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この危うい関係  作者: 素子
本編
26/52

26  肖像画

 疲れと緊張が強かったせいか、昨夜も眠ったというのにエリザベスが目を覚ましたのは昼前だった。一瞬どこにいるのかとあたりを見回して、クラークの城だったと思い出す。髪の毛をかきあげて、寝台から降り立つ。

 城に入って二日目を盛大に寝過ごした形になり、いささか気まり悪い。

 前開きの喪服を身に着け、簡単に支度を整える。扉を開ければ護衛が二人と侍女と思しき若い娘が待機していた。


「お目覚めですか。食事はいかがいたしましょう。こちらに運びましょうか、それとも下においでになりますか?」

「あまり食欲がありません。下で簡単なものを」

「では、どうぞこちらに」


 階上まで食事などを持ってあがるのは煩雑だろう。

 それに城のことも知りたい。エリザベスは侍女と護衛に付き添われて階段を下りた。

 ちょうど昼食時であったらしい。上席にはクラークがいた。


「レディ、ご気分はいかがでしょうか」

「お気遣いありがとうございます、ウォーレン卿。問題はありません」


 当然のようにクラークの隣の席が用意される。ちらりとクラークの前の卓を見やれば、旺盛な食欲を発揮しているようだ。

 ほどなくエリザベスにも料理の乗った皿が出された。昨日は何も口にしていなかったので、まずは飲み物を入れた後で、ゆっくりと料理を口に運んだ。

 さすがに白パンが供されている。森で取ったのだろうきのこや野草が目立つ。肉は新鮮だ。香辛料と塩で肉の味が分からない事態はなかった。

 

「お口にあいますか?」

「ええ、美味しいです」


 監督をしていたアダムスにほんのわずかほっとした様子を見て取って、エリザベスは改めて注目されていたのを痛感する。

 なにしろクラークの婚約者として赴いているが元は敵方の王妃だったのだから、主についた好ましからざる人物だと心配なのだろう。喪服の婚約者など縁起は最悪だし、仮の婚約だから深入りしないように見張っているに違いない。そう思って周囲をうかがえば、やはり自分とクラークに痛いほどの視線を感じる。

 せいぜい礼儀と節度を保って、クラークとは一線を画そうとエリザベスは考えた。


「レディ、食事が済んだら城を見て回りませんか?」

「ありがとうございます」

「のちほど部屋にお迎えにあがります」


 ついでに近隣の修道院も教えてもらおうと、エリザベスは頷いた。

 城の中だというのに、二人の護衛がついて回る。部屋に上がる階段の左右にも護衛がいる。随分な警戒ぶりだ。クラークに椅子を引いてもらい立ち上がり、エリザベスは会釈をした。

 エリザベスがクラークに手を取られた瞬間、居合わせた者にはちいさなどよめきが起こったのだがエリザベスは気づかない。

 階段までクラークが付き添ってそこで別れる。バートなどは、もの問いたげな城の者に小さく頷くにとどめた。

 レディは熊親父と普通に会話し、普通に接している。

 その『普通』がどんなに稀有なのか。


 部屋に戻れば既に寝台は整えられていた。働き者の使用人がそろっていると、実家を思い出して懐かしくなる。侯爵位ながら派手なことは好まなかった父は、体面を損なわない程度にこじんまりと館を整えていた。使用人も家族のような者ばかり。

 母が早くに亡くなったので王妃になるまでは、修道院で不在の間を除いて女主人の役割も果たした。クラークの城は、そんなかつての日々を彷彿とさせるような雰囲気があるとエリザベスは好ましく思う。


 さほど待つこともなく、クラークが現れた。

 塔の上から案内が始まる。城主の部屋はもうよいとして、階段を下りながらおおまかな地理と城の構造を教えてもらう。

 この城は初代が建設したわけではないだろうに、見事に山賊仕様だ。攻撃を受けにくく、反対に見張りはしやすく防御もしかり。

 騎士や従者、兵士の生活をまかなう居住棟や管理棟にも案内される。

 厨房も大きく立派だった。隅ではもう夕食の仕込みにかかっていた。料理人は恰幅のよい頬は薔薇色の男で、エリザベスに好き嫌いの有無や馴染み深い料理などを尋ねては、さっそく献立に取り入れるべくふんふんと頷いていた。

 厨房の隣に、これは比較的後年に改造したらしい立派な浴室がしつらえてあった。


「さすがに塔の上まで毎回水や湯を運ぶのが大変ですので、湯あみはこちらで」

「厨房から近くて湯を沸かすのも便利ですね」


 人目につかないように領主や家族専用の廊下なども作ってあるという。

 すでにエリザベスの好む香りの石鹸などが用意してある。バートは密かにバーサの手腕に舌を巻いた。

 石造の胸壁や胸壁狭間もぬかりなく整えられていて、クラークが滞在しているからか兵はきびきびと任務についている。周囲は崖になっていて、見られずに城の壁に取り付くのすら困難だろう。

 城壁に沿って色々な小屋が作られていて、鍛錬用の場所も確保してある。

 こじんまりとした、いかにも家族用の礼拝堂にエリザベスは案内された。城付きの司祭が恭しく一行を迎える。朝の礼拝には出なかったエリザベスは少々後ろめたい。


 厩舎にはウルススやデボラをはじめとした馬が繋がれていて、大事に世話をされている。すぐそばに馬具、蹄鉄などの作業小屋もしつらえてあり、いかにウェンブル伯が代々馬を大切にしてきたかがうかがわれた。

 ウルススもデボラも、クラークとエリザベスを歓迎した。その毛並と体温、敷き藁の匂いなどエリザベスをほっとさせる魔力を持つ。

 緊張がほどけて柔らかな表情になるエリザベスに、クラークが目を奪われている様子をバートはつぶさに観察する。後ろについているヒューなど、せわしなく視線を熊親父とバート、エリザベスへと動かしていた。


「落ち着かれたら遠乗りにでかけましょう」

「まあ、ありがとうございます」


 よかったわねとデボラを撫でて、エリザベスは名残惜しそうに厩舎を後にした。

 城内に戻ってから、クラークはエリザベスをとある場所に案内する。


「歴代の領主の肖像画です」


 廊下の壁を利用して肖像画が飾られている。代々のウェンブル伯とその奥方、あるいは伯爵のみの肖像画が高い位置から見下ろしている。

 エリザベスはクラークの説明を受けながら、ゆっくりと歩を進めた。

 やがて最も大きくて、古い一枚の前で足が止まる。


「初代と、略奪されたと伝えられているその奥方です」

「この方が……」


 はた迷惑な仕来りの張本人かとエリザベスは穏やかならぬ心もちで、肖像画を見上げた。古風な衣装に身を包み、寄り添うというよりは伯爵が奥方の腰を抱き寄せているような姿勢で二人は描かれている。

 精悍な狼のような伯爵は、絵であっても鋭い眼光で睥睨しているようだ。

 意外なことに奥方は微笑んで絵におさまっていた。後年描かれたからと言ってしまえばそれまでだが、エリザベスは二人の間に絆すら感じて意外だった。

 いつまでも見上げていたので、クラークが遠慮がちに声をかける。


「レディ、思うところがあればはっきりおっしゃってください」

「そのつもりでしたのに、肖像画を拝見してしまうと……仲睦ましく描かれていたので恨み言が引っ込んでしまいました」

「きっかけこそ、あの、野蛮極まりなかったそうですが、以後は奥方に頭が上がらないというか、奥方の歩いた地面まで拝むような様子だったとも伝えられているのです」


 ではこの奥方は求められ、愛されて幸せだったのだろう。

 羨ましいとさえエリザベスは思ってしまった。山賊のものになったとはいえ、その後で国王に臣従し以後はこの土地を治め豊かになるように夫婦で努力したのか。


「とても、お幸せそうな二人ですのね」

「そうですね」


 午後の光に淡く浮かび上がるように、ウェンブル伯の肖像画がかけられている。

 エリザベスは夢からさめたように、小さく頭を振って傍らのクラークを見上げた。


「卿のご両親の肖像画もあるのでしょうか?」

「ああ、こちらのが私の両親です」


 明るい茶色の髪の毛の伯爵と、蜜のようなとろみのある黄金色の髪の毛をもつ夫人が描かれている。

 クラークの顔は父親似だが、クラークの方が厳つい。夫人は美しい人だった。


「お綺麗な方。それにお幸せそう」

「私が悩みの種でしたが」

「そうなのですか?」

「跡取りができたはいいが、このざまなので。縁談がことごとく潰れたあたりで病で亡くなりましたから、最後まで気がかりだったと思います」


 どの親も最後まで子供は気がかりだろう。

 たとえその子供が、もはや子供であった頃の想像すらつかないような、大きな体躯の厳つい男性であったとしても。

 エリザベスはクラークの両親の肖像画とクラークを見比べる。

 もし伯爵夫妻が存命で、自分と顔を合わせたならどのような反応を示されたことだろう。――もしも自分の父が存命だったなら、この婚約をどう受け止めたのだろう。


 考えても詮無いこととエリザベスは小さく息をついた。ずっと首を傾けて肖像画を見ていたために、軽くふらつく。危なげなく受け止めるのはクラークだ。小さな声で礼を言ってエリザベスは、足に力を入れる。

 しっかりしないと。こうしてクラークが付き合ってくれているのも、見えない刺客をあぶりだすため。約束してくれた遠乗りだとてその一環にすぎない。

 なによりクラークとは一線を画さなくては。



 夕食も取り立てて問題なく終え、侍女と護衛に付き添われて湯浴みもする。無防備なところを襲われないようにか、窓は狭間といってもいいくらいに細いものしか作られていない。しかも人が覗けないような上の方にだ。

 それでも体を清潔にして好きな香りをまとえるので、エリザベスは湯浴みを楽しんだ。

 専用の廊下から階段を上って部屋へと戻る。侍女になったジェマはまだ素朴さや幼さが残る、感じのよい娘だった。


「バーサさんが傍に付くと随分粘られたんですが、階段の上り下りや夜を考えて私とルイザがレディに付くことになったんです」

「そう、よろしくね」


 髪の毛を梳いて寝台まわりを整えてジェマは隣の小部屋に引っ込んだ。さすがに若い娘を階段のところで眠らせることはしないようだ。

 エリザベスは肩から背中に流れる髪の毛を一房すくい取った。

 まだ湿っているせいでいつもより茶色が濃い。昼間の肖像画を思い出してため息を一つつき、寝台に横たわる。

 代々の夫人は美しかった。政略で結ばれた例が多いのだろうが、初婚の領主に未亡人が相手というのも珍しいだろう。

 色々な意味で自分達は釣り合わないことだけは確かだ。

 明日は忘れずに修道院のことを聞かなければ。司祭から情報を得てもよいだろう。



 姿を現さない敵。ハーストの王城の王子達は無事だろうか。マルグ公爵夫人の称号は返上している。今は王子が幼いながらもマルグ公爵だ。

 公の領地はカデルで執政しているハースト側が管理しているはず。

 自身も父親の侯爵領、母の持参金がわりの領地を相続して女侯爵の位をいただいた。クラークと婚姻すれば、これらはクラークのものになる。修道院に入るなら、カデルにいる父方の親戚と折衝する必要が生じる。


 クラークの新たに得た爵位と領地に興味はなかった。

 ただ肖像画から知ったのはクラークの母親の髪色が金色で、クラーク自身も金髪か赤毛が好みだとかつて配下の騎士が断言していたのが思い出される。

 自分は髪色からしてクラークの好みではない。その事実に何故か面白くない気分を抱えながら、エリザベスは二度目の夜を迎えた。





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