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この危うい関係  作者: 素子
本編
23/52

23  檻の中

 バーサはきっと顔を上げて、自分の育てたクラークを前に一歩も引かない。

 その腕にエリザベスを抱いたまま、クラークは直立不動でいた。微動だにしない体幹と腕や肩の筋力はさすがだとエリザベスは思うが、早くこの状態は打破して欲しいと切実に願っている。


「バーサ、レディはお疲れだ。早く別の部屋を用意しろ。そちらにお連れする」

「いえ、いいえ。ぼっ……旦那様がなんとおっしゃられようと、こればかりは違えるわけにはまいりません」


 額とこめかみに汗を浮かべながらも精一杯の威厳をもって挑む相手は、遙かに小さい年かさの女性。この落差は端から見れば笑えそうなものだが、皆、固唾をのんでいるために笑う者など一人もいない。

 当事者のエリザベスに至っては泣きたかった。馬に同乗し、抱かれて城に入ってからこっち、ずっとこのままだ。さらし者になっているのにクラークは気付かずに、退く気配を見せない元乳母相手に分の悪い問答を続けている。


「これ以上はレディにとって不敬だ。すぐに部屋を、女主人の部屋でもいい」

「――旦那様は私に死ねとおっしゃるのですね」


 バーサの声に、エリザベスとクラークはぎょっとした。

 悲壮な顔で立っているバーサの手には、小さいながらも短剣が握られている。

 片手でぐっと鞘を握りしめ、今にも抜いてしまいそうだ。


「待て。何を」

「私の代で仕来りを違えるなど耐えられません。この時をどんなに待っていたことか。それなのに、ああ。奥様に顔向けができません」


 おそらくバーサの言っている奥様は、クラークの母親に当たる先代の伯爵夫人なのだろう。エリザベスはそう推量した。

 ここまで来ればいっそ毒を喰らわば皿までか、出たとこ勝負か。なるようになれか。

 エリザベスは一度だけ固く目を閉じて、汗を光らせているクラークに声をかけた。


「ウォーレン卿」

「レディ」

「供の方達もお疲れでしょう。家族の顔を見たい方もいらっしゃるはずです。ひとまず、バーサの案内する部屋へ。後のことはそれからということで」


 目玉が落ちるのではないかと思うくらいに、クラークに凝視されてさすがに居心地が悪い。ああ、その顔はさすがに少し怖いと思いながらエリザベスはクラークを促した。


「……早く、ここから連れ出して……いただきたいの」


 です、と続けようとして、エリザベスはクラークの喉仏が大きく上下するのを確認した。自分の背中と膝裏に回されている腕の筋肉がぐっと強ばったと思ったら、エリザベスはそのままクラークに運ばれていく。

 唐突な動きについて行けず、クラークの胸元に手を当てる。

 狭い石の階段をものすごい勢いでクラークが上っていく。背後から付いていきながら、バートには獲物を巣穴に運ぶ熊としか思えなかった。言葉の通じる熊はエリザベスを壁にぶつけないように注意しながら、らせん状を呈しだした階段を上る。


「レディ……」

「はい」

「もうすぐです」


 ではもうすぐ、この体勢からも解放されるのだとエリザベスは安堵のため息を漏らした。館の使用人や随行してきた部下からの目はひとまず逃れられる。どうにかして、別の部屋で休めればよいだろう。

 どちらにせよ、今日一日で貴婦人としての自分の評判は地に落ちたのだから、これ以上は事態の悪化はないだろう。

 いや無いように願う。



 ついに部屋にたどり着いたらしかった。

 いささか小さい、しかし頑丈な鉄で補強された扉を抱かれたままでくぐって、石壁の部屋に通される。

 

「城主――領主の部屋になります。この上に奥方というか女主人の部屋が作られています」

「上に、ですか」

「やはり、女性を逃がさないためと」

「その方に同情いたします」


 見も知らぬ、しかしウォーレンの血に連なっただろう女性を思ってエリザベスはしみじみと呟いた。

 開いたままの扉の向こうから、必死に付いてきたバートと、息を荒げているバーサの姿が見て取れる。


「では旦那様。おく……レディ・エリザベス。必要なものは揃っているかと思われます。ごゆっくり。ああ、神様……」


 手を組み合わせるバーサを横目に、なぜか同情の色をたたえたバートと目が合ったのを最後に、ばたんと扉が閉まった。



 二人して扉を見やってどれくらい経過したか。

 エリザベスはクラークの肩に手を置いた。


「もう、下ろしてはくださいませんか?」

「え、あ。大変失礼を」


 あたふたと下ろされ、エリザベスは自身の足で踏みしめる床に安堵した。

 つ、とクラークから距離を取り、窓際に寄る。

 塔でも上の方に位置する部屋だけに、眺めは素晴らしかった。景色を眺めながらエリザベスは自分の腕をかき抱いた。


「――たいそう個性的な仕来りでしたが、この他にもまだ仕来りはありますの?」

「いいえ。これで全てです。レディ、数々の無礼をお赦しください。さぞやご不快だったと思います」


 不快。そんな程度で済むとでも、とエリザベスはゆっくりと振り返った。それだけでクラークの顔が引きつったようだが、気のせいだろう。

 攻撃的な気分のままでウェンブル伯の居城、その城主の部屋を眺める。


 この部屋も下と同じ、古風なものだ。石壁にはいくつもの織りの壁掛けが下がり、大きな寝台が据えられている。衣装箱が数個置かれていて、これが腰掛けも兼ねていたようだ。

 暖炉もあり、大鍋に湯が沸かされていて暖炉の前には桶に水が張られていた。衝立の向こうは湯桶が用意されている。二人用の卓には料理の皿、酒杯、酒や果物が並べられている。いずれも冷めても食べられるようなものばかりだ。暖炉の前には長椅子、壁際には一人がけの椅子も置かれていた。

 小さな扉が見え、エリザベスはクラークに問いかける。


「あの扉はどこに続いているのですか?」

「用足し用の小部屋になっています」


 エリザベスも古い城の構造は知っている。かすかな希望にすがってはみたが、希望は打ち砕かれるものらしい。

 

「つまり、続きの部屋はなく、寝台は一つきりというわけですね」

「レディ……」

「こっそりと別の部屋に移るわけにはまいりませんでしょうか」


 クラークは黙って部屋の扉を開けた。開けた。

 扉の向かいには壁をくりぬいたような部分が作られている。昔はここに藁を敷いて、部屋の番をする者が休んだり眠っていた場所だ。今はそこに木の板を渡していて、その下に物置用の箱が置かれている。

 木の板に、バーサとバートが腰掛けていた。階段の上下にはいつ塞いだのやら、あり合わせの物で防壁が築かれていた。さらによくよく見ればバーサの足下の籠に、パンと飲み物の瓶が入れられている。


 結論としては。バーサとバートはここで一夜を明かすつもりだということだ。

 バートが何とも言えない情けない顔になっている。おおかたバーサに引きずられ、留め置かれているのだろう。

 クラークは黙って扉を閉めた。背後からあえかな声が聞こえる。


「ウォーレン卿……」

「――無理です」


 エリザベスが絶望のうめき声をあげた。クラークも申し訳なさがあるかなしかの期待をはるかに上回り、項垂れたくなった。

 こうして扉の内外で、不本意なまま夜を迎えようとする二組の男女が生じた。



 エリザベスは長椅子に座って、暖炉の炎を見つめている。

 クラークはとりあえず楽な衣装に着替えて、落ち着かないままうろうろとしている。

 まるで檻に入れられ出番を待つ見世物の獣のようだった。


「レディ、お着替えは」

「いいえ」

「食事は」

「食欲がありません。卿はわたくしにかまわず、召し上がって下さいな」


 帽子は脱いだものの喪服は着たままで、背筋をのばしてエリザベスは座っている。クラークには肩からうなじの線が緊張しているように思えた。食欲はわかないが、それでも腹に入れておかないと何かあれば一大事だ。

 卓につき、もそもそと食事を取る。エリザベスが何か食べる気になったらと注意しながら食べ物を残し、よほど強い酒を飲みたかったがその誘惑にも耐えた。

 適当に口に入れたのですぐに食事が済んでしまい、また気詰まりな沈黙が戻ってきた。


 本来なら湯浴みをしてさっぱりしてから、馴染んだ寝台でゆっくりと眠りたい。

 が、障壁だらけだった。

 暖炉を向いたままのエリザベスに声をかけてみる。


「レディ、湯浴みは」

「――わたくしは。ウォーレン卿からどうぞ」

「は……では、お言葉に甘えて」


 衣装箱から着替えを取り出し、鍋から湯を移し適当に水を足す。色々な意味での汗に濡れた服を脱いで湯浴みを始めた。

 仕来りを定めた祖先を恨みたい気持ちと、感謝する気持ちがせめぎあっている。

 これを見越して宰相閣下が領地での謹慎を言い渡したのなら、策士というほかはないだろう。今頃王城で、国王陛下と笑っているのだろうか。

 捨て鉢な気分で体を洗い、さて拭こうかという段になってクラークは失態に気付いた。


 エリザベスは長椅子に腰掛けたまま、衝立に背を向けている。嫌でも音は聞こえてくる。かりそめの婚約者となったクラークと、一つ部屋に押し込められている。

 食欲もなにもあったものではない。とても眠れそうにない。

 ずっと扇子を握りしめていて、よほど、仕込んである短剣を抜いてしまおうかと何度も思ったほどだった。


 ぼんやりと物思いにふけるエリザベスは、声をかけられてびくりと振り返る。


「レディ、申し訳ないのですがお願いが」

「……なんでしょう」

「うっかり体を拭く布を持ち込むのを忘れてしまって。衣装箱に入っているはずなのですが」

「取って参ります」


 衣装箱を探れば、きちんと折りたたまれた布がある。これがそうだろうと見当を付けて、衝立に歩み寄った。

 衝立の向こうからクラークが腕だけを出している。太く、日に焼けて、あちこちに古傷が走っている。戦に身を置いた者の腕だと思い知らされる。どうぞ、と手に布を渡せば、恐縮した声とともにひったくるように布を受け取った腕が引っ込んだ。


 たくましい――儀礼的に自分を囲った腕とはずいぶん違う。エリザベスはそんな連想をしてしまい、頬が熱くなるのを感じた。長椅子に座り、頬を両手で包んできつく目を閉じる。

 何を考えているの。

 この状況は仮のものだ。自分かカデルの者を狙う犯人を捕らえるための芝居にすぎない。首尾良くいけば、自分は当初望んだ道を取ることが赦される。

 だからここにいるのだ、けして色めいたことにはならない。殊に、クラークとは。


「先に湯浴みしました」


 律儀に声をかけて、クラークが脱いだものを小脇に抱えて現れた。


「はい」


 そちらを見ないようにエリザベスが応じる。

 しばらく何やらごそごそしているかと思えば、ためらうような声がかけられた。


「レディ……」

「なんでしょうか、ウォーレン卿」

「見ての通り、この部屋の寝台は……これ一つです。どうぞ、こちらでお休みを。私は長椅子で休みますので」


 ぎくしゃくと首を巡らせば、あらぬ方を見つめているクラークがいた。

 恐れていた時間帯がやってきたのか。緊張を重ねて疲れきっているエリザベスとクラークにとって、また長い夜になりそうだ。


「この長椅子に、ですか。お体を痛めます。わたくしの方が卿より小柄なのですから、わたくしがこちらで休みます」

「しかしレディ」

「その方が合理的でしょう? それに、この衣装は一人では脱げませんの」

「は?」


 クラークが思わず長椅子に逸らしていた顔を向ければ、少し目を伏せ怒ったような口調でエリザベスが続ける。


「侍女がいなければ話になりません。わたくしはこのまま、長椅子におります」

「いや、あの。バーサを呼びます」


 女性の衣装には詳しくないが、どうやらこのままでは横になるのも不都合らしい。

 クラークは慌てて扉を開けた。果たしてそこにはバーサと、バートが座っている。本当に朝まで不寝番をするつもりのようだ。クラークはバーサの存在にあからさまにほっとして、頼んだ。


「バーサ、レディの着替えを手伝って欲しい」

「――申し訳ございませんが、旦那様。今宵は旦那様のお役目です」

「なんと、申した」


 予想外のこたえに、クラークの声が低くなる。バートは騎士の甲冑置物よろしく、その場で固まってしまう。

 怒れるおっさんと、仕来りを楯にかたくなな元乳母。扉の向こうでのレディのご機嫌を推察すると、バートはこの場にいたくなかった。こんな我慢比べは勘弁願いたい。かつて無いほどに胃が悲鳴をあげているではないか。


「バーサ」

「できません。今宵は部屋に入ることはできないのです」


 無言で扉が壊れるかと思うほどに乱暴に閉じられた。バートは知らず詰めていた息を吐く。さすがにバーサも幾分か顔が引きつっていた。


「バーサ殿」

「何も言わないでおくれ。どんなにそしられようとも、こればかりは譲れない」


 項垂れて、皺のうかんだ手をぎゅっと握りしめる様子にバートは口を閉ざさざるを得なかった。

 バーサなりに必死なのは承知している。あの年まで死別も離別もなく、独り身できてしまった熊親父への心配はいかばかりか。

 直系の顔を見ることもあたわないかもと、危惧していたに違いない。


「それでも、バーサ殿。明日の親父殿の機嫌は最悪でしょう」

「覚悟しているよ」


 二人は閉ざされた扉をじっと見つめた。



 肩で息をしているクラークの後ろ姿に、エリザベスは無言のままだ。

 クラークが奇妙なほどに押し黙り、息詰まる時間が過ぎた。ようやく、少し掠れた声で唸るようなクラークの謝罪が聞こえる。


「本当に、申し訳ない。全くろくでもない仕来りだ」

「……お気になさらず。今回が特別なのですから」


 諦めを含んでエリザベスは自嘲する。一晩だけのことだ。長椅子に座っていれば朝は来る。どうせ眠れないのなら座っていてもかまわない。

 

「だが、レディ」

「もうおっしゃらないで。それとも卿が着替えを手伝ってくださるとでも?」


 売り言葉だった。

 エリザベスは反省した。まさか買われるとは思わなかった。


「レディの――お望みなら」


 檻の中はまだまだ落ち着きそうになかった。







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