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この危うい関係  作者: 素子
本編
28/52

28  野次馬

 ルイザはがくがくと傍らのヒューを揺さぶっていた。


「早く、早くっ、バートさんを呼んできて」

「俺は護衛だぞ。レディの側を離れてどうする」

「旦那様がいらっしゃるから、大丈夫でしょ。それよりバートさんよ。バーサさんとアダムスさんに階段を駆け上がれとはとても言えないから、せめてバートさんには確かめてもらわないと。

このままじゃ、私たちが夢でも見たんだろうってなるわ」


 興奮しながらも視線は主人から外さないルイザが恫喝まじりの口調になれば、ヒューも諦めて足早に階段を下りていく。

 確かに副官はこの光景をじきじきに見る権利があるだろう。

 というより、この衝撃を分かち合いたい。でなければとても平静ではいられない。


「バートさん、いらっしゃいますか?」

「ヒュー、どうした。お前レディの警護に当たっているはずじゃなかったのか?」


 呑気に声をかけてきたバートの腕をがしりとつかみ、ヒューは耳元で囁いた。


「親父様が大変なんです。是非、いらしてください」

「敵か?」

「いいえ、それより衝撃的です。とにかくご自分の目で確認をお願いします」


 いぶかしげに眉をひそめるバートに構わずに、ぐいぐいと腕を引っ張りながらヒューは階段を数段上った。

 後ろを振り返り、バートのほかに誰もいないのを見澄まして、ひそりと囁いた。


「親父様がレディを襲っています」

「は? 襲う?」

「違った。捕獲、じゃなくて拘束でもなくて……そうだ、抱きしめています」

「それを早く言え。上でか? まだ間に合うか?」

「最上部です。お早く」


 ヒューを押しのけてバートは恐ろしい勢いで駆け上っていった。確かにアダムスさんやバーサさんではああはいかないだろうと、ルイズの慧眼に感心しきりだったヒューだが、自分も見逃してなるものかと途中から駆け足になる。

 さっき見た光景が夢ではありませんようにと願う。しかし夢ではなかった方が空恐ろしいのは何故だろう。



 バートの姿を認めたルイザが場を譲り、階段の最上段部から見張りを兼ねた展望部の情景が視界に入る。

 ――バートは見た。薄闇に包まれる中に立つ大男を。その影によりそうように包みこまれている女性を。熊親父は時折頭を上下しているが、レディは微動だにしていない。

 おっさん、しめ落としたんじゃないかとの不安もよぎるが、熊親父が慌てている様子がないので違うのだろうと判断する。確かに熊親父がレディを抱擁している。頭だけは動かして、そこにはないはずのものを睨み付けているようだ。

 挙動不審だなおっさん。そう思いながらも邪魔をしないように息を殺して、他の二人と一緒に注視する。

 胸にこみ上げるものをこらえながら、バートはこれまでを述懐する。


 騎士としては当代最高であり、ことに鎧に身を包めば味方ですら畏怖を感じる。

 しかして兜を取り去れば別の意味での畏怖の対象になる熊親父を、部下として臣下としてバートはどれだけ不憫に思ったことか。

 やっと報われる日がくるのか。だがしかし相手がレディでは……とバートは不安を拭えないでいた。



 つ、と影が身じろぎしたのをしおに、バートは階段を下りはじめた。

 ルイザとヒューに口止めをした上で。ルイザは不満そうだったが、これだけは曲げずに口外しないことを約束させた。

 おそらくレディはこの話が広まるのを望まないだろうと推察したからだ。

 それに、熊親父と絆を深めるのなら別の機会もある。

 第一、二人の立場は隔たりが大きい。力技の婚約や仕来りをもってしても、根本的な問題は解決していない。


 それでも素直におっさんおめでとう、とバートは祝福する。

 夕食には城で三番目に上等な酒を出そう。アダムスと料理人にそう提案しようとバートは決めていた。

 一番上等な酒は、いつか。そういつか出せるのを夢見よう。

 ……二番目に上等な酒は考えたくはないが、落ち込んだ熊親父を慰める時に出そう。




「ウォーレン卿、すっかり日が落ちましたね」

「寒くはありませんか?」

「いいえ……」


 塔の上、崖の上だから吹く風は冷たい。それを前面はクラークの体で、背部は回された腕で守られている。押し黙ったままだった壁は、口を開ければ若干かすれ気味ながら心地よい低い声音で自分を気遣う。

 エリザベスは笑っている場合ではないのだが、この状況のおかしさに忍び笑いを洩らす。クラークが聞きとがめた。


「レディ?」

「卿は壁だけでなく、風よけも兼ねていらっしゃると……失礼なことを思ってしまいました」

「風よけ、ですか」

「とても温かいです……。ありがとうございました。もう涙も引きました」

「下に降りましょう。夕食の準備が整っているはずです」


 手を取られたエリザベスは、階段へと歩き出す大きな背中に複雑な思いを抱いた。

 戦場の悪鬼のままなら憎み続けられた。その思いを保ち続けるのが、次第に困難になっていく。頭を小さく左右に振って、エリザベスは自分の心をのぞくのをやめた。

 階段では壁に張り付くようにルイザとヒューが控えていた。殊勝に目を伏せている。クラークが先頭でエリザベスが続き、背後をルイザとヒューが付き従う。下りきって食卓に付けば、アダムスが恭しく二人に酒をすすめた。

 クラークが一口飲んでおや、とでも言いたげな顔つきになった。アダムスは素知らぬ体で、空いた分を注ぐ。


 エリザベスは時折クラークと話をしながら、食事を取る。ふと目の合ったバートが会釈をする理由が分からなかったが、黙って料理を口に運んだ。

 

「レディ、料理はいかがですか?」

「とても美味しいです。それにお酒がずいぶんとまろやかで、さぞ熟成させたものなのでしょうね」

「ええ、蔵に貯蔵していたものの中でも特別にいい酒です。……そういえば料理人がレディのところの料理も知りたがっています。相手をしてやってはいただけないでしょうか」


 故郷の料理と言われ、思い出してしまう。料理と、一緒に食べた人のことを。

 少しだけ間をおいてエリザベスは勿論、と承諾した。

 食事が済んで湯あみをしている最中も、部屋に落ち着いてからもエリザベスの考え込むような様子に侍女も必要以上の声はかけずに退室した。エリザベスは闇に沈んで景色は全く見えない窓に近寄って、夜の空気を吸い込んだ。


 故郷のものよりは冷たい、澄んだ空気にのぼせた体と心を冷まそうと傍らの椅子に腰を下ろす。手にはクラークの持ってきてくれた手紙がある。

 封をあけたそれは、エリザベスの心を重くしていた。


「わたくしがここにいることで、誰が幸せになるというの」


 ふと口をついて出た弱音に、慌てて回りを確認する。誰も聞いていなかったと確認して、ふう、と溜息をついた。否定的な言葉は王城内では禁句だったのに、抑制が外れてしまっている。

 ――ことにクラークに出会って以降、気の緩みが目立っている。国が破れ、国王たる夫は打ち取られ、父の宰相は処刑された。子供もいないお飾りの王妃だったのに、国内には置いておけないと連れてこられて、政略で婚約している。

 こうまで重なると、笑えるほどにお粗末な身の上としか思えない。

 それでも、囮くらいの役には立つからとここにいる。

 流されすぎだろうと自嘲しても、流れ着いた現状すら容認されないとなれば、いったいどうすればいいのか。


「もっと早くに行動していればよかったのかしら」


 二つの逃げ道のどちらかに。

 


 クラークは自室でバートを相手に、宴の準備のことで話し合っている。

 招待客はできるだけ少なくして、むろん警備は厳重にと計画しているがそれでも不安はぬぐえない。何度も近隣での聞き込みや不審者の目撃情報を記した紙に目を通し、クラークは眉間を指で揉んだ。


「どうしても馬車に乗らなくては駄目か」

「少なくとも城下の街はやらないと駄目です。できる限り接近は避けるようにします」

「私は見世物ではない」

「今回だけは見世物です。我らが領主が国の英雄です。どれだけ祝っても足りないというのが城下の者の本音です」


 バートに言いくるめられて、むう、とクラークは黙り込んだ。

 そんな披露目をしても、過去の経験からは怖がられるのがおちだったから全くもって乗り気ではない。まして、今回は厄介ごとを抱えている。


「馬車にレディは……」

「当然同乗していただきます」


 何言っているですか、親父殿。涼しい顔のバート、いや、にやにや顔のバートが間髪入れずに反応した。

 ぎろりと睨み付けたクラークの眼光もなんのその、なおもバートは畳み掛ける。


「親父殿、宴の名目はご自身への褒賞と婚約です。主役が乗らずにどうしますか。逃げられを吹聴するようなものですよ」

「逃げられ……いや、問題はそこではなく、馬車は天井のついていない開放されたものだろう? レディが危険だ」

「だからレディが標的にならないように、ぴったりとくっついていてください」


 肩か腰を抱いてもいいですね、との提案に今度こそクラークが絶句した。

 おおかた脳内で想像したのだろう、熊親父の顔色がじわじわと赤らんでいく。

 照れ隠しのためか項をがりがりとかきむしり、クラークは気持ちを立て直そうとした。


「レディに無理強いするのは気がすすまない。もうずいぶんと譲歩してくれているのだから、これ以上は酷ではないか?」


 クラークは夕焼けと眼下の景色に涙を浮かべたエリザベスを思い返す。故郷の料理を教えてほしいと伝えた際の表情も。一瞬だけ表面に浮かんであとは押し殺したような葛藤は、自分には伝えるつもりのない思いだろう。

 修道院に入って心の平穏を望んでいる彼女を婚約者として連れまわすことに、後ろめたさを感じてしまう。

 バートはクラークの渋面を、一笑に付した。


「塔の上でレディを抱きしめておいて、何をいまさらおっしゃるんですか、親父殿」

「お前? なぜそれを」

「祝福の証として、秘蔵の酒を出したでしょうが」

「あれは、そういう意味だったのか。おかしいと思ったのだ」


 クラークは、悪事のばれた悪党のような表情で苦々しげに呟く。

 囃し立てたい気持ちをこらえて、バートはわざと大仰に頷いた。


「そういう意味です。親父殿とレディの婚約の真偽が疑われるようなことがあれば、計画に支障をきたします。親父殿は行動を起こしたんです。一気にたたみかけなくてどうしますか?」

「バート、戦場の理論を持ち込むな」

「いいですか、これは戦いなんです。レディを攻略するか、逃げられて敗北に終わるかの真剣勝負です。ただでさえ親父殿の分は悪いんです。一筋の光明が見えたこの機会を逃すのは、愚の骨頂です。

 ――騎士団員や領民、使用人も親父殿の幸福を祈っているんです。応えるのは親父殿のつとめでしょう?」


 ぐいぐいと迫られ押されてのけぞらんばかりの心境ながら、クラークはそんなものかと思う。少なくとも自分より女性の心理に詳しいに違いないバートが断言するのだ、宴の一連の行事は絶好の機会なのだろう。

 馬車の背もたれを少し高くして、自分の外套で背中を覆うようにエリザベスを横に乗せる。エリザベス側の側面の道に厳重に警備を施せば……。


「宴には出ていただくことになっているのだからな」

「そうです。既に婚約者としてお出ましいただく旨は、アダムスからレディに了承を取り付けています。ならば、馬車でも同じこと。頼むから上手くやってください、親父殿」


 初心な若者ではないだろうにと、二人の仲にやきもきさせられているバートは最後につい本音を漏らした。

 自分の領分に引き入れて大義名分にも事欠かない。ここで進展せずにいつ進展するのだ。心の中で鼻息を荒くして、バートは熊親父を焚きつける。

 燃え上がるはずのない二人の関係に、奇跡的にか熾火がともった。

 周囲の者は風よけになり、あるいは燃料を投下してどうにか火が消えずに勢いよく燃えるのを助けるだけだ。


 賭けに負けたらバート自身もつらいことになる。

 だから親父殿。前に進んでくれと、バートは切実に応援の意向を示した。







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