02 熊親父
王妃との接見をすませ、クラークはあてがわれた部屋へと戻る。ご大層な客室は性に合わないと辞退した上で、正門の把握ができる部屋へと移っていた。そこからは接収した騎士団の建物もよく見える。現在は自軍の者達が入っているはずだ。
扉を開けると自分の副官が待機していた。
「お疲れ様でした。首の確認は?」
「王妃にしてもらった。明日には政務担当のサイラス卿が到着するだろう? 宰相との折衝は卿に任せる」
副官のバート・ベイリーは器用に眉を上げた。これは彼がクラークを非難する際の癖のようなものだ。
「王妃様に首を見せたのですか。夫の」
「倒れもせず、泣きもせずに夫の首だと断じたぞ。側室の方は気絶してしまったが」
「女性には酷ではないですか」
ベイリーはクラークに対して騎士の忠誠を誓っている。クラークの部下の間でのあだ名は親父や熊親父だが、バートはつい親父殿と呼びかけそうになって止めた。バートがそう呼んだところでクラークは意に介さない。
クラークは元々悪い人相を渋面をつくることで更に悪化させた。正直こんな話は止めにして、食事と酒と気持ちのよい寝台にありつきたい気分で一杯なのだ。ただクラークはバートの性格を熟知している。ここで話を逸らしたら、後々までちくちくとつつかれるのだ。長年の付き合いから予測がつく。
「王妃が自分から確認すると申し出た。これで葬儀もあげられるし区切りもつくだろう」
女心が分かっていないと続けようとして、クラークには禁句なのでバートは口をつぐむ。
おそらくクラークから最も遠いのが、女性の機微というやつだろう。体格の大きさと人相の悪さから鬼とか熊とか言われていて、普段は本人も冗談の種にしているくらいだが、一応名門の伯爵だというのに一度も婚姻していない事実は色々と重い。
まあいい、と占領下においた王都と王城内の警備体制について報告しようとしたところ、どんどんと扉を叩く音がして人がどやどやと入り込んでくる。いずれもクラークの下にいる者達だった。
「親父様、っと。団長。城内の武装解除が終わりました。近衛の騎士達は一応地下に、貴族付きのは主人とまとめてあります」
「ご苦労だった。動向は?」
「諦めがよいと言うか、元々この戦自体が無謀だったって空気があるので、さしたる抵抗もなかったようです」
「そうか、だが気は抜くな。陛下をお迎えし、無事に国にお戻しするのが我らの役目だ」
了解、とそこだけはびしりと足並みをそろえて受諾した彼らは、次の瞬間には気安い主従になっている。
「親父様、王妃様や側室の方々と会ったんでしょう? どうでした?」
「どう、とは」
「あれですよ、ほら、美人かどうか」
遠慮なく尋ねたヒューにクラークは先ほどまでの光景を思い浮かべた。正直側室は覚えていない。初対面から顔色が悪かったし、悲鳴をあげて気絶した側室と、これ幸いと引っ込んでいった側室の後姿くらいか。
王妃は――自分を見ても怖がらなかった。父親の宰相の処刑を伝えられた時には、きっと自分を睨みつけて――碧の瞳がきらめいていて……。
バートとヒュー、そしてヒューと一緒に報告に来たイアンとルイスは、クラークの顔が少しぼんやりしたと思ったら次第に赤くなるのを目の当たりにした。ぼさぼさの髪とひげに覆われて露出の少ないところが赤くなっていく様は、赤鬼というかなんというか。
「バートさ、ん。親父様はどうしてしまったんですか?」
「俺に聞くな」
それまで座っていた椅子からクラークが立ち上がり、うろうろと部屋の中を歩き始めた。相変わらず顔が赤く、まるで檻の中をうろつく熊にしか見えなかった。
「親父様、つ、疲れたんですよね。もう酒を飲んで王都の花街にでも行って、鬱憤を晴らしたらどうです?」
「そうそう、きっと親父様好みのいい女がいますよ」
「ついでにもっと強い酒をみつくろいましょう」
「どのようなのがお好みで?」
うろうろと歩き回るクラークに、必死に話題を振るイアンとルイスだった。素人の女性、令嬢や町娘などは例外なくクラークに怯えてしまうので、相手をしてくれるのは金銭ずくの花街の女や飲み屋の女達だった。
とは言っても酒の相手をさせたり後は納得ずくの付き合いだが、酒癖は悪くなく居るだけで他の迷惑な客への牽制になるので意外にクラークはもてている。今回も王都の花街にクラークを連れて行って、花街を『最初にしめておく』目的のヒュー達だった。
「親父様の好みっていったら、酒は火酒、女は金髪か赤毛で出ているところと引っ込んでいるところのめりはりがあるのに決まっているだろう」
「そうですか」
部屋の中に凜と響く女性の声。
ぴたりとクラークの歩みが止まり、ヒューにイアン、ルイス、バートが声の方向を振り返る。
いつの間に開いていたのか、扉の前には侍女を従えた王妃が立っていた。王妃と認めたのはクラークだけで、他の者には城内の女性としか分からない。
王妃はクラークを見つめて、ゆっくりと切り出した。
「なにかご不便がないかと伺ったのですが、強い酒と花街の情報ですね。酒はすぐに毒味役とともによこします。花街についてはわたくしは詳しくないので、後で人をこちらにという形でよろしいでしょうか」
王妃を含めて部屋に居る者の視線がクラークに注がれた。そのクラークは最初呆然として、赤かった顔色がすっとさめたと思ったらじわじわと頬に赤みが差している。普段は滅多なことで動じないクラークが、突っ立ったまま言葉も出ない。
しばらく待っても反応がないので、王妃は短い溜息をついた。
「そのように取り計らいますので失礼いたします」
誰にでもなく言うと侍女の開けた扉から廊下へ出ようとして、歩みを止めた。
振り返っていまださっきの姿勢のままでいるクラークに呼びかける。
「ウェンブル伯、それともウォーレン卿とお呼びしたほうがいいでしょうか。宰相の――日取りが決まったら教えてはいただけないでしょうか」
その言葉で呪縛がとけたのか、クラークが目を瞬かせて王妃エリザベスの姿を捉える。しっかりと立ってはいるが、手に持つ扇がかすかに震えていた。
エリザベスへの同情と、戦の非情さがないまぜになった複雑な心境のまま、クラークは応じた。
「クラークで結構。決定したならお伝えいたします」
「ありがとうございます、ウォーレン卿。ではごきげんよう」
最後の言葉は部屋の全員にかけて、王妃は退出した。
「親父殿……今のは」
「王妃だ。宰相は父親になる」
バートの質問に短くこたえて、クラークはどかりと椅子に座って頭を抱えた。
うつむいてぶつぶつと何か呟いている。バートとヒュー達は顔を見合わせた。初めて見るクラークの姿だ。どんなに凄惨な戦場だろうと、多くの敵と対峙していようと泣き言など出たためしはなく、岩のように動じない。
そのクラークが。
そっと耳を近づけたバートは聞こえた内容を即座に脳内から消去した。何とも言えない顔でヒュー、イアン、ルイスを振り返る。
「親父殿は当分花街に行く元気はないだろう。お前達も遊ぶのはいいが、身ぐるみはがされたり寝首をかかれたりするなよ」
「――分かっています。でも、親父様、大丈夫ですか?」
「親父殿に必要なのは酒と睡眠だ」
三人が接収した騎士団の建物に歩いていくのを窓から確認して、バートはクラークを少し離れた位置から観察する。
四十になる鬼とも熊とも呼ばれる、泣く子も黙るハーストの騎士団長が……。
「なんて情けない」
小声での呟きはバート一人の感想だった。
うっかり王妃に女性の好みを知られてしまったクラークは、王妃からよこされた強い酒の樽を抱えて飲みつくし、やってきた『花街に精通した』人物を一睨みで顔面蒼白にさせてしまった。
バートが倒れそうなその者を別室へと連れて行き、詳細な花街の情報を入手している間、クラークは一人で酒を注いだ杯を壊さんばかりに握り締めていた。
金髪でも赤毛でもない敵国の王妃、エリザベス。二度目の対面は軽蔑されて終わってしまったようだ。
翌日から見事に金髪と赤毛の娘が目に触れないようになった事実は、クラークを一層落ち込ませた。落ち込みを振り払うために鍛錬に精を出したせいで、局地的に被害を被った面々も多かったらしい。