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この危うい関係  作者: 素子
本編
37/52

37  外周り

「バートさん、死ぬ、死んでしまいますっ」

「何、鍛えてあるお前達だ。大丈夫だろう。何一つ見落とすことのないように、女に目が眩んだその眼をしっかりと開いて調べろ」


 下から聞こえてくる泣き言に大声で怒鳴り返し、バートはヒュー達四人の『外周り』を見守る。城は三方を崖に守られている。今ヒュー達は命綱をつけて、崖に面した城の外壁に吊されていた。


「しっかり修繕箇所を見極めろよ。見落としているとそこから崩れてしまうからな」

「バートさん……」

「おら、しっかり『外周り』をやれ」


 ぐずぐずしていると命綱を揺らすぞ、と脅しをかけて城の外壁で修繕の必要そうな場所を調べさせる。

 本来なら農閑期の領民を使ってもいいのだが、街の修理に追われている彼らを連れてくるわけにはいかない。窓から視認できる範囲はいいが、目の届かない場所で老朽化していたりあるいは抜け穴など掘られていたりすると厄介だ。

 バートは懲罰としても訓練としてもちょうどいい、と構えていた。

 ひいひいと泣き言が聞こえるような気もするが、何、任務に燃えているのだろうと解釈する。口の横に両手を当てて、バートは大声で呼ばわった。


「城の三側面が終わったら、今度は崖下におりて岩盤を調べるのも残っているからな。早く終われ」

「鬼ぃ」


 なんと言われようと主の外面内心の鬼ぶりに比べれば、とバートは涼しい顔でヒューの命綱を軽く揺らした。また、盛大な悲鳴が聞こえてきた。



 クラークは客室でベニーズ伯の遺体と対面していた。つい先頃までは老体ながらも動いていたのが、今は物言わぬ存在として横たわっている。顔に苦悶の表情はなく、病でやつれてはいても貴族の風貌を漂わせていた。

 ベニーズ伯に視線を向けたまま、背後に控えているアダムスに問いかける。


「伯の領地への連絡は?」

「早馬を出しました」

「伯の供の者達はどうしている」

「はい、襲撃の後こちらに連れてきて監視をつけてございます」


 アダムスの受け答えに、クラークはぎゅっと眉をよせて黙って考え込む。

 側には司祭も控えていて死者への祈りを捧げていた。ここにフローラはいない。ベニーズ伯の臨終を迎えて自分が倒れて寝込んでいる。


「伯の死は自然死か?」


 クラークの投げかけた質問に、祈りの声が途切れた。組んだ手はそのままに、寝台の側に跪いていた司祭が顔を上げる。


「それは間違いなく。むしろよく旅をして夜会に出席できた、とそちらの方が驚きに思います」

「ふ……む」


 フローラが手を下したのかと考えていたが、邪推だったか。

 むしろ花街秘伝の強壮剤で伯の状態を持たせていた、と見るべきか。

 さっさと城から放り出したいところだが、単なる気鬱ではなく熱まで実際に出しているとなれば、多少回復するまでフローラを置いておかねばなるまい。


「伯の供の者と一緒に追放するわけにはいかぬか」

「臨終に際して養女になりました。今の身分は伯爵令嬢……すげなくたたき出せばさすがに非難は免れますまい」


 まだ意識がしっかりしているうちにとクラーク自身が呼ばれ、司祭と公証人、複数の身元のしっかりした証人の前で、ベニーズ伯の口からフローラ・アンダーソンを養女とする旨の意思が発表されて、手続きがなされたのだ。

 伯の精神状態もしっかりしていたし用意してあった書類にも不備はなく、滞りなく手続きは終わった。涙にくれるフローラと手を握るベニーズ伯をどこか醒めた思いで見つめながら、客室を出たのがつい最近であったのに。


 フローラの涙が厄介なのは身にしみているクラークは、苛立たしげに頭を軽く振る。

 証拠が出ていない以上ご婦人を、加えて貴族の令嬢となった者を粗略にはできない。たとえ、個人的には限りなく腹立たしい相手であっても。


「やむを得まい。ベニーズ伯の遺体を放り出すわけにもいかぬから、棺に入れて礼拝堂に納めよ」

「承知いたしました」


 アダムスは棺を調達すべく部屋を出て行く。

 クラークは司祭に改めて聞きたかったと、この機会に便乗した。


「司祭殿。あのフローラ……に何を話したのか、お聞かせ願いたい」

「はい、汚れた身とだいぶ自身を卑下していて、クラーク様やレディ・エリザベスへかなりの憧憬と畏怖を抱いているようでした。特にレディへは元のご身分が王妃であったせいか気後れしていたので、私からレディの飾らないお人柄やご様子を教えたのです」

「……なるほど」


 人を信じることから入る司祭らしい、と思いながらクラークは嘆息する。

 おそらく問われるままに、司祭はエリザベスのことをフローラに話したのだろう。それこそ、身につける香水から呼びかけ方まで。

 で、うかうかと嵌まったのが愚かな自分だと。


「フローラも仮病ではないのだな」

「はい。疑う余地はありません」


 確かに自在に発熱できれば魔女の類だ、とクラークは納得するしかなかった。

 死するベニーズ伯に静かに礼をしてアダムスが連れてきた数人の者と入れ替わりに、客室を後にした。

 ベニーズ伯の病死に、伏せるフローラ――ベニーズ伯爵令嬢。この奇妙な符号の意味するところを解き明かそうと熟考するクラークの人相はたいそう凶悪で、子供が見れば大泣き間違いないほどだった。



 エリザベスは、塔でぼんやりと外を見ている時間が長くなった。

 喪服のエリザベスが扇子を手に窓際の椅子にかけて、外を眺めやる。確かに塔からの景色は素晴らしく城に働く者にとっても誇れるものだが、心ここにあらずという様子にルイザとジェマは気まずげに顔を見合わせる。

 喪服に包まれた顔色は白く、表情は冴えない。

 原因など分かりきっているが、エリザベスが口にしようとしないのでルイザもジェマもなかったものとして接している。

 

「レディ、お茶が入りました。こちらのお菓子と合わせるととても美味しいですよ」

「ありがとう、いただきます」


 窓からルイザを向いたエリザベスの笑顔は儚げだった。

 自分をよろうような、どこかよそよそしさを感じる。申し分のない態度だが以前のような高貴でありながら飾らない、温もりのある心の通い合いが消えてしまった。

 無理からぬことと納得しながら寂しさをぬぐえないルイザは、強いて明るい態度でお茶を勧める。


「美味しいこと」

「ようございました。お食事があまり進まない様子ですので、心配しております」

「塔にいて体を動かしていないからでしょう。量を少なめにしてください」

「……料理人に伝えます」


 まつげを伏せ、静かに茶器を口に運んでからエリザベスはごちそうさまと切り上げた。とりどりに揃えた菓子も食べ過ぎると夕食に響く、とあまり手を付けられていない。

 部屋を出ようとするルイザの目に映ったのは、首を巡らせて窓の向こうを眺めるエリザベスの姿だった。

 側に残るジェマにかすかに頷いてから、ルイザは重い気分で階段に足をかけた。



 クラークもまた階段を下りていた。違うのは地下へと繋がる階段で、空気は埃と黴の匂いを含んで淀んでいる。

 背後のバートもまた無言で付き従う。光から闇の世界へと二人で沈む先には、城に設けた牢がある。


「素直に話す気になったか?」


 のろりと上げたその顔から頭にかけて、包帯が巻かれて古い血が滲んでいる。

 億劫そうに身じろぎしたのは、捕らえられた襲撃者の頭目だ。

 無言でふいと視線を逸らす姿からは、まだ反抗の気概が消えていない。それでも日に日に気力が萎えているとクラークは判断した。


「誰に忠義だてしているかは知らぬが、お前を助けようとする動きはまるでないぞ」


 わざと冷淡な物言いをしても予想の範疇なのか、さして反応はない。

 ウルススの蹴りを受けてなお生き延びたのは運の強い男とみるが、所詮は使い捨て扱いかと憐憫も覚える。果たして黒幕はこの忠義に値するのだろうか、とクラークは男をおもんぱかった。

 どのような者であれなにがしかの思いを抱えている。行動に至る動機も様々だ。手がかりを探してここに戻ってきたのは、上で事態が動きつつあるからだ。


「ベニーズ伯を知っているか? 亡くなられた」


 それまで何を聞いても反応がなかった男の、膝に置いた手が初めてぴくりと動いた。 

 ただそれきりで、男はむっつりとした顔を崩さない。


「誰に命じられたかはまだ言う気にならぬか? 共に捕らえてある奴らは実に口が軽い。ある程度まではたぐれているが、事実の突き合わせをしたいのでここに来た」

「……俺は何も知らん」

「ほう? 知らない間にここまで来て武装して人を襲ったと。まあいい。メイジ、という名が上がっていてな」


 今度こそ男の体がかしいだ。唐突に出された名を知らぬとごまかす暇もない。

 クラークは目を細めた。


「自身は既に一線を退いてはいるが、かつて名の通った騎士だ。後進の面倒もよく見ており傾倒する若手も多かったと聞き及んでいる。一時期、ベニーズ伯の元に身を寄せていたそうだ。奥方が伯の遠縁だとか」


 淡々と紡がれる内容に反応しまいとしてか、片手できつく反対の前腕を抑えている。


「ひどい病の床にあるそうだ。看病する者もいないとは不憫なことだ」


 はじかれたような、と表現するにふさわしい。愕然とした表情で、今の話を信じられないと拒否するようなきつい眼差しを向けた。


「馬鹿な。腕のいい医者に診せると約束したのに、っ」

「誰がだ」


 底冷えのするような低い声。控えるバートですら背筋がひやりとする。激高手前の男でさえ、虚を突かれたほどの冷徹さだった。

 クラークはゆったりと立っている。それなのに威圧感が増した。


「お前は、誰かと約束を交わして武器を取った。ところが約束は果たされず、恩人か? メイジという老騎士は医者にもかからず床に伏せっている。このままでは早晩死ぬぞ」

「あ、の野郎」


 地の底を這うような怨嗟の声が、かさつきひび割れた唇から紡がれた。

 血走った目はここにいない相手を探している。手はとうに取り上げられた武器を探すかのようにさまよっていた。


「お前がしゃべるなら――メイジは保護しよう」

「誰がそんな戯言を信じるか」

「そうか。これが届いているのだが、まあ、信じるも信じないのもお前次第だ」


 数通の書簡を男に放ると、男は取り上げて目を通す。

 ぶるぶると書簡を掴んだ手が震える。クラークは男の様子が変わっていくのをひたすらに待っていた。ずいぶんと長い時間が経ってから、男が一つの名を口にした。


「――ステイルだ」

「それがお前を騙した奴の名か。出自は?」

「本名かどうかは知らん。どんな背景かもな。まだ若くて気取った、くすんだ金髪と茶色の目の男だった。だが、紋章なら分かる。馬車の紋章を布で隠していたのが、周りをうろついていた浮浪児が引っ張っていた。山犬と二本の剣を組み合わせたものだった」


 ぴく、と反応したのはバートだ。クラークの側まで寄って耳打ちする。

 眉をひそめたままで一つ頷いたクラークは、男を見下ろした。


「メイジは既に私の配下の保護下にある。医者からの書簡がこれだ。ひどく危なかったらしいが、持ち直しそうだとよこしている」

「本当、か?」

「私は嘘は言わん。生死に関わることで偽れば、しっぺ返しを食う」


 懐から出した書簡を食い入るように見つめていた男は、肩の力を抜いて安堵のため息を漏らした。粗末な寝台から立ち上がってクラークに頭を下げた。


「感謝する。あの人に何かあれば悔やんでも悔やみ切れん」

「そう思うならさっさと情報を吐いて体を治せ。無罪放免にはできんが、証人としての心証がよければ……」


 含みを持たせて言葉を切り、クラークは狭い部屋を出て暗い廊下を歩き出す。

 扉を閉めて施錠してからバートが続いた。

 無言のままで階上に戻り、どちらともなくふう、と息が漏れる。


「ようやく、ですね」

「ステイル――テイルでテイラーか。下手な偽名だ」

「仕方ありません。テイラーで若い男というと、お世辞にも頭は回りませんでしたから」

「小ずるく立ち回るのは上手いではないか」

「否定はしませんがね」


 ようやく絞り込めた貴族階級の名に、安堵と苦々しさを同時に覚えた二人は裏付けと行方を早急に、と意見を一つにした。


「テイラーなら出世と女にしか興味がなさそうなのに、なぜ首を突っ込んだのか……」


 首をひねるバートをよそに、早い解決を望む一方でそうなればエリザベスが、とクラークは葛藤していた。

 バートに気付かれることもなく、自身で幕引きを早める真似になると自覚して、それでも脅威は払わねばならない。せめぎ合う思いは膨れあがるばかり。

 それでも少しずつ、外周りから状況が固まりつつあった。



 エリザベスは、再び塔から礼拝堂に足繁く通うようになった。

 乾燥の済んだ薬草の処理もさることながら、長い時間を祈りに費やす。


 礼拝堂には、ベニーズ伯の棺が領地からの引き取りを待っていた。伯の城付きという若い司祭が伯の紋章を施した立派な棺とともにクラークの城に到着したのは、伯が没してから十日ほど経ってからのことだった。




 


 

 

 

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