03 日取り
空気を切り裂くような音はクラークの周囲に人を寄せ付けない。大振りの剣で型を取りながら体を動かす。
引いて構え、振りかぶって一歩を踏み出す。大きな体から振り下ろされる剣圧は、それだけで戦う男達の目を釘付けにする。
「……いつ見ても迫力ですね」
「親父様の本領は剣じゃないだろう」
黙々と型を取るクラークの周囲で、ひそひそと語られる。その中にはクラーク旗下のヒュー、イアン、ルイスが顔をそろえていた。副官のバートはまだ顔を出していない。
誰よりも早く来て入念に体をほぐして得物を手にするクラークの鍛錬は、見るだけでも勉強になるし自然と膝をつきたくなるような威厳にも満ちている。しばらく剣での鍛錬が続いたが、続いて手に取ったものに訓練場の緊張は一層高まった。
クラーク専用に造られたハルバードは、先端に槍、側面に斧、反対側には鉤、地面に接する部位にも石突と基本は押さえていながら、通常のものより大きく、重く、長い。柄の中央部分でさえなのに、端を両手で握って振るうと腕の長さに加えて格段に攻撃範囲が広くなる。
甲冑も関係ないとばかりに叩き斬る、馬上の騎士も先端の槍で地面に落とされる。戦場でハルバードを振るい、死体の山を築いていく姿は、まさしく戦場の悪鬼。
殺気はないが闘気をみなぎらせ、時折短く気合をこめた言葉を発してクラークはハルバードを操る。突く、薙ぐ、叩き込む、払う。多彩に攻撃と防御が可能な分、熟練していないとうまく操れないそれを、クラークは軽々と振り回した。
ハルバードを手に堂々と立つ姿は味方からはこの上ない畏怖と信頼を寄せられるが、敵からは恐怖の対象でしかない。
「誰か、手合わせを」
低く紡がれた低い声は正しく死亡宣告に等しい。直々の指導は受けてみたいが自分は可愛い。なかなか手を上げる者はいなかった。
クラークの茶色の目がゆるりと鍛錬場をさまよって、一隅に控えるヒューを捉えた。
「ヒュー」
ご指名に、ごくりと唾を飲み込みヒューは傍らのイアンとルイスをうかがった。
骨は拾ってやる、またはお前の犠牲は無駄にはしない。
イアンとルイスの伝えてくる勝手な激励を背にして、ヒューはクラークの前に立った。
「花街では羽目を外さなかっただろうな」
「……親父様」
「私には伴侶も子供もおらん」
さすがにハルバードではやる気はないらしく、クラークは鍛錬用の棒を手にした。それだって通常のでは物足りないと倍の太さのクラーク専用のものだ。まともに当たれば最悪骨折してしまう。
ヒューも棒を手に対峙する。いつもの鍛錬の流れだが、今朝はいつもよりもクラークのまとう雰囲気が恐ろしい気がする。けしてクラークは本気では来ないはず、こないはずだが、普段は盲目的においている信頼が今朝はこころもとないのはどういう訳だろう。
「こないのなら、こちらから行くぞ」
無造作に歩を詰めたようにしか見えないのに、大きな体躯には似つかわしくない俊敏さで肉薄される。
ヒューは棒を斜めに掲げて上からの一撃を受け止めた。
「――っ」
重い打撃に手が痺れるようだ。自分の力では、このままではじりじりと地面に縫いとめられてしまう。ヒューは棒を跳ね上げるように動かすとともに先端をクラークの喉に狙いを定めて懐に飛び込む。
速度と体重をかけて臨めば、急所でもありクラークの動きを封じられる、はずだった。目の前に現れたのがクラークの手掌と気付いた時には、先端をがっちりつかまれていた。次にはしたたかに肩を打ち据えられる。
肩を突かれていれば、脱臼しているかもしれなかった。クラークの配慮だとは思うが、打たれたのも充分痛い。
「受け止めるなんて、反則です」
「なら、これではどうだ」
腕で棒を巻きつけるように握られて、手元に引き寄せることができなくなる。戦場で敵に武器を取られたら。考えて動けとクラークの厳しい顔が伝えてくる。
ぐっと体当たりして、クラークの重心を崩して棒を取り戻そうと思ったのに、熊親父は倒れも揺らぎもしなかった。
「抱きつきにきてどうする」
「親父様に抱きつく趣味なんてありませんよ」
握られた棒をクラークの手を真ん中におくように両脇を握り、思い切りひねる。ようやくクラークの手が離れ、ヒューは再び武器を手にした。その後は打ち合いが始まる。かっ、がきっと棒のぶつかる音が間断なく響く。
少しでも隙を見せればやられる。息すら忘れるように、ヒューは眼前の小山に向かった。ひときわ鋭い音がして、棒が跳ね飛ばされる。からん、と棒が落ちた音がしたと思った時にはとん、と喉に棒が当てられていた。
「死亡」
「――ありがとうございました」
「花街で遊んだ割には、動きは悪くなかった」
張り詰めた空気が柔らかく動き出す。ヒューは飛ばされた棒のところまで歩いていき、かがみこんで手に取り、壁に戻す。
その後は各自で、また相手を見つけての思い思いの鍛錬が始まり、一気に賑やかになった。
「お疲れ」
「お前ら、他人事だと思って。一緒に花街に行ったのに」
「まあまあ」
汗だくになって恨み言を向けてくるヒューをいなして、ルイスはクラークに視線をやった。さして疲れた様子もなく鍛錬する人々の間を縫って、助言を与えている。とても昨夜火酒を一樽飲んだと思えない。さすがに熊親父。
そんな不謹慎な感想を持っていると、ばちりとクラークと目が合った。
「ルイス」
「はい……」
「イアンと一緒に打って来い」
二人がかりで参加せよとのお達しに、今度はルイスとイアンが未来を悟る。
一対二なので、棒よりも剣の方が同士討ちにもなりにくい。刃先をつぶした剣を手に、やぶれかぶれでクラークに胸を借りる。ヒューはもっとやられろ、とその様子を座り込んだまま眺めていた。
しばらくしてから鍛錬が終わった。汗を拭いクラークは城に戻る。
部屋に入るとバートが待機していた。
「お帰りなさい、親父殿。サイラス卿から昼食をご一緒にとのお誘いがありました」
アラステア・チェンバーズ・サイラス。少し遅れて入城したやはり伯爵位にある卿は有能な文官で、政務担当として今後はカデルの内政にあたることになっている。
剛のクラークと柔のアラステアとして、ハーストを支える臣下の一人だった。
服をかえてサイラス卿の部屋へと行くと、既に二人分の昼食が用意されていた。
「クラーク。一汗流したようだな」
「アラステア、いい加減空腹なんだ。早速食べてもかまわないか」
外見も職務もほぼ対極にあるのに、妙に馬が合う。腹蔵なく付き合える友人として、二人は食卓についた。
しばらくは空腹を満たすことに専念し、ようやく話をする雰囲気になる。
「陛下があと二十日ほどで到着なさるそうだ」
「では、それまでに体制を整えねばならないか」
アラステアの情報にクラークは考え込む。城内の武装解除は順調にすすんではいる。城下の治安は、主を失った騎士や踏みにじられた土地から移動するならず者達で荒れる恐れはあるが、人手をさけば混乱はすまい。
順次罪に問われた者を裁いていき、陛下が到着される頃には問題をなくしておかなければ――。
「クラークが睨みを利かせてくれているおかげで、事がすすめやすいのが助かる」
「言ってくれる。せいぜい利用すればいい」
お互い冗談と分かっているから和やかに会話しているが、次にはクラークの口が引き結ばれた。
「陛下がおいでになる前に宰相も処断しなければならないか」
「そうだな。陛下の御前でとなると、カデルの国民から恨みを買うかもしれない。カデル国王はともかく宰相は慕われていたようだから」
無理な戦をしかけて自滅した国王を、宰相はいさめていたという話は聞いている。
クラークは落ち着いた様子の宰相を思い出す。あと、二十日以内にという訳か。
「各人の処断の責任者は私が務める。戦場の悪鬼だ。恨みを買ってもどうということはない」
「嫌な役をおしつけて済まない」
「宰相の、日取りはいつにするつもりだ?」
「困ったことに宰相殿が有能で、極端な話いつでもという状況だ」
クラークは傷の走る眉間に皺をよせて、その人相を一層凶悪なものにした。
処刑が遅いと陛下の到着時にまで不穏な空気を残す。かといって、早めるのも――。
クラークの脳裏には、娘である王妃の顔が浮かぶ。一度目は憎しみを。二度目は冷ややかな軽蔑をよこした碧の目。
「では五日後、いや七日後ではどうだろうか」
「こちらに異存はない。私から伝えようか、クラーク」
「いや、私からご本人と、王妃に伝える」
「よろしく頼む」
アラステアに見送られクラークは城内の廊下を歩く。少しずつ城内も敗戦を受け入れ、ハーストの人間の駐留にも慣れていっているようだ。
ただ自分が疫病神なのは間違いない。いつだって、死と破滅と悲嘆を人にもたらす役を果たしている。
気が重いながらもクラークは宰相に面会を申し込んだ。
夕刻、宰相の執務室で対面を果たす。
「ハーストの国王陛下がいらっしゃる日が決まりました。それで、その前に――」
「承知しました。いつごろですか」
「……七日後にと思っております」
「では、私事の整理もできますな」
自身の死刑宣告を宰相は受け入れた。
「少し、つきあってはくださらないでしょうか」
棚から酒瓶を取り出して宰相はクラークに勧めた。もとより異存はない。
杯を手に、宰相はうすく笑った。
「火酒がお好きとうかがいました。これも度数はかなりなものです」
確かに喉を焼くような度の強さの後で、馥郁たる味わいがある。素直に美味い酒と賞賛する。しばらくは酒と酒肴、流れで夕食ということになった。
「ハーストの国王陛下とは、どのようなお方でしょうか」
「勇壮ですが思慮深く、絶えず複数の方策を探られるような方です」
「なるほど、サイラス卿といい、貴殿といい有能な方々を従えるだけはある、と」
しみじみとした口調の中に、かすかに苦いものを感じてクラークは宰相をうかがう。仕え甲斐のある主――ハースト国王のレジナルド・ブリス・キングスリー・ハーストは確かにそうだろう。
対してカデル国王にはとかくの噂もあった。繊細でといえば聞こえはいいが、臆病で小心。優雅ではあっても力強さには欠けたとか。
この宰相が力を存分に振るえるような主であれば、城に他国の旗がひるがえることもなかったかもしれない。
今となってはどうしようもないことと、クラークは言葉をのみこんだ。
夕食の皿が下がられても、クラークは去りがたかったために腰を落ち着け続けた。宰相の落ち着いた雰囲気も穏やかな物言いも、殺伐とした場に身をおくことの多いクラークには、ささくれだった神経をほぐしてくれるように思えた。
互いの国のこと、とりとめのない話がしばらく続いた。
ふと、宰相が顔を上げる。
「娘の処遇については何かお心積もりがおありか?」
「……陛下次第ですが。王妃を退いていただき、わが国においでいただくことになるかと思われます」
国王に縁ある者はカデルには残してはおけない。アラステアともその点では意見が一致している。子のない側室はともかく、王妃は見逃せない。反乱の旗印にされては厄介なことこの上ない。
ハーストでの処遇は未定だと伝えると、宰相がこの時ばかりは父親の顔をのぞかせる。
「かなうなら過酷な未来でないことを祈りたいですが、もう守ってはやれませんので」
「縁者の方は」
「妻はだいぶ前に」
「……そうですか」
宰相が処刑されれば家は潰されるだろう。そして身柄は敵国に移される。
とことん恨まれるような成り行きらしい。
クラークはそっと重い溜息をついた。
「ウォーレン卿、勝手な言い分ですが、できれば娘をあまり手ひどく扱わないでいただきたい」
「ハースト国王陛下の名にかけて、丁重に遇することは当然のことと思っております」
交錯する視線に強い感情を滲ませる。親心と、強烈な自負と。
宰相がふっと、力を抜いたように見えた。
「頼みます」
幾重にもの思いを込めた言葉に、クラークは頷いた。
それをしおに部屋を出て行く。宰相は自主的に牢にこもると言うのを引きとめ、部屋での謹慎に改める。警備にあたる自国の兵に、厳重な監視を命じて難しい顔のまま廊下を歩く。
強い酒を飲みはしたが、酔いはまわらない。
王妃にいつ伝えるべきか、クラークは悩んだ。夜に伝えて眠れぬ夜を与えるのか、朝に伝えて憂鬱な一日を過ごさせるのか。
さすがに女性を訪問する時間ではないと、重い足取りで自室へ戻る。
今夜は自分が眠れそうになかった。