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この危うい関係  作者: 素子
本編
46/52

46  雄叫び

 無言で、息が荒いままで近づいてくるクラークの迫力は並ではなかった。

 ひたり、と見据えられたままなのが、狙われているような感覚を倍増させている。

 エリザベスが下がった以上に、クラークが大股で近づいてくる。

 とうとう壁際まで後ずさり、エリザベスは動けなくなった。


「クラーク……様」


 クラークの息遣いだけが部屋に響いて、いやが上にも緊張を強いられる。

 エリザベスの顔の横の壁に、大きな手が押し当てられた。それを横目でうかがいながら、クラークに語りかける。


「どうぞ、手をどけてください。このようなことは、ご身分に相応しくありません」


 それでも返事はなく、ふうっふうっと荒い呼吸とぎらぎらとする眼差しが至近距離から降り注ぐ。

 ――この人は神にはやれん。

 言い放たれた後で強引に修道院から連れ帰られ、今はクラークの作り出した檻に囲われている。

 いったいどういうつもりなのだろうと、困惑と疑問がエリザベスの中で渦巻いていた。


「今なら忘れ物を取りに戻ったとすればよいでしょう。わたくしは修道院に……クラーク、様?」


 未だクラークから言はなく、ただ荒い息のみが降り注ぐ。

 エリザベスはどんどん居たたまれなくなってきた。

 ゆっくりと顔が下りてきて目線が同じになる。獲物を前にした熊としか思えない厳しい表情だった。未だ整わない息のまま、クラークはぶんと首を振る。


「ね、聞き分けてくださいな」


 エリザベスの困惑混じりの願いも首を振ることで一蹴し、じわりじわりと髭の強面が迫ってくる。


「クラーク……さま」

「こ」

「こ?」


 ようやく発せられた言葉をエリザベスは繰り返した。恐ろしいほど真剣な表情で何度か唇を舐めて、クラークは再び口を開く。


「こっ、ここ、ここっ」

「……鶏ですか?」


 これにはぶんぶんと首がもげる勢いで否定される。

 以前にも同じようなやりとりをした覚えがと思いながら、エリザベスはクラークに囲われたままとにかく次の言葉を待った。


「こ、ここ、ここに、居てください」


 ようやく人語が、とほっとしたのも束の間で意味を捉えてエリザベスは苦渋を滲ませる。あたわないから、修道院行きを決意したのだともう一度はじめから説明しようとしたのだが。

 熊親父の迫力が阻んだ。


「どうかっここにっ、いつまでもっ。お願いです」

「わたくしは弱くてずるいのです。考えた末での決断ですのでどうぞ修道院に……」

「どういう、意味でしょう」


 クラークにしてみれば会話が成り立ったものの想いが通じない。腕の中で自嘲とも諦念ともつかない表情を浮かべたエリザベスは、そっと睫毛を伏せた。


「飾りの正妻として領地の城にいるのも、クラーク様が他の方と子を成すのもわたくしには辛いのです」

「あ、の、飾りや他の方とは一体……?」

「カデルの王城のような境遇に身を置くのは、もう耐えられそうにありません。ここはとても好きなところになりましたが、捨て置かれるくらいなら修道院にいる方がよほど心が安定いたします」

「捨て置く……?」


 エリザベスの話に、クラークの頭の中が疑問符だらけになってしまう。

 何を言っているのだ、さっきから。


「お待ちください。私にわかるように説明をしてください」

「わたくしには子供がなせない――のはご存知でしょう。跡継ぎが必須なお家では致命的です。当然跡継ぎを得るべく、クラーク様は愛人を迎えることになります。お子が生まれれば、養育はわたくしにとなるかもしれません。それが耐えられそうにないので、最初から正妻にならない道を選ぼうと思ったのです」

「跡継ぎ……」

「政略に基づいたかりそめの婚約ですから、履行しなければ誰も傷つかないでしょう? クラーク様はしかるべき方を娶り、わたくしは嫉妬することもなく後ろ指をさされることもなく静かに過ごせます」




 エリザベスを蝕むフローラの呪詛は、目を背けようとしてもかなわない事実としてのしかかっている。


 ――子供も作れない、国王にも愛されない、つまらない女だと。さっさと身を引くか後を追えばいいのに。前回も今回も政略で、自身が望まれたことのない。クラーク様にも名前も呼んでもらえていないでしょう。

 ――跪いて求婚された? 好きだ愛していると言われたことはある? ないでしょうよ。あんたみたいな取り澄ました女は政略以外でなんて求められないくせに。

 ――跡継ぎも生めずに今度は伯爵家を、いいえクラーク様の侯爵家を潰すつもり?


 どれをとってもその通りだ。自分が惨めなのも辛いが、跡継ぎをなせずにクラークの侯爵家が揺れるのはもっと嫌で。

 離れてしまえば、修道院に身を置いてしまえば、他の女性と子供と幸せそうなクラークを見ずに済む。心弱さゆえに逃げ出すのだと結論づけ、エリザベスは微笑んだ。

 

「ですから……手を離してわたくしを修道院に送ってください」

「……です」


 唸り声とともに掠れた囁き。

 顔の横についていた手が小刻みに震えているのにエリザベスは気付いた。壁からゆらりと離れた手が、がしりと肩に食い込む。背中を壁に押しつけたまま、クラークがまた詰め寄った。

 ほとんど距離をなくして、エリザベスは後方を正しく壁に、前方を動く壁に挟まれる。

 不穏な動く壁は、地の底からのような声音を発した。


「お……断り……です。神にはやれんと、申し、ました」

「クラーク、さま」

「政略でもなんでも、私はあなたと婚約できてこれ以上の幸せはない、と感じました。心から願っています。あなたに、私の妻としていつまでも側にいて欲しいのです。どうか、私とともに――リズ」


 唐突に眼前の壁が消えた。のではなくクラークが跪いた。

 肩の手は一旦は離れたもののすぐにエリザベスの両手を握りしめて、ともすれば握りつぶしそうな圧力を加えている。

 エリザベスはといえば、混乱していた。


 名前、と、求婚が同時に。しかもクラークが自発的に。


 わき上がったのは歓喜。ただそれも我に返れば表に出せないと自制する。


「だめ、です。わたくしは子供が」

「そんな未来のものより、私は今のあなたが欲しいんです。跡継ぎなど親類から見繕えばよいのです。赤子への加減はわかりませんが、年長であれば厳しく躾もできますから」

「で、も」

「私は絶対にあなたをよそにはやりません。いいですか、絶対にです、エリザベス、いや、リズ」


 決然と跪いたままのクラークが言い放つ。

 がっと上向いた顔には走る傷、必死の形相で恐ろしささえ感じさせるもの。

 ただその瞳が真摯で、どん、とエリザベスを射貫く。

 

「レディ・エリザベス・アン・プレストン。山賊の妻になっていただけませんか」

「――さんぞく、ですの?」

「ええ、山賊の末裔たるクラーク・ベケット・ウォーレンの、最も輝かしい戦利品になっていただきたい」


 尊大な口調とは裏腹の不安とすがるような目線を間近に受けて、エリザベスも知らぬ間に膝をつく。

 手を握られたままクラークに確かめた。


「わたくしで、本当によろしいのですか?」

「リズ、あなた以外に考えたことはありません。どうぞ、返答を」


 みるみるうちにエリザベスの双眸から涙が溢れ、クラークはたじろぐ。

 拒否されるのだろうかとおののくが、唇は弧を描いて泣き笑いを浮かべている。

 握られただけの手をエリザベスは握りかえした。


「クラーク様、嬉しいです。喜んで山賊の妻になりますわ」

「――リ、ズッ」


 衝動のままに手を引き、クラークはエリザベスをきつく抱きしめた。

 あまりの多幸感で今ひとつ現実味に乏しい気がしてしまうが、腕におさまる温もりと柔らかさと甘い香りで、夢ではないとじわじわとした感覚が立ち上っていく。


 

 塔の下で落ち着かずにいた人々は、雄叫びを聞いた。

 アダムスはかっと目を見開いて腰を浮かし、塔への階段をうかがう。斧と槍を持たせて待機していた者に合図を送って、階段に足をかけようとした。

 叫びは一度あったきり、また塔は沈黙を取り戻している。

 アダムスは主を信じてはいる。が、万一の場合も考えないではない。

 さっきのあれがレディを手にかけた末のものだったら、という最悪の恐れだ。


 主の言いつけを守りながらも心中は焦れて仕方ない、そんなアダムスの耳に階段を下りてくる足音が聞こえてきた。

 直立不動で塔の階段を見つめるアダムスは、二人の姿に安堵のあまり詰めていた息をほっと吐いた。


 エリザベスは泣いた後のようだし、クラークは顔がゆでたように真っ赤で皆の注目を集めまくっている。誰も声を発することなく、痛いほどの沈黙が場を支配する。

 階段の最後の段で立ち止まり、クラークは集まっていた使用人達を見渡して、いくぶんかぎくしゃくと頷いた後に軽く手をあげた。


「み、なには心配をかけたが、レディ・エリザベスは城に留まることになった」


 何人かが息を飲み、小さな歓声も上がる。わざとらしい咳払いの後で、クラークは重々しく宣言した。


「そして、喪が明け次第、私と婚儀をあげるのを了承してくださった」


 今度こそ歓声が響いた。

 顔を見合わせて手を取り合う者、斧と槍を突き上げて祝福の意を表すもの。

 中に修道院からとって返したバートと護衛達もいた。

 バートは拳を突き上げ、声にならない快哉を叫んでからおもむろに二人に近寄った。


「おめでとうございます、親父殿。レディ」

「お前には世話をかけた」

「全くです。で、いつ喪が明けるんですか?」


 バートの質問にクラークは隣のエリザベスをうかがった。

 喪服を感慨深げに見つめていたエリザベスは、クラークを見上げる。


「夫と父の喪を一緒に考えるならあと数ヶ月、別々とすればそれに一年が……」

「いや、いやいや、リズ。まとめてでしょう。一年以上など待てっこありません」

「……おっさん、どれだけ辛抱きかないんですか」


 バートの呆れた声も、バーサのうれし涙も、アダムスの夕食はご馳走だという触れも、全ては二人への祝福に他ならなかった。







 

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