27 動く壁
クラークの城は予想以上に快適だった。
眺めはよいし何より城の人間の気持ちがよい。王城にあったような権力闘争の果ての探るような、揚げ足を取るような思惑や視線を感じない分、精神的には楽だった。領主の連れてきた敵方だった自分にも、礼儀正しく接してくれている。
自分付きになった侍女のジェマもルイザも一生懸命さに好感を持つ。土地のこと、城の人間のこと、主のクラークについても話してくれた。とはいっても領主なので詳しくは、といったところだが。
「城にお仕えするようになってから旦那様としていますが、ご領主様だからほとんど話したことがないんです」
「いつも表情が変わらない、近寄りがた……威厳のある方です」
「このあたりでは悪さをする子に『ご領主が叱りに来る』と言えば、効果覿面なんです」
「そ、う……」
表情が変わらないとか近寄りがたいなど、エリザベスには違和感を感じる表現だが若い侍女にはそう見えるのかと納得する。脅し文句に使われるあたりは、同情と失笑を誘われてしまうが。
基本自分のことは自分である程度できるが、彼女達がなにくれとなく世話を焼いてくれるのである程度までは任せている。喪服で髪型も地味なのを残念がる彼女達に曖昧に微笑みながら、塔の住人として過ごしていた。
クラークは領地のことで忙しいらしい。王都の館でもそうだろうが、こちらには戦の後で初めて戻ったので案件が山積みのようだった。
それでも律儀に顔を見せるあたり、意外なほどに細やかな心配りだと感じていた。
「旦那様のお戻りと、レディをお迎えできた宴を催したいと思っております」
家令のアダムスからそんな提案があったのは、城に入って一週間ほど経ってからだった。領主が久しぶりに領地に戻ったのだ。それに戦の後でもある。旗下の部下をねぎらう意味もあるし、クラークは爵位も領地も新たに得たのだから祝宴を張っても当然だった。
ただエリザベスとしては複雑なのに変わりはない。
クラークの帰還は別として、戦勝も出世もなにより婚約を祝われては割り切れない思いがぬぐえない。
アダムスもそのあたりは諒解しているらしい。できる限り直接的な表現を避けつつ宴への出席を要請される。客人としての席ではなく、クラークの隣に、と。
「王城からは婚約を発表されてはいますから、隣でないとかえって違和感がありますね」
クラークとは一線を画そうとしてみるものの、なかなかうまくいかない。
エリザベスは諦めにも似た笑みを漏らす。
「重ねてレディには申し訳ないのですが、その席でのお召し物は……」
「ああ、そうですね」
ハーストの王城での夜会と同じく、喪服ではまずいのだろう。
ちらりと夜会の騒動が頭をよぎるが、口にも表情にも出さずにエリザベスは頷いた。
「黒以外の衣装で出席いたしますから。ウォーレン卿の祝いの席ですものね」
「ありがたく存じます」
深々と礼をするアダムスに、クラークはよい家令を持っていると感心する。
実家の家令も信頼のおける者だった。今はカデルで暫定的な政務を行っているドーズ伯のサイラス卿の管理下にある侯爵領に思いをはせる。
そこからは領地の現状の報告とともに、エリザベスの身を案じる手紙が届いていた。
「招待するのは近隣の貴族の方々がごく少数、あとは領地の者になります」
「あとでその方達のことを教えていただければ助かります」
本来ならエリザベスが招待状を出したり、宴の準備をしなければならない。
貴族の夫人や女主人は、城の内向きの采配をふるう役目があるからだ。ただ微妙なエリザベスの立場を考慮してか、敵国の王妃だった自分に任せる気にならないのか、今回はアダムスが全面的に準備をするようだった。
「土地の歴史や近隣についての資料も後で部屋にお届けいたします」
「ありがとう」
散歩と称して城内や近隣を案内したり、宴にかこつけて少しずつエリザベスを馴染ませようとしている。その思惑には当人は気付いていなかった。
中庭を散歩した後で部屋に戻ってルイザに話をすれば、目を輝かせてさっそく衣装を吟味しだす。夜会の折に一着駄目にしていたものの代わりに、ハーストの国王陛下から数着新しいものがよこされていた。
どれがいいかとルイザと一緒に鏡に当ててみる。夜会の後で床に伏したので実際には着用していないから、どうもぴんとこない。
「試しに身につけられてみてはいかがでしょうか」
浮かれているわけではない。ただルイザの言うことはもっともに思えた。
エリザベスは久しぶりに喪服を脱いだ。襟のつまった喪服を着慣れていた身にとって、胸元が開きすぎているような気がしてならない。
それでもあまり派手すぎない一着にこれでと決まり、ルイザが少し華やかに髪の毛を結い直す。
「おかしくないかしら」
「よくお似合いです。耳飾りや首飾りはお目の色に合わせてもいいですね」
王都で流行している型の衣装に興奮して目を輝かせるルイザに引きずられて、エリザベスも若干華やいだ心持ちになる。
この地方独特の踊りや風習はないかと尋ねれば、ルイザがそういえば、と返す。
「旦那様が武器を使った、ええと、演舞のようなものを披露されることがあります」
「ウォーレン卿が……」
戦場の悪鬼の技を余興で披露する。エリザベスは当然ながらクラークが武力を行使する様を見たことがない。ただ、夫はクラークに討ち取られた。それを思えば、果たして冷静でいられるだろうか。
ルイザはエリザベスが黙り込んだのに気付かずに、衣装をもとの喪服にかえた。ただ髪型は戻さなかった。夕食までごゆっくりとルイザが部屋を出て行き、エリザベスは窓によりかかる。
良い眺めを堪能できるこの窓は、後から作られたものらしい。最初は明かり取り程度で、部屋の上の方にしか窓がなかったそうだ。それを閉じ込められているようで嫌気がさした奥方がいたらしく、ようやく今のように改められたと。
そんな昔話を思いながら、遠くの景色を眺める。
確かにハーストの宰相閣下が言っていたように眺めがよく、療養にはよい土地だ。
体調も、ハーストの王城にいた頃より良くなっている。気候はやや厳しいらしいが、人々は懸命にここで生活をしている。
城もクラークの統制が行き届いていて居心地がいい。城付きの司祭は熱心で敬虔な信仰を持ち、エリザベスのためにも祈りを捧げてくれる。
今のところ襲撃の様子などみじんも感じられずに穏やかに日々が過ぎていた。
自分を狙う者も意図もつかめない。時に焦燥感はあるが、クラークがいるせいかあまり不安は覚えない。少しずつクラークを頼りにしているようで、エリザベスはむしろそちらに落ち着かない気分にさせられる。
一線を画さなければと自制するのは、つまりはそう言い聞かせないとクラークに心を許しているからではないか。ここがクラークの領分だから余計にそんな気になるのか、とエリザベスは窓にもたれながらぼんやりと考えていた。
クラークはエリザベスへと届いた手紙を手に、部屋の扉を叩いたが応答がない。
部屋を出ていないのは入り口に待機している護衛に確認済みだ。扉を開けて、石造りの窓にもたれてうたた寝をしているエリザベスを認めた。これは珍しく可愛らしいと、クラークは眠りを妨げないように椅子に腰を下ろす。
城に入った当初の緊張が薄れて、エリザベスが城に馴染んできたのを嬉しく思う。
気が緩んでといえばそれまでだが、安心できない場所ではうたた寝などできまい。
いつまでもこうして、ここに、この部屋に城にいてほしい、住まってほしいとの願望を抱いてしまう。
宰相閣下からは城に滞在している間に何とかしろと激励、叱咤を受けているがクラーク本人が誰よりも切望している。
ただ自分がエリザベスの幸福を妨げたのは覆せない事実だ。そのために、踏み込めない。意図したわけではないが外堀を埋め、仕来りで連れ込みはしてもそれ以上は打つ手がない。
エリザベスの服喪期間は勿論、過ぎても想いは伝えられそうにないだろう。
騒動が収束すれば修道院に入ると明言されているのだ。エリザベスの意思を覆す材料など見当たらないし、第一、戦場の悪鬼、熊親父な自分から想いを寄せられても迷惑なだけだろう。
クラークはできうる限り気配を殺して、エリザベスの眠りを妨げないように傍に控えた。少しでも長くこの時間が続くように願って。
「ウォーレン、卿? わたくし……」
「ああ、つい今し方お邪魔したのです。手紙が届いていましたので」
「わざわざありがとうございます」
自分を認めてかすかに目を見開き慌てて居住まいを正すエリザベスに、さも今来たかのように装って手紙を渡す。
封蝋や差出人を確認していたエリザベスの表情がわずかに曇る。
「どうされました?」
「疎遠にしていた父方の親戚からの手紙が……珍しいこともあるものと思いまして」
「宰相殿の」
「ええ、後で目を通します」
自分の前では開けるつもりはないと理解して、クラークはあっさり引き下がる。
「レディ。この上からよい景色が眺められます。いかがでしょうか」
「ここからも素晴らしいのに?」
「ええ、私の気に入りなんです」
促されて塔の最上部まで足を運ぶと、エリザベスの部屋とは別の方向の景色が眺められる。
日没に至ろうと空が色を変えている。その彩なす深い味わいにエリザベスは声もなかった。遠く山々を認め、下に目を転じれば一日の仕事を終えた人が家路へと歩いていて、煙突から煙がたなびいている。
何ということはない、ただ平和な風景が眼前に広がりその平穏さが胸に迫り来る。
「レディ、あまり身を乗り出すと危険です」
エリザベスが黙ったまま熱心に眺めているので、半歩後ろにいたクラークが声をかけた。返事がないのをいぶかしく思って、下を覗き込んでいるエリザベスをうかがった。
「肖像画を拝見した時にも思いましたが、ここは本当によいところですね」
「そう思われますか」
「うっかりと愚かなことを考えそうなくらいに」
「レディ?」
それ以上は続けずに、エリザベスは手首に通した紐の先に下がっている扇子を握る。
いつもなら近くに控えている護衛も侍女も、クラークが一緒なせいか少し離れた場所にいた。
「わたくしを狙っているかもしれない者を待つ、かりそめの滞在のはずですのに」
「レディ」
「どうしてでしょう、平和な光景を目の当たりにするとたまらない気持ちになるんです」
実際に眼前がぼやけそうになって、おかしいですねと無理に笑おうとしたエリザベスの視界が陰る。熱くかたいものに囲われていた。抱きしめられている、と頭が真っ白になる。
何か言おうとするより早くに、頭上から声がかけられた。
「ずっと、緊張状態に身を置かれていたのです。気が緩んで抑えていた感情が溢れたのではありませんか?」
「そう……かもしれません。ウォーレン卿、体をお離しください」
「泣かないでください。私のことは壁と思って気になさらないでいただきたい」
エリザベスは顔をのけぞらして、自分を抱き込むクラークを見つめた。
試しに体をよじってみるがクラークはびくともせず、力も緩まない。
頭一つ分上から、意外なほどに穏やかな視線を注がれていた。傷の走る顔に向かって、のろのろと言葉を紡ぐ。
「壁は、話しませんし、温かくも……腕を巻き付けたりもいたしません」
「お気になさらず」
気にせずにいられようか。仕来りでも倒れたり酔ったりしてもいない、いたって素面なこの状況を。不埒な、と声を上げればすぐに人が飛んでくる。ただ相手が領主では引き離せるかは疑問かもしれない。
壁、壁……エリザベスは必死にこれは壁だと言い聞かせる。
動悸が早くても、体が熱くなっても、一線を画すどころか密着してしまっていても。
横目でうかがえば、日が落ちかけて空が一層複雑な色彩を帯びていた。
涙はひっこんだが、別の何かがせり上がってくる。
「壁、ですのね」
「ええ、壁です」
「慰めて下さるのですね。ウォーレン卿は騎士の鑑のような方」
泣きやませる目的、慰めのためにするには大胆すぎるが、大まじめに壁と言い切られているのだ。エリザベスはその言葉に便乗して、日が落ちるまで温もりに包まれていた。
どうせ事態が解決して、クラークに相応しい相手が奥方におさまるまでの仮の婚約で仮の滞在だ。夫だった国王陛下に顧みられなくなって久しく、夫も亡き後、自分に触れたのはクラークしかいない。
騎士道精神を発揮しているクラークが、こうやって甘えさせてくれているのだ。今だけ、今だけなら。
「少し、苦しいです」
「寒くなってきましたから、風よけです」
「おしゃべりな壁ですこと」
「では、黙っています」
混乱しながら目は合わさずにエリザベスはクラークの腕の中にいた。
もしクラークの顔を確認すれば見物だっただろう。中空をにらみながら、耳まで赤くしている熊親父がいたのだから。
時折おそるおそる視線を落としては、結った髪が視界に入るたびに慌てて上を向く、そんな熊親父が。