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この危うい関係  作者: 素子
本編
34/52

34  熊殺し

「様子はどうだ」

「目立たないように分散待機していたようです。内部に手引き役もいますね」

「――私の領民を侮ると、後悔するだろうに」


 愛用のハルバードも手近に置き、手に剣を握ってクラークは獰猛な笑みを見せた。

 バートも剣を手に、兜をかぶっている。面頬だけは上げて顔をさらしてはいる。


「では親父殿は城内に?」

「いや、私が出よう。お前が城を守護せよ」


 既にウルススを城の入り口に引き据えてある。城の周囲は崖、城に至る橋の前で迎え撃つつもりのクラークは、ふと塔の方向に目をやる。

 つられてバートも顔を上げた。


「ベニーズ伯と連れの監視を怠るな。外から閂をかけるつもりでいろ」

「心得ています」


 大股で歩むと、クラークは軽快にウルススに飛び乗った。

 主の興奮を知ってか、ウルススが弾むような足取りを見せる。自分と同様に武装したウルススの手綱を握り、クラークは号令を下した。

 


 城での動きに先立ち、宴の見物や護衛に紛れてやってきていた者達が武装して集合していた。城の周囲を囲むような崖を越えて堀を渡るのは時間がかかり、城から丸見えで弓矢の洗礼を受けるのが容易に予想される。

 騎馬の集団で街か農地を抜け、橋を渡るのがもっとも早く効果的だろう。ウェンブル伯はあまり手勢を連れてきてはいない。城が天然の要塞といっても入り込めれば制圧は可能とふんで、襲撃の責任者は手綱を握っている。


「おそらく戦場は橋の手前の丘になるだろう」

「こちらから駆け上がる形になるのが、不利だが仕方ない」

「城に火をかけても仕留めよと命令されているからな」


 戦場の悪鬼と対峙する恐怖を殺して鬨の声があがった。

 城へと向かう街の通りは広く取ってあるが、ところどころ左右からの家がせり出している部分があり、騎馬が集団で駆ける障害になっていた。

 その上、今夜に限って道の端に荷馬車が多く放置されている。宴の山車のつもりなのか飾り立ててあるそれらで、道は狭められ隊列は細長くならざるを得なかった。

 それでも重低音を響かせて駆け抜けようとした一団に、荷馬車から矢が浴びせられる。矢は甲冑で身を固めた騎士もそうだが、馬を狙っていた。


「どういうことだ」

「待ち伏せか?」


 馬から落ちた騎士達が混乱する中、屋根の上からも矢がおそう。最初の横からの矢の洗礼を越えた者も上からの矢にやられて負傷する者、絶命する者が出る。

 荷馬車は路地の間にとめられており、待ち伏せていた者は荷馬車に向かって剣や長槍を振るう襲撃者を尻目に路地へと退却していった。

 矢だけではない、農具の先を尖らせたような特異な武器やパイクと呼ばれる先端に星状の棘を付けた棍棒、革紐を利用したような飛び石でも襲われて現場は混乱に陥っていた。


 背後の騒ぎから逃げ出すように騎馬が全速力で走る。

 待ち伏せに人員を割けるはずもないのに、と後ろを振り返るとごく簡単な武装を施した者が路地や家の窓から攻撃を加えている。

 領民が武装しているのか? さすがに本格的に剣を振るわれればなすすべがないようだが、街を知り尽くしているようでちょこまかと逃げては機を見ての攻撃を繰りかえしている。家の窓や屋根から熱い湯がかけられてあちこちから悲鳴が上がった。


「ウェンブル伯の膝元だからか?」


 街ごと自警団のような奮闘ぶりに、街を抜けようとした一団は少なからず打撃を被っている。

 だが農地を抜ける別働隊は被害を受けていないはずだ。今からでも合流して立て直せばとの希望にすがり、目的地である丘を追い立てられるように目指した。


「おのれ」


 騎士同士の戦いならこんな卑怯な戦法は赦さないのに、とぎりと臍をかむが、街の迎撃者達にはそんな理論は通用しない。

 馬首を反転させることもかなわずに、混乱しながらなんとか罠と化した街を抜ける。


「農地から迂回した隊は無事でしょうか」

「待ち伏せるような場所があるとも思えぬ」


 全速力で駆けて息の上がるのをこらえながら、ひとまず態勢を整える。

 こざかしい真似をとひたすら忌々しい。それでも街を経由したのよりは大人数で到着した別働隊に安堵し、簡単に状況の説明を行う。

 ここから城までは一息だ。蹴散らしてくれる。

 さあ、と士気を上げるべく号令をかけようとした先に、丘の上に。騎馬の一団の姿が認められた。月の光に反射する鈍い金属の光沢。馬のいななき、なにより上から吹き付ける熱い気のようなものに襲撃者は呑まれそうになる。


「向こうからお出ましか」


 ここにウェンブル伯はいないとふんだ。定石ならば城を守っているはずだ。

 指揮官は副官とあたりをつけて、襲撃の責任者は声を張り上げた。


「敵だ、かかれええっ」


 こだまするように雄叫びを上げながら重装備の騎馬が丘の上を目指す。

 クラーク側は盾と、その隙間から弓兵を配している。ただ騎馬の最前線が一部でもクラークの側に食い入れば、勝機はある。

 その計算のもと、凄まじい勢いで人馬は丘の上を目指した。


「十分に引きつけて――今だ、射よ」


 間近の騎士に向けてと、弧を描くように距離の離れた敵へ二段階に矢が放たれる。ただ相手も警戒していて街の時のように密集してはおらず、大きな痛手にはなりにくい。

 次の矢をつがえる間にもみるみるうちに馬が迫る。

 目しか見えないように顔を覆う兜に、その範囲に入れば蹴り倒されるか潰されてしまう重量の馬の迫力はひとかたならぬ。

 大音量と気迫でさえ、相手への威嚇になり得る。


 しかし今回ばかりは相手が悪かった。

 迎えるのはハースト騎士団長で、戦場の悪鬼と評される熊親父で、それがひときわ大きな馬に乗り長槍の代わりにハルバードを握っている。加えて気迫が常にも増しての状態だった。

 あと少しで前線へという時、襲撃側の騎士は馬上で均衡を崩す。あっと思う間もなく、掘られた穴に馬が足を取られて横倒しになった。あちこちに穴が掘られているらしく、ののしりと馬のいななきが聞こえる。

 なんとか立ち上がっても弓矢が雨のように降り注ぐ。

 騎士として名誉ある戦いができないうちに、いたずらに味方は数を減らしていた。


「突撃、騎馬は前に」


 十分に引きつけてから、クラークはウルススを駆って躍り出た。


「あれはっ」

「戦場の悪鬼だ」


 向かってくる敵をハルバードの槍で突き、斧で払い、地面に倒す。

 近寄らせもしない。ウルススとクラークの周囲には風が起こり、血しぶきが舞う。

 穴をよけてクラークは戦い続けた。



 城では煙ときなくさい香りがたなびく。


「火事です」

「どこだ。すぐに消火にあたれ、敵の侵入を赦すな」


 大声で呼ばわりながらバートは塔の入り口で周囲を睥睨する。

 塔の上には十分な人員を配置している。中に入り込めないように、金属の板を重ねた扉で塔の最上部は塞いであった。

 バートは変則的に襲い来る敵にいささか難渋していた。黒い装束に身を包んだ敵は恐ろしく身が軽い。接近戦用と見える短刀を手に素早い動きで、懐に入り込もうとする。

 その身のこなしはつい最近覚えがあった。


「お前達。軽業の一味か」


 返事があるはずもなく、ただ鋭く空気を裂く音とともに細い、柄のない短刀が投げられた。それを払う間に肉薄される。


「甘い」


 

 短く吐き捨て、振り下ろされる短刀を手首を狙って籠手ではじき、すかさず腹に剣を突き立てる。防御よりも攻撃、機動性を重視したのか防具は革の鎧のみのようだ。

 革ごしに肉を貫く感触を覚え、すがりつこうとするのを蹴り倒す。血臭がむっと迫ってきた。裏方や見習いらしき者を含めて一味は何人だったかと、バートは必死に思いだそうとしていた。その一方で冷静に、ほとんど機械的に敵を切り伏せる。

 

「火はどうした」


 近くで戦っている兵士に大声で呼ばわると、慌てて広間を出て行く。

 

「レディに熱い思いや咳き込ませでもした日には、こっちが火にくべられてしまう」


 独りごちながら、小柄な敵を刺し貫いた。



 丘でも戦いは続いてはいたが、終局を迎えつつあった。

 上から下りおりる速度をあげた騎馬は恐怖しか与えない。もともと寄せ集めに近い上に、完全に気勢を削がれた襲撃者は敗走を始めていた。

 ――でなければクラーク達から蹂躙を受けている。

 情け容赦なく、剣をハルバードをふるったクラークに敵は恐怖を、味方は畏怖を覚えていた。

 総崩れになり、逃げようとした責任者は左後方から恐ろしい早さで近づく蹄の音を聞いた。恐怖に慄然としながら振り向くと、戦場の悪鬼が一心に追いかけてきている。

 馬首をめぐらせて対峙しなければ――理性と騎士の誇りは囁くが、本能は言うことを聞かない。そうこうしているうちに左側にぴたりと並ばれた。


 利き手に持った剣は振るいにくい。反対にクラークは右手にハルバードを握っていた。

 剣よりも遠くから攻撃ができる。

 声なき悲鳴をあげて逃れようとした横面を、ハルバードでしたたかに打ち付けられた。ふわりと体が浮いて、地面にたたきつけられる。痛みで息ができないうちに、喉元にハルバードの槍先を当てられた。


「待て、私は騎士だ。捕虜としても相応の扱いを……」

「名乗りも上げず、正当性のない襲撃を企てる騎士など、私は知らぬ」


 殺される、と恐怖する。股間を濡れた熱いものが、と思う間もなく馬の前脚で側頭部を蹴られ、意識が闇へととけていく。



 クラークは素早く周囲の状況を確認する。

 おおかた決したようだ。敵の戦意は喪失しており、負傷や落命している者が多数いる。

 味方の損害は……と見回してもどうやら少ないようだ。


「撤収する。こやつは一応捕虜の扱いをしてやるが、さっさと情報を吐かせろ」


 敵の頭目らしい騎士は失禁した後で気絶しているようだ。

 ウルススの首を叩いてなだめ、クラークは城を見やる。襲撃の内容や規模、なにより切望している黒幕の情報を得るべく息のある者は捕縛し、死人からも集められる情報はかっさらうつもりだった。

 夜中に始まった『戦』が終わる頃には、周囲は薄明るくなっている。


「レディ……」


 あとを任せて、クラークは橋を渡る。

 城の庭には興業の一座の張った天幕があったが、それがひどい有様を呈していた。天幕は引き倒され、切り裂かれして荷物が散乱している。

 緊張のまま城に駆け込めば、広間に黒い装束の死体が伏していた。

 バートが厳しい顔で何やら数えている。


「バート、首尾はどうだ」

「親父殿。軽業の一味が内通していたようです。ベニーズ伯には動きはありません。ぼやがありましたが鎮火しています」

「塔へは」

「入り込ませていません」

「よくやった」


 ハルバードをバートに預け、クラークは気のはやるままに階段を駆け上った。

 エリザベスの部屋に入り、室内に荒らされた様子のないのを一瞥してから、寝台を動かす。壁掛けをずらして、どんどんどんと三回叩いた。ややあって向こう側から細いがよく通る声が誰何する。


「ウォーレン卿……ですの?」

「いかにも、私です。レディ」


 かんぬきが外される音の後で扉が開き、緊張で表情をかたくしたエリザベスが姿を見せる。動きやすい服を着て、中に置いていた短剣を手にしていた。

 その顔がクラークを認めて、目を見開き潤んでくる。


「卿はご無事で?」

「ええ、この通りです」


 エリザベスは震える足で隠し部屋から出てきて、膝をついてクラークに抱きついた。

 同じように腰をかがめ、慌てたクラークはエリザベスを引きはがそうとする。


「レディ、血で汚れてしまいます」

「どこか怪我を?」


 血相を変えたエリザベスに、敵の血であることを伝える。


「ご無事でよかった、本当によかった……」

「レディ……」


 左腕でエリザベスを抱き留め、クラークは安堵でいっぱいだった。

 涙ぐんだ顔が上向き、そして視線をさまよわせて瞠目した。


「うしろ、危ないっ」


 エリザベスをかばって振り向いた先には、短刀を振りかぶる黒装束の――少年。

 殺意に満ちた眼差しはぎらぎらと光っているように思えた。

 エリザベスをかばった分だけ、反応が遅れる。頬を短剣の切っ先がかすめ、遅れて剣でまだ細い体を刺し貫いた。血の泡をふいて少年は力を失う。

 

「親父殿っ」


 バートが飛び込んで来た時には少年は絶命し、ごろりと転がっている。

 クラークは厳しい顔でまだ剣を手にして立ち上がっており、エリザベスをぴたりと傍らに寄せていた。


「大事ない。レディは無事だ。しかし一体どこから」

「広間から塔には上がれないと悟って、外壁を伝って窓から入り込んだのでしょうか。これだけ細いと身も軽いでしょうし」

「他に侵入者はいないだろうな」

「全部調べています」

「よ……し」


 ふらりとクラークがよろめいた。剣が床に落ちる。

 小さく喘いでエリザベスがクラークに取りすがった。


「大丈夫……です。バート、」

「分かりました」


 きびすを返したバートが階段を駆け下りたかと思うと、すぐに戻ってきた。

 なにやら薬と水の入った杯を手にしている。クラークはそれを受け取って薬を口に放り込み、水で流し込んだ。

 何度か頭を振ってしゃんとしようとしたが、再びよろめく。

 バートはエリザベスが混乱しているのをよそに、エリザベスの部屋の寝台にクラークを寝かせる。横たえる前に武装をといて、頬の傷を直に触れないように布で拭った。


「おそらく毒が塗ってあったのでしょう」


 息をのむエリザベスに安心させるように、バートは口角をつり上げた。


「なに。この体躯ですから、まず平気でしょう。さっき毒消しも飲ませましたし」

「毒消し……ですか」

「ええ、なぜか親父殿には通称『熊殺し』と呼ばれる毒が使われる傾向がありまして。対応する毒消しを常備しているんです」


 明日には回復しているでしょうと軽く言いながら、バートは城の内外の後始末と、部屋の警備を早口で指示する。

 エリザベスは束の間呆然としていたが、決然としたものを顔にみなぎらせてクラークの側に膝をつく。


「わたくしが看ます。方々はなすべき事を」

「分かりました」


 襲撃者の残した短剣を手に、バートは人をよこすからと言い置いて慌ただしく部屋を出る。クラークはエリザベスに笑いかけた。


「大丈夫、です。私は頑健が取り柄なんですから」

「いいえ。いいえ……わたくしは」


 クラークの手を握りしめ、エリザベスは渦巻く思いに圧倒される。

 

「毒は少量だっただろうに、いやに効く」

「ウォーレン卿」


 だが一晩たってもクラークの病状は回復しなかった。心配でたまらないエリザベスをよそに、バートが新たな薬をクラークに渡した。

 それを服用してクラークは口元に手をやった。

 軽く咳き込んだ後で、少量の血を認める。


「卿……」

「どうやら、あなたが王都で飲んだ毒と同じようだ」

「――予想がついていたなら、なぜもっと早くにそれ用の毒消しを飲まないのですか」


 わざと薬をのまなかったのだと気付いたエリザベスの詰問に、クラークは力なく笑う。


「きちんと熊殺し用の毒消しは飲みましたよ? それに、今回の襲撃とあなたへ奇禍をもたらした黒幕が同一か繋がっているか確かめる必要があったのです。この毒は非常に珍しい……故に入手できる人物も限られている」

「それで、ご自分を実験台にしたのですか?」


 答える前に汗がふきだすように出てきて、クラークは目を閉じた。

 しばらく二人きりにしてくれとエリザベスは頼み、扉の外で護衛してもらうようにバートに静かな口調でお願い――という名の命令をする。

 扉が閉まったのを確認して、しばらく毒と戦うクラークを見守った。

 薬の作用でか眠り込んだクラークの両頬を手で覆う。


「どうして、自分の体を張るのです。このままなんてことは絶対に赦しません。わたくしを置いていくことも。……置いていかないで。お願い、――クラーク」


 誰もいないのに密やかに呟いて、エリザベスはクラークにそっと口づけた。








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