20 縁組み
「良い知らせと悪い知らせのどちらから聞きたいか」
宰相閣下は寂しくなった頭頂部をなで上げて、問うた。
クラークが呼び出された宰相執務室は、隅々まで宰相の支配する空気に満ちている。ここではクラークは堂々たる騎士団長ではなく、不出来で口出しをせざるを得ない隙のありすぎる問題児になる。
今も宰相閣下は前置きもなく、問いかけてきた。クラークは執務机の前に立ち、手を後ろに組んで宰相の表情をうかがった。
書類に落としていた目線をクラークに向けた宰相は、黙って返答を待っている。
クラークは短く応えた。
「悪い方からおうかがいします」
「ふむ。戦勝記念夜会の不手際の責を取り、謹慎だ。期間はそうだな二、三ヶ月というところか」
「承知いたしました。不在の間は代行をたてましょう」
「王都の館ではなく、領地の方での謹慎とする」
「……は」
宰相の内容に違和感を覚える。何故わざわざ領地で、なのだろう。
軽く下げた頭を戻せば宰相は真面目くさった顔のままで、口を開いた。
「では良い知らせだ。お前の縁組みが決まった」
バートは団長室に戻った熊親父に声がかけられなかった。熊親父は厳しい顔で、唇を引き結んだまま腕組みをして座っている。宰相執務室から戻る最中も醸し出す雰囲気は最悪で、バートですら息苦しさを感じたほどだ。
しばらくそのまま放置して、自分の仕事を片付けてからバートは火酒の瓶と杯を用意した。黙って注いで黙って熊親父に手渡す。姿勢は変えないまま熊親父が杯を受け取り、一息にあおった。バートは空になった杯に火酒を注ぐ。
あっという間に瓶が空になっても、熊親父の表情は変わらなかった。酔う余裕もないらしい。
「おめでとうございます親父殿……と申し上げればいいんでしょうかね」
「どこがめでたい」
「嬉しくないんですか? 陛下のお声掛かりでの縁組みですよ。しかも爵位も上がる、領地も増える」
「それのどこがめでたいのだ」
低くどすのきいた声に凶悪きわまりない人相は、慣れているバートをしてもあんまり触りたくない状態だった。
それでもここで少しでも気分を上向かせないことには、自分を含め周囲が迷惑をするのは必定だ。今のおっさんなら、打ち倒すのは木偶だけとは限らないのが嫌だった。
しかし縁組みの祝いを述べて呪われそうなのは何故だろう。
「火酒を取ってきますね」
熊親父に断って団長室を出る。途端に空気が美味しく感じられて、バートは誰も見ていないのを確認してから大きくため息をついた。
なに、あのおっさんの複雑な顔は。揺れる乙女心か。
まあ仕方ないかとバートは思う。あれだけレディに焦がれているおっさんに持ち上がった縁組みだ。相手を思えばこそ気後れしても、葛藤があっても当然だとは思う。
地下の貯蔵庫から火酒の樽を両脇に抱え、干し肉もかっぱらってバートは階段を上がる。途中で立ち止まり、こればかりはおっさんに同情した。
「お相手がどんな心境なのか心配なのだろうな。陛下のご命令だ、あちらも断れまい」
おっさんとレディの二人を思い浮かべて、バートは少し遠い目になった。むくつけき熊親父と、敵方であったレディの間に流れるあの緊迫した空気は見ているだけではらはらさせられたが、同時に楽しくもあった。
あんなに振り回されて必死なおっさんは見たことがなかったし、レディだって憎しみで凝り固まっているわけではなく、どこかおっさんを認めている節もあった。
それだけに今回の陛下からの宰相閣下経由のご命令は、酷ではないかとも思う。自分など意見も、ましてや反対などできる立場ではないが。
バートはもう一回だけため息をついてから、くっと頭を上げた。
今日はおっさんを潰す勢いで飲ませよう。どうせ明日以降、おっさんに平穏などないのだから。
「それにしても、おっさんの縁組みか。公表されれば騎士団に激震が走るだろうなあ」
バートには予想できる。すぐさま賭が行われるだろうことも。
「婚儀前に駄目になる。婚儀の途中で駄目になる。婚儀の夜に駄目になる。三日もつ。一週間もつ。一ヶ月もつ。三ヶ月もつ。……配当一番が大きいのがずっと上手くいく、だろうな」
バートはもし賭に誘われたらと夢想する。どこに賭けるか。
婚儀の夜を乗り越えられれば、きっと。多分。
自分なら婚儀の夜と、もう一つ二つに賭け金を振り分けるだろうと確信する。
「副団長付きの副官あたりが胴元だろうな。めでたい話に便乗して小遣いを稼がせてもらおうか」
樽を抱え直してバートは地下から戻る。
明日以降もおっさんに張り付いていようと決心しながら。こんな面白いものを見逃す手はないだろう。
樽は一つと半分が空になった。バートはあっさり脱落して長椅子でのびている。クラークは私室の寝台にどさりと倒れ込んだ。
自分の縁組み。自分が伴侶を持つ。未だ実感が湧かない。
なにせ戦場の悪鬼であるし、女性には全く受けない凶悪な面構えなのは自覚している。
性格だって面白みはないし職務に忙殺されて、構ってやることもできないだろう。こまめに手紙を書くとか言葉をかけるなんて芸当は、自分の柄ではない。
なにより。
「相手が気の毒だ」
この一言に尽きる。このまま話が実現すれば――陛下のご命令だから実現しない可能性はないのだが――相手の女性は自分と寝台をともにして世継ぎをもうける義務が生じる。
相手が嫌がって寝台が別になるのはあり得る話だが、よそで子供を作るつもりはない。そもそも相手をしてくれる女性がいない。
自分とて貴族の一員だ。政略がらみの縁組みの話は皆無ではなかったが、相手の女性が半狂乱であるとか、どうにか顔合わせまで済んでも顔面蒼白で対面したとたんに失神されたりとか、悲壮な顔つきで涙をためて震えられたりすれば傷つくし萎える。
職務が危険で多忙なのを幸いに縁組みなど考えないようにしていた。後継は親戚筋から見繕えば良いと考えてもいた。
ここにきて、自分が子供を持つ可能性が出てきた。
全く実感が湧かない。
クラークは酒の連れてきた睡魔にまどろみながら、エリザベスのことを考える。
自分の縁組みをどう思うだろうか。想像するだけで胸が締め付けられる。
領地の館――山城と言うほうが相応しいが。使いを出しておかなくては。そこで謹慎しなければならない。引き継ぎも必要だ。不在の間、不測の事態が生じた際の伝達手段も確保しておかなければ。
自分には過分の報償だが、順次他の人々にも報償がなされるだろう。部下のはねぎらってやりたい。
「リズ……」
火酒に酔って胸に頭をもたせた彼女を想い、クラークはごろりと寝返りをうった。
顔を合わせるのが怖いなど、臆病な。
自分には似つかわしくないとクラークは目を閉じる。火酒の琥珀はエリザベスの髪色を思い出させる。
幻影を振り払うように、クラークは眠りについた。