29 宴の前
「ここまでの経過はどうでしょうか」
「親父殿にしては上出来、むしろ上手くいきすぎて落ち着かないくらいだ」
アダムスの切り出した質問に顔を寄せ合ってうんうんと頷いているのは、バートとヒュー、エリザベス付き侍女の一人のジェマ。当然城の重鎮たるアダムスとバーサも同席している。
主のクラークは馬で遠乗りを兼ねた視察、エリザベスは『奥方の庭園』と呼ばれる中庭の植物を丹精している最中だ。
彼らが密談している部屋から囲われた中庭は眼下にあり、そこでルイザとともに薬草を採取しているエリザベスの姿が見て取れる。中庭に城の医師や薬師を兼ねる司祭が庭に現れて、エリザベスとなにごとか熱心に話し始めた。
「馴染んでいらっしゃるな」
「それはもう見事に」
バートの感想に家令のアダムスが呟く。カデルの侯爵家では早くに亡くなった母親の代わりに内向きのことはしていたらしく、家政に関しては慣れているようだった。都合がつけば、祝いの品を持ってきた使者への返礼など差配している。
薬草についての知識も豊富で、司祭からの情報によれば母親が病弱だったからだそうだ。食べられる薬草や野草については料理人とも話が合っているようだ。
なにより城の雰囲気がしっとりと落ち着いているのに、そこはかとない華やぎに満ちている。ひとえにエリザベスの影響力だろう。
「坊ちゃ……旦那様にとってはこれ以上ないお方かもしれないよ」
「なにせ怖がっていらっしゃらないですからね」
バーサの感慨に重ねて同意するのはジェマだ。バートとヒューだけは先日の塔の一件を知っているため、素早く目くばせを交わす。怖がるどころか接近しても動じなかったのだとヒューなどは声高に叫びたい気分だが、バートの眼力に封じられた。
更なる後押しをと考える一同の前には、絶好の機会が与えられている。
「そこで本題です。祝宴では午前中には城下を馬車で回り、昼は開放した城の庭で昼食、午後は夜会を兼ねたものになります」
「準備は整っているのかい?」
「勿論です」
鷹揚に頷くアダムスは手を抜かないことで有名だ。白髪まじりの髪をきれいに撫でつけている頭をめぐらし、おごそかにのたまう。
「酒も品質にこだわったのを取り寄せております。――先日お出ししたものよりも上等なものを。ついでにレディの故郷の品々もです。旅回りの一座の手配もつけました」
「吟遊詩人は?」
「現段階で歌わせると逆効果と思いまして今回は普通の歌のみです」
確かにとバートとヒューは顔を見合わせる。ジェマなど感動的なのにと少々不満げだが、熊親父との恋物語など朗々と歌い上げられれば、レディには我慢ならない事態だろう。
押しはしてもやりすぎは良くない。その境界はわきまえないと。
レディに愛想を尽かされての熊親父の落ち込みも八つ当たりも御免こうむりたい。
第一レディが怒ればどうなるか――あえて事態を悪化させることはない。
「馬車の用意は整っています。その際の衣装は?」
「こちらも大丈夫です」
ジェマが浮き浮きと報告する。喪服以外の女主人はいかにも新鮮に映るだろうと、ルイザと一緒に夜会用とは別の衣装や装飾品を選んでいる。若い娘らしくそうしたことは大好きだ。
目を輝かせて話に加わるジェマは、ヒューが眩しそうに見つめているのに気付かない。
バーサは料理人と連携して昼食会と、夜会での晩餐の準備に余念がない。
「もっと若かったらねえ、レディのお世話を取り仕切るんだけれど」
「こまめに報告してバーサさんの指示を仰ぎますから」
頻回に塔に上がれないのを悔しがるバーサに、ジェマが安心させるように請け合う。
ここでバートが、こほん、とわざとらしい咳払いをした。
「馬車まわりの警備は固めるが横に親父殿が乗っているからこれはよしとして、夜会といえば何が問題だと思う?」
「夜会……招待客に紛れ込んだ賊ですか?」
「ヒュー、それも正解だが親父殿にとっての問題だ」
「親父様にとっての?」
謎をかけられた面々が首をひねる中、いち早く解答にたどり着いたのはやはりアダムスだった。老練な家令はかすかに小首をかしげつつも重々しい声を出す。
「舞踊、でしょうか」
「ええ。今回親父殿とレディには絶対に踊ってもらう必要があります」
「なるほど、舞闘ではなく舞踏か。宴の前に練習をと」
「否応なく触れ合い、手を取り合い、見つめあうんです。これほど親密になる機会がありますか?」
力説するバートに、でも、とためらいがちに手をあげたのはヒューだった。
「レディが承諾するんですか? 今までだって結構ごり押ししていますよね?」
ごり押し……。この一言で空気がすっと皆が静かになる。熊親父のごり押し、そう表現すればたいそう迫力に満ちている。
それを受け入れてむしろ最後には熊親父に恥をかかせないようにと振る舞うエリザベスには、感謝しつつ敬服するしかない。
「旦那様から申し入れさせるとなると、また心象が悪くなるのでは?」
アダムスの危惧はもっともだ。いい加減にしてください、との声が聞こえてきそうだ。
断られて落ち込む熊親父は鬱陶しい、もとい気の毒だからなんとか穏便に、しかし確実にことは進めたい。話を切り出したバートが一同を見回した。
「俺がレディに話をします。どうしても無理なら親父殿の演武だけで済ませても文句はでないでしょう」
熊親父に文句を、公の場で文句をつけられる者などいない。
代替案も出たところで、密談はお開きになった。
エリザベスは中庭で丁寧に薬草の摘み取りをしていた。後で司祭に届けるつもりだったのが、本人がやってきたので相談しながら摘み取り作業を進める。煎じたり、干して粉にしたり、砂糖と混ぜて丸薬にしたりと摘んだ後でも作業が待っている。
「随分とこちらにも慣れたのではありませんか、レディ・エリザベス」
「そうですね。そろそろ一ヶ月になるでしょうか。ここは良いところですね」
「私も常々そう思っております」
質素な衣装に身を包み柔和に微笑む司祭は、ずっと城付きらしくかつては黒かった髪も白髪の方が多いといった風情だ。穏やかで声を荒げることもなく、祈りと信仰に生きて、それでいて城の世俗のものにちょいちょいと関わっている。
エリザベスはこの司祭になら素直に心の内を明かせると信頼していた。
「レディは何か思い悩むことがおありでしょうか」
穏やかに問われて、エリザベスは籠の縁に手をやる。
はい、と摘んだ薬草を差し出され、反射的に受け取って籠に入れる。随分と中味も増えた。採取もこのへんでよいだろう。
「これをお持ちしましょう」
「ありがとうございます」
礼拝堂の裏手は司祭の個人的な住居や薬草棚、医療器具が置いてある部屋になっている。籠から薬草を取り出してはそれぞれの場所に置いたり、つるしたりする。
一息ついた頃、エリザベスは司祭に切り出した。
「話を聞いていただけますか? 懺悔、とはまた異なるようなのですが」
「ここででもよいですし顔を合わせるのが気まずければ、告白の部屋ででも結構ですよ」
ルイザと護衛の存在を考えて、エリザベスは告白の部屋に行くことにした。
扉の外で待機してもらって中に入る。ここでの会話は低い声なら聞こえないし、司祭は秘密を守る義務があるので外に漏れる恐れもない。
ほどなく向こうの小部屋に人の気配がして、司祭が告白を促した。
「わたくしはここが気に入っております。しかしこの城はウォーレン卿のものであり、卿はわたくしにとっては因縁の相手でもあります。かつてはウォーレン卿を恨みました。ただ恨みの感情は、色々あって現在までは続きませんでした。
この平和なありさまも、ウォーレン卿をはじめとするハースト側が戦を早く終わらせた結果です。戦の終結を早めたのが夫の死であり、そこから父の死に繋がった事実が忘れられないのです」
平和のためには早く戦は終わるべきだった。クラークも望んで夫や父の死に関与したわけではない。巡り合わせとしかいいようがない。
塔の上からの景色に涙を誘われたのは、願っていた豊かな実り、民の笑顔をもたらしたのがクラークの働きだというのを否応なく実感させられたからだ。良い領主と慕われているそんな相手、クラークに一線を画すのがだんだん難しくなってきたせいもある。
――なにより城もクラークも好ましく思うようになるのが怖かった。
司祭は黙って聞いている。エリザベスは両手を組んで心にわだかまっていることを、少しずつ吐露した。
「ハーストでもカデルでも戦が続くほど、人々が苦しみ怪我人や死人も増えたでしょう。戦を始めた責任はわたくしにもあります。諫められず、戦に突き進んだカデルの国王陛下を止められなかったわたくしや父に。
罪を負ったわたくしがここにいる矛盾に、だんだん耐えられなくなっております」
「しかしレディはご婚約をされているのでしょう?」
「それとてウォーレン卿にはご迷惑な話です」
さすがに囮の件は司祭には打ち明けられない。エリザベスはその点だけはぼかし、他のことは口にした。
クラークは影響力がありすぎる。強く、それでいて礼儀正しい。今回爵位も領地もさらに上になるのだ、面倒な自分よりももっと相応しい令嬢が現れるだろう。
「祝宴でわたくしが周知されるのが、後々を考えると正しいとは思えないのです」
「ではどうなさりたいのですか?」
「本来ならすぐにでも修道院に入り、心静かに過ごしたいのです。ただその前にやるべき事があり、祝宴は避けて通れないのが頭の痛いところです」
おそらくクラークは祝宴にかこつけて敵をおびき寄せるつもりだ。ならば、せいぜい派手に振る舞わなければならない。
――クラークの隣で。
その欺瞞に耐えられるだろうか。かつての王妃としてならどんな責務でもこなせたような気がする。今、どうしてこうも心弱くなったのか。答えはうっすらと分かっている。
「お嫌いだから悩まれているのではないのですね」
懺悔ではないので司祭も応酬してくる。エリザベスは苦い笑みを浮かべていた。
嫌いで通せればよかった。自分から何もかも奪い去る存在として恨み続けられれば楽だった。今はもう嫌いとも恨んでいるとも言えない状況だ。婚約者としてクラークの隣にいるのに苦痛を感じ始めている。
優しくされるほど皆がいい人であるほど、まやかしでかりそめの関係なのが悲しい。
「おろかな自分に悩んでいます」
「どんな状況であれ、意味の無いことなどないのです。流されたようでも必然かもしれません。ご自身が何を望んでおられるのか、神はせかしたりなどいたしません。ゆっくり考えてください」
「ありがとうございます」
小部屋を出てルイザや護衛達とともに城に戻る。
待ち構えていたバートに告げられた内容に、エリザベスは苦笑をもらした。