀の準備をしていただくとなると人の出入りも煩雑になります」

「おっしゃる通りですね」


 婚儀の準備のくだりでほんのり頬を染めたエリザベスに、クラークの手が引きつった。

 バートは熊親父は人目がなければ、今すぐにでもレディに襲いかかる、もとい触れたいのだろうと観察した。

 手を不自然に握ったり、開いたりしている熊親父にやれやれと思う。


「私が騎士団で寝泊まりして王都の私の屋敷にとも思ったのですが、婚儀となると訪問客が多いでしょう。出迎えるのが私でなくレディというのもおかしな話になります」


 代替案としては王城の離宮にエリザベスが入るか、一時的だからとこじんまりした屋敷を用意するか。

 ただ前者だと間違いなく国王陛下や宰相閣下から面白半分の横槍が入りそうな気がした。第一、王城ではエリザベスを訪問するのも様々な手続きを経なければならず、適当でないように思える。

 後者だと警備の問題があり、踏み出せない。


「それに今の王都は落ち着かず物騒です。当事者のレディがおいでになると残党が危害を加えかねません」


 バートの進言にクラークとエリザベスはそろって難しい顔になった。クラークは事態を把握していたので、危害が生やさしいものではないだろうと推測して。

 エリザベスはフローラとのやり取りを思い出して。


「――考えて出した結論ですが、レディはこちらに残るのが安全かと」


 エリザベスはきゅっと扇子を握りしめた。バートの言い分もクラークの懸念も理解できる。

 ただ自分が勝手に恐れているだけだ。考え合わせればここなら安全だし、周囲の人も気心が知れている。クラークだって階下の部屋で誓ってくれた。


「そう……それが、良い考えです、ね」

「リズ」


 固く大きな手が、強ばったエリザベスの手を覆う。

 安心させるように、宥めるようにぐっと握り込まれてエリザベスはじわじわと伝わる熱に、緊張をほぐされていく。


「誓います。けして不安に思われるようなことはいたしません。王都での職責を果たして戻ります」

「近くで見張っていますから大丈夫です。口に出したことを違えたことはありませんよ」

「ベイリー」


 クラークの真剣な表情と、バートのまじめくさってはいてもどこか笑い含みの顔を交互に見つめて、エリザベスはかすかに微笑む。

 そうだ、山賊の妻になるのだ。根城を守らなくてどうする。


「――ありがとう、大丈夫です。ここでお戻りをお待ちします」

「リズ」


 熊親父の手が不自然に上がって――下がった。

 おっさん、抱きしめたかったかと目の前で繰り広げられる熊親父劇場に、バートは乾いた笑いを浮かべてしまった。

 絶対離れたくないのは熊親父の方。王都にいたってそわそわして職務に身が入らないのが確実だ。まだまだ胃痛と縁は切れそうにないが、これくらいは仕方ないとバートは折り合いをつける。


「ここで婚儀をあげるということで、準備をされるとよいでしょう。王都で婚儀となるとどうしても大がかりになって、心労がたまるでしょうから」


 慌ただしく他のことも打ち合わせをする。修道院に納めた金子はそのままに、エリザベスの地所相当には劣るがクラークが定期的な支援をするのを約束して、修道院側に納得してもらうことも決めた。

 エリザベスも個人的に修道院への援助を誓う。


 あらかたの話は終わり、バートは気を利かせて先に部屋を出る。

 侍女達が夜の準備を整えて戻ってくるまでの短い時間を、二人が堪能するように。





 王都で早速に顔を合わせたのは宰相だった。


「やっと戻ったか。随分と無様だったようだな」

「返す言葉もございません」

「レディ・エリザベスが拐かされて負傷、お前は毒に倒れ、挙げ句修道院入りを寸前で阻止……か」


 改めて指摘されれば本当に無様であったと、クラークは受け止めるしかない。

 

「だが、実行犯を捕らえて黒幕までたぐりよせたのは成果と言えよう」

「カデルの方はいかがだったのでしょう」

「レディ・エリザベスに近い親族が何人か急病で亡くなったそうだ。ドーズ伯がうまく処理しているな」


 カデルに残っている旧友の顔を思い浮かべる。

 風の噂では流れてくるだろうが表向きが病死なら、追求も鈍るだろう。

 だが、とクラークは嫌な汗をかいた。エリザベスの喪がのびるような事態にならないだろうか。


「仕事は山積している。まずはレディ・エリザベスへの襲撃および反逆未遂についての処分が始まっていて、王城も王都も落ち着かぬ。しっかりと騎士の本分を果たせ」

「は」

「それから、レディ・エリザベスへの祝いの品がウェンブル領に送られるだろうから、道中の警備にも留意せよ」


 山賊の末裔が盗賊に出し抜かれるなと匂わされ、クラークは気を引き締める。

 

「……まあ、よくやった。お前が婚儀とは、長生きはするものだ」

「ありがとうございます」

「逃げられぬように心せよ。無事に婚儀をあげるまで冷や冷やするわ」


 誰に言われずとも、とクラークは唇を引き結ぶ。

 そう、婚儀が終わるまで。誰憚ることなく側にいられるまで。さしあたりはエリザベスを脅かす不埒者を一掃するのが、職務の最初か。

 留守にしていた騎士団も気にかかる。まとめあげて気合いを入れなければ。


「親父殿」

「さて、楽しい時間の始まりだ」


 戦に赴く際に熊親父が漏らす言葉に、バートは苦笑しつつはい、と頷いた。

 賭の行方も気にかかる。外れて荒れる奴が大勢いるだろうが、士気の低下に繋がらないように注意しなければ。一人勝ちのそしりもうまく回避しないと、背後からやられかねない。

 そして、と密かに熊親父をうかがう。

 婚儀が終わるまで気が抜けない。全くもって気が抜けない。まだしばらくは、エリザベスから渡された胃の痛みによく効くという薬が手放せそうにない。



 エリザベスも城で忙しい日々を送っている。

 アダムスが婚儀の準備を取り仕切る意欲を見せており、全幅の信頼を寄せて任せている。実際招待状などはアダムスの助言がなければ、ハーストの貴族やウェンブルの縁者に馴染みの薄いエリザベスには荷が重かった。

 

「レディのお支度はお任せください」


 決意に充ち満ちた侍女達に迫られたのだ。

 準備期間が短いので、みな慌てている。エリザベスの前の婚儀は王太子に嫁ぐこともあって、年単位で準備に明け暮れた。

 比べて侯爵同士の婚儀というのに、残されたのは数ヶ月。領地での婚儀なのでいくぶんか簡略化もできるとはいえ、衣装命の侍女にとっては絶望的な時間配分だった。

 それを救ったのがバーサだった。

 塔の部屋でクラークへの手紙を書いていたエリザベスは、バーサを迎える。


「わざわざここまで……」


 階段をのぼるのも辛いのに、と椅子をすすめるも、バーサは固辞してついてきたジェマを振り返った。

 ジェマが抱えていた布の塊を長椅子にかけるようにして広げる。埃よけか汚れないようにか一番上にかけていた布を取り去れば、現れたのは丁寧な手仕事を施した衣装だった。


「これは……」

「花嫁衣装です。生地は前から用意してあったもので、レディの寸法に合わせて縫いました。私は塔でお仕えできません。せめてもと……。ここで着用していただいて、細かいところを仕上げます」


 上等な生地はしっとりと手に馴染む。宝石などは縫い付けられていない、簡素な仕立てが生地のよさを引き立てている。

 エリザベスは胸が熱くなり、何も言えなくなってしまった。

 バーサが誰よりもクラークの婚儀を楽しみにしているだろう。仕来りを強硬に主張して、自分の命まで賭けるようにエリザベスをクラークの部屋に押し込んだ張本人なのだから。

 修道院行きを決めた際には卒倒して、それからは礼拝堂で祈りを捧げていた。


「……なんて、綺麗な。わたくし、皆を振り回してしまって」

「いいえ、ここで旦那様が婚儀をあげられるのです。こんな嬉しいことはありません」


 促されて喪服を脱いで、衣装を身にまとう。襲われて伏せっていたこともあり、当初の寸法からは少しずれているようだ。婚儀までに縫い縮めるから、とバーサは破顔した。

 クラークの乳母がずっとこれを縫っていたのかと思うと、何倍にも価値あるように思えてしまう。


「合わせる宝石はどれがよろしいでしょう」


 修道院に入るからと分け与えた装飾品は、城に戻ったその日に全部かえってきた。

 浮き浮きとしながらあれもいい、いやこれもと品定めが続く。クラークに伝えたいことが増えた、とエリザベスはひっそり思う。

 山賊の頭領の末裔は、こんなにも気持ちの良い人に囲まれている。

 心が、じんわりと温かくなった。



 そして、緊張した面持ちのクラークは司祭の向かいに立つ。横にはこちらの伝統的な花嫁衣装に身を包んだエリザベスがいる。

 司祭の声はよどみなく、礼拝堂に居並ぶ人の耳に心地よく祝福の言葉を伝える。

 バーサがもう泣いているのも、アダムスがあちこちに目を配りながらも口元がほころんでいるのも、騎士団の面々が最後の最後に何か起こりはしないかと戦々恐々としながら見守っているのも。

 クラークには意識の埒外で、関心はひたすら隣のエリザベスのみに注がれている。


「――神の名の下に二人の婚姻を承認します」


 婚姻書類に署名し、この日、ウェンブル侯のクラーク・ベケット・ウォーレンは生涯の伴侶を得た。

 夜の宴の盛り上がりは、その後の語りぐさになるほどで。

 熊親父がハルバードで演舞を披露すれば、命知らずが突進しては散っていく。

 惜しげもなく酒が振る舞われた。一番上等の酒はクラークとエリザベスにまず供され、集った人々に楽しまれた。


「私に挑戦しようとは片腹痛いわ」


 ひたすらに上機嫌の熊親父が吠えれば、数を頼みと数人がかりで挑む騎士もいて。

 笑いと時々悲鳴が混じり騒ぎに騒いで夜は更ける。


 エリザベスはひそり、と囁かれ騒ぐ人達の中で気付いて会釈したアダムスに頷いてから、そっと宴を抜け出した。

 誘い出したのはクラーク。


「終わりまでいなくてよろしいんですか?」

「こうなったら飲んで騒いで寝てしまいますから、付き合わなくてよろしい。それより、リズ」


 誰の目もなくなった階段で、エリザベスは横抱きにされる。

 あれほど酒を飲んでいたにしてはしっかりしているクラークが、顔を近づけた。


「朝まで一緒に……よろしいですか?」


 太い首に腕を回し、エリザベスはこくりと頷く。

 熱いため息を落とし、クラークは階段を軽々と上り始めた。





 婚儀から数日、すっかり城内は落ち着きを取り戻している。

 蜜月なのだからとクラークはエリザベスの側でゆったりとした時間を過ごしている。

 そんな朝、バートが食事をしていると一人おりてきたエリザベスと目が合った。


「お早うございます、奥様。親父殿は?」

「お早うございます、クラーク様はまだお休みなので、わたくしだけ下りてきました」


 ぬかりなく供されたスープを口に運び、パンと薄切りの干し肉を手にしながら、エリザベスはためらいがちに切り出した。


「ベイリー、あなたはクラーク様とはお付き合いが長いのですよね」

「ええ、まあ。それがなにか」

「あのう、尋ねたいことがあるんです。その、クラーク様の性癖というか、嗜好についてなのですが」

「なんでしょう」


 パンを細かくちぎりながら、エリザベスは視線をあちこちにやり、決心したかのようにバートを見つめた。


「クラーク様は、その……痛くされるのを悦ばれるのでしょうか?」

「は?」


 バートはびっくりして、目も口もぽかんとあけてしまう。

 エリザベス自身も焦っているのか、パンを一層細かくちぎっているが口にしようとはしない。


「毎朝クラーク様がご自分の頬をつねってくれと。平手でもよいとおっしゃるのです」

「おやじどのが、毎朝」

「それで、平手はあまりな気がして軽くつねるんですが、もっと強くしてくれと。頬が少し赤くなる程度ですがつねると、その……とても満足そうに笑うのです。わたくし特殊性癖には疎いのですが、世の中には痛くされると興奮する方がいらっしゃると聞いたことがあります。クラーク様も、そのようなお好みなのでしょうか?」


 バートを信頼して告白したのだろうが、当のバートはもはや食欲も失せ、混乱の渦中にいる。


「ちょ、ちょっとお待ちください。親父殿が、つねられて悦んでいる、と」

「はい。毎朝のことなので。わたくし、クラーク様のお好みを受け入れるべきか、受け入れるとしたらどうすれば悦んでいただけるのか迷ってしまって。乗馬鞭や踵の鋭い靴もたいそう効果的、などとも漏れ聞いた覚えがあるのですが……」


 エリザベスの危惧にバートの思考がようやく追いつく。

 同時に忘れかけていた鳩尾の痛みが、ずくり、とバートを襲った。腕で押さえながらバートは低い声を吐き出した。


「奥様のご心配には及びません。おっさんにそんな性癖はありません、私が保証します。ただ何故そんなことを言い出したかは心当たりがありますので、今から親父殿と話をつけます」

「ああ、ないのなら……。クラーク様とお話なさるのですか?」

「ええ、二度とそんなお花畑な発言をしないように、きっちり、ぎっちぎちに話をさせていただきます」


 にこやかに言い放ち、塔へと姿を消したバートの後ろ姿を見送ったが、エリザベスはどうにも落ち着かない。

 ほどなく塔の上から聞こえたうめき声のせいかもしれない。



 まだまだ危うい関係なのかもしれない。まだ婚儀をあげて数日なのだから、安定への道は遠いもの、そんな風に自分に言い聞かせて。


 エリザベスは一人朝食を取りながら、お茶のおかわりを勧めるアダムスに微笑んだ。








 


 

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