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この危うい関係  作者: 素子
本編
41/52

41  出立日

 朝食の席にはクラークとエリザベス、そして客人のフローラがいた。

 ずっと客室で食事をしていたフローラが最後だからと姿を現した。ヒューは扉の脇に立ちながら、反対側にいるバートにだけ聞こえる声をかける。


「バートさん……俺、なんかすごく怖いんですが」

「落ち着け。何が怖い、ただ食事を取られているだけだろうが」

「いやそうですけど。そうなんですけど」


 座る熊親父の右隣にエリザベスが位置して、フローラが左隣に落ち着いている。エリザベスの隣をすすめられていたのを、やんわりと断った上での着席だった。

 ――クラークのすぐ脇に。


 クラークとエリザベスは無言で、フローラも食事中には静かにしていたのが、食後の飲み物を手にしてクラークに微笑みかける。


「思いかけず長い間お世話になりました。ありがとうございます」

「いや。昨日も伝えたとおり、旅の無事を祈る」

「クラーク様の優しさに甘えてしまい申し訳ありません」


 ヒューが引きつったような呟きを漏らす。


「レディが……完全に無視されていませんか?」

「言うな」


 短く咎めたバートだが、目の前で繰り広げられている光景はせっかく治りかけている胃痛を呼び覚ます。

 誰も本音を悟らせるような真似はしないが、演じているのが騎士団長と元王妃、花街随一の女性の伯爵令嬢とあって漂う緊張は例えようもない。それぞれがそれぞれの分野でのある意味頂点を極めた人物が、自制に富んでしかも優雅な仕草で食事を取っている。

 ある意味貴重な光景かもしれないとバートは思う。そして自分はけして、けっして混じりたくない、と。


「私、ここに来てよかったと思っていますの。伯爵様のことは残念でしたが、思いがけず養女にしていただきました。クラーク様という最高の証人がおりますから、誰も異議は唱えられないでしょう」

「……伯の書類はきちんとしていて、ご自身の意思も確かだったから私でなくとも」

「いいえ。私もクラーク様に認めていただけたのが、なによりと思っています」


 クラーク様、優しさ、認めていただけた……。単語ひとつひとつに幾重もの意味を含ませる。柔らかな表現ながら、組み合わせればかなり意味深だとバートは苦々しさで唇が歪みそうになった。

 さぞかしレディは、と注目するとエリザベスは静かにお茶を飲んでいる。動揺のそぶりすらない様子に、顔は熊親父にむけているのにフローラが注意を払っているように感じられた。


「とにかく、伯の領地までは日数がかかる。なるべく危険な道や時間帯は避けてくれ」

「ありがとうございます。伯爵様の棺があるので、それでも早く到着しなければなりません」

「今朝出立すると昨日は……」

「ええ、礼拝堂で伯爵様の棺を移してからですわ」


 別れに寂しさを滲ませる表情と口調になり、フローラは茶器に視線を落とした。

 ヒューなど儚げなフローラに、そこはかとない同情を覚えるような眼差しでいる。バートはこいつ、と思いながらできるだけ早く女狐一行を追い出さないとレディももちろんだが、熊親父の動向が恐ろしいと危惧する。


 王都からの返事はまだ来ない。おそらく秘密裏に調査し証拠を固めているために、時間がかかっているのだろうと予測はしても焦りは否定できない。一味を捕縛し王都に連行して視界から一掃すればどれほど気が休まるか。願望を抱きながらも、現実はかなわず一行が悠然と出て行くのを黙って見送るしかない。

 熊親父はさりげない体でレディをうかがっているな、とバートは理解する。同時に女狐もそれを認識しているに違いないとも。


「では支度にうつります。クラーク様、エリザベス様、どうぞごきげんよう」


 優雅に会釈をしてフローラは立ち上がり、客室へと足を向ける。

 喪服に包まれた花は女王然として退場した。

 姿が完全に見えなくなって、クラークはぎゅっと眉根を寄せる。


「レディ。ご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」

「ウォーレン卿のせいではないでしょう? わたくしなら大丈夫です」


 エリザベスは微笑を浮かべてクラークに返事をした。こちらも部屋に戻るために腰を浮かせた。クラークはエリザベスに手を差し出す。

 部屋まで送り届けて、階下の自室に入った。


「親父殿。浮かない顔ですね」

「女性が何を考えているかわからないのが、これほど不安で焦燥を呼ぶものとは思わなかった」

「ああ、まあ、でも、親父殿ですから、女心とは対極にいても仕方ないでしょう」


 バートの指摘に腕組みをしてクラークはむっつりと黙り込む。

 フローラが何かを企んでいるようなのは間違いない。クリームを前にした猫が舌なめずりをするように、何かへの期待ではちきれんばかりだ。

 貴族令嬢として凱旋するからか。それとも……。いくら考えても可能性は挙げられても答えは得られない。



 エリザベスは、自室に戻って外の景色に緊張を解いた。

 フローラがいるのも今日までかと、感慨を抱く。王妃だった頃をフローラは思い出させる。夫の周囲で笑顔を浮かべ、ちらりとよこす視線に色々な意味をこめる。妻としての矜持に傷を付けられ、あるいは憐れみや同情を寄せられたり、おしなべて愉快ではなかった。

 割り切ることを覚え義務と責任に忠実にあろうとしても、欲しがる気持ちは消えてはくれない。

 期待と諦めは交互に押し寄せる。そして戦になり、国王であった夫が死んだ。

 エリザベスには最後まで向き合わないまま。


 フローラはあの頃の女性達を集めたかのように強烈だ。魅入られるような容姿もさることながら魅惑的な声音、機知に富んだ会話、なにより雰囲気をつくりあげるのが抜群にうまい。自分が男性ならまず間違いなく錯覚する、そこまでいかなくても強い印象を受ける。

 エリザベスにしたって、フローラの牽制は理解しているつもりではいる。

 それでも今回は退くつもりはない。せめて最後は静かに見送ろうと決めた。



 ベニーズ伯やフローラの荷物を、伯の従者や後からやってきた伯爵家の使いが荷馬車に運んでいる。クラークの城の使用人達も手助けし、わいわいと騒がしい。

 ジェマとルイザも旅支度をするフローラのところにいる。一人部屋にいたエリザベスに、司祭から使いがよこされた。


 ――たいへん申し訳ないが、薬の追加を頼みます。


 立ち上がり侍女を伴わずにいたって気軽に部屋を出る。扉を守っていた護衛一人についてきてもらって、急ぎ足で礼拝堂に向かう。

 薬草室に入ると困り顔の司祭がうろうろと歩き回っていたのが、ぱあっと顔を輝かせてエリザベスのもとに歩いてきた。


「レディ、急な話で申し訳ありません。どうしても余分が欲しいとのことで……」

「わたくしはかまいません。出立まであまり時間がありませんので、急ぎましょう」


 紙に記された薬に目を通して急いで当該の薬草を手に取り、薬を作り始める。

 手持ちぶさたな護衛が入り口で中をうかがう間にも、薬草をすりつぶし粉と混ぜて慎重に水を加えていく。ある程度のかたさになると司祭と一緒に丸めて丸薬にする。黙々と動き回って、どうにか薬が完成した。

 司祭が護衛にフローラの一行に手渡してほしいと、できあがったばかりの薬の包みを渡した。足音が遠ざかり、エリザベスはほっと息をついた。司祭が遠慮がちに声をかける。


「レディ、本当に助かりました」

「いいえ。旅には不慮のできごとも多いですから、備えがあれば心強いでしょう」

「そうおっしゃっていただけるとありがたいです。喉が渇きませんか? いま、お茶を淹れましょう」


 確かにとエリザベスは司祭の申し出に甘える。ややあって香りのよいお茶が運ばれた。

 ふわりと濃厚で甘やかな蜜の香りがたちこめる。司祭に目を向けると優雅な笑みがかえってきた。


「私のいたところの特産の蜜です。疲れている時には効くんです」

「ありがとうございます」


 蜜と薬草と茶葉の複雑な味わいが喉をすべる。瞬間なにかを思い出しそうになったが、するりと消えていく。

 お茶を飲んでエリザベスは一度部屋に戻ろうかと迷った。出立の準備が整えば、礼拝堂からベニーズ伯の棺が運び出される。見送るのならここで待っていた方が効率がよい。

 司祭も待機するほうを勧めた。


「こちらの部屋にいらっしゃれば、時間になれば私が声をかけますから」

「お願いします」


 調薬に使った道具を片付け、エリザベスはもう一度腰を下ろした。

 外の喧噪を聞くともなしに聞いていると、そのうちにふわり浮き上がるような感覚を覚えた。次第にめまいも感じる。

 急にどうしたのだろうと額に手をやり肘を卓につけて揺れる上半身を支えようと努力した。


「レディ、どうなさいました?」


 司祭がかがみ込んで覗く。確実に重くなる頭をどうにかあげながら、エリザベスは返事をしようとした。


「……なん、だか、急に体が……重くなって」

「お疲れでしたか? 休めるようにいたしましょう」


 脇に腕が差し入れられて立ち上がるが、足に力がはいらない。

 物が二重に見え司祭の顔がぶれ始める。

 おかしい。おかしすぎる。異常に気付いた時には遅かった。

 意識を失う寸前に、司祭が恭しい口調になる。とても丁寧な――。


「どうぞ、よい夢を」




 薬をとどけた護衛が礼拝堂に戻る。司祭がベニーズ伯の棺を整えていた。伯の領地の館から持ってきた紋章入りの棺だ。

 白絹に綿を入れて規則正しく縫い止めた分厚い内張を整え、伯の遺体を仮置きしていた棺の隣に置いている。司祭は護衛を認めて微笑んだ。


「ちょうど良かった。伯爵様を移すのを手伝ってはいただけませんか?」


 礼拝堂の外にいた城の人間を呼び入れて、数人で伯爵の遺体を移し替える。

 フローラも礼拝堂に現れて、籠に入った沢山の花で伯の周囲を飾る。物言わぬ伯爵の髪をそっとなでつけてフローラは深々とした吐息をもらした。

 棺の蓋が載せられて途中で外れないように固定される。

 伯爵の使用人達がぐるりと棺を囲み、合図とともに持ち上げて馬車へと運ぶ。

 幌のついた馬車に棺をおさめ、それぞれ徒歩であったり馬車の御者台であったりと所定の位置につく。最後に目頭を手巾で押さえたフローラが、よろめきながら礼拝堂から司祭に抱えられるように出てきた。


「色々……お世話になりました。ありがとうございます」


 やっとのことで別れの挨拶を述べ、フローラは馬車に乗り込んだ。司祭はフローラを落ち着かせるためか手を握りながら優しく話しかけ、馬車の扉を閉じる。

 クラークやバートなどが見送って、フローラと物言わぬベニーズ伯は城を後にした。


 一行が城から離れていくのを見据えながらクラークはあたりに注意を払う。

 違和感があるのだ。割にすぐその原因に思い至る。


「レディはどうした」

「それでしたら告白の部屋にいらっしゃいます」


 行方は意外にも司祭からもたらされた。


「誰か付いているのか?」

「はい、ええと、護衛の方が」


 きょろ、と視線を巡らせ礼拝堂の中に護衛を認めて司祭はにこりと微笑んだ。

 クラークはフローラの出立にエリザベスが顔を出さない不自然さにいぶかる。告白の部屋へと大股で歩くが、司祭に慌ててとめられた。

 

「お待ちください。レディは中から鍵をかけられております。こちらからそっと様子をうかがってください」


 司祭が告白を聞くための小部屋にクラークは案内された。

 もとより狭い部屋はクラークと司祭でぎゅうぎゅうになる。そっと仕切りの小窓を開け、司祭はクラークを手招きした。

 薄暗い部屋には顔をうつむけ、両手を捧げるように胸の前で組んだ喪服の女性がひざまずいている。


「声はかけないでください。祈りの最中です」


 手首に扇子のようなものも認められ、クラークは物音をたてないように仕切りの小窓を閉じた。懺悔というよりは心にあるものを祈る姿のようだと考えた。

 念のため礼拝堂や懺悔の部屋の前にも護衛を立たせ、警戒するように指示してからクラークは城へと戻る。そしてフローラの出立のために遅れた執務を始めた。



 浮かない顔でバートに確認を取りに来たのはヒューだった。


「バートさん。レディが……ずっと礼拝堂にいらっしゃるんですが、いくらなんでも長すぎないですか?」

「お前達、声かけはしたのか?」

「それが……じっと祈りを捧げていらっしゃるから、邪魔するのも憚られてですね」


 フローラ達の使った部屋になにか怪しい節はないかと捜索していたバートは、ヒューの報告に時刻を確認する。

 司祭なら昼夜分かたずの長時間の祈りも儀式にはある。しかし……。

 ぞくりと背筋に這う嫌な予感に、バートは表情を険しくしてヒューを振り返る。


「礼拝堂に行く」


 

 礼拝堂に到着すると、クラークの置いていった護衛が周囲に立っている。

 告白の部屋に行きそっと扉を確認するが、司祭の言うように中から鍵がされているのだろう開かない。

 バートは小さく扉を叩き、遠慮がちに声をかけた。


「失礼いたします。レディ、そろそろ昼食の時間です。ここを開けてはいただけませんでしょうか」


 実際には昼食時間もだいぶ過ぎている。

 バートは扉に耳を当て中の様子をさぐるが、ことりとも音がしない。

 側に立つヒューの顔色が、心なしか青ざめる。


「バートさん……」

「お前は小部屋からレディが倒れていないか確認しろ。あと、司祭からここの鍵を渡してもらえ」

「はい、すぐに」


 さっきよりは乱暴に扉を叩くが、中で人が立ち上がったりする気配がない。

 小部屋に入っただろうヒューが、バートを呼ばわった。


「あの、跪いて祈りの姿勢を取られているんですが、話しかけても反応がないんです」

「司祭はどうした」

「それが……街に用事があると出て行ったそうで」

「くそっ、おい扉を破る。あと、大至急親父殿に報告しろ」


 言いざまバートは扉に体当たりを始めた。

 周囲の護衛にも何か扉を破る物を持ってこいと怒鳴り、肩をぶつけ足で蹴り続ける。

 予感が外れて欲しいと、無事な姿を確認できればと必死で、きりきりと痛む体表と鳩尾に嫌な汗を滲ませた。


 クラークが報告を聞き猛然と駆けつけ、斧などでもう少し、だった扉を愛用の武器であるハルバードで無造作に破った。めりめりと音を立て扉に大穴があく。

 中の鍵や閂も外してクラークは中に踏み込んだ。


「レディ」


 この期に及んでも微動だにしない肩を後ろから掴む。

 均衡を崩して倒れた藁の人形と喪服に、クラークの形相はこれまでに無いほどに凶悪になった。


「ウルススに鞍を付けろ。レディが――拐かされた。おそらくフローラ達が関わっている。追いかけて、全員を捕縛しろ」


 ハルバードを片手に敵も味方も震え上がったと伝えられた音量で、クラークは吠えた。

 信じられないくらいに早く準備の整ったウルススに飛び乗り、手綱を握って単騎で走り出した。

 

「親父様に続け、道を封鎖するぞ」


 慌てる護衛や騎士達に指示を飛ばしながら、バートは気遣わしげに熊親父の走り去った後を見つめた。

 あんな熊親父は付き合いの長い自分でも見たことが無い。

 怒り心頭でもあり、それすら超越しているようでもある。


「おっさん……レディ……」


 祈るような思いは彼らの無事と、拐かした側がせめて生きていてほしいとの両方だ。

 あの様子では追いすがった熊親父が殲滅しかねない。






 

 

 

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