15 死の淵
離宮の部屋に落ち着いて、エリザベスは階下の庭を眺める。小さくても手が込んでいる離宮と庭は、今はカデルの人間を収容している。ハーストの王城はカデルと比べると堅牢ではあったが、それでも離宮は主に女性が住んでいたせいか、優美さも見て取れる。
歓声の中を凱旋するハーストの人々、ことに国王と騎士団長は熱狂的に迎えられていた。自国の勝利、そして国王の堂々たる姿は民の興奮を誘い、一行を一目という人々の熱気は空気を震わせる。
自分達の乗る馬車には冷ややかな視線が浴びせられた。石や罵声はさすがになかったが。子供達のためにも、敵意をむき出しにされずに済んでよかったと感じる。
ともかくもう馬車で移動することがないのはありがたい。座りっぱなしで、お尻がどうにかなりそうだったからだ。落ち着いて考えることもままならなかった。
これから先には、どんな事態が待っているのだろう。
エリザベスは窓際から、見慣れぬ景色と溢れる光に目を細めた。
待遇は悪くなかった。ハースト側もカデルの人間に何かあればたちまち問題になるのを承知しているので、親子への警備は厳重だった。多分に騎士団長でウェンブル伯のウォーレン卿の意向だろう。
息の詰まらない程度に、しかし隙なく配置されている警備の者達の無言の圧力は感じられるものの、閉塞感を感じないような造りの離宮にエリザベスは救われている。
「夜会、ですか」
「正式には戦勝祝賀の、です。レディ・エリザベス」
ハーストの宰相の訪問を受け、決定事項として通達されてエリザベスは目をまたたかせた。父親よりも年長だろう、頭頂部は寂しく顔にしわは多いが、眼光の鋭さは衰えずに強い。やせているのに精力に満ちた印象の宰相は、左様と頷いた。
「わたくし達には関係はないのでは」
「いいえ、お子は出席には及びませんが、レディ達には顔を出していただきたく」
「ハーストの戦勝祝賀に、カデルの者をですか」
それはずいぶんと悪趣味なことだと、エリザベスは内心で冷笑する。カデルの王妃と側室だったのをさらし者にして、さぞかし勝利の美酒を味わえることだろう。
ただ、いたずらにカデルの反感を煽るわけはないから、この出席要請、いや通達にもハーストの意図があるに違いない。
「カデルの亡き国王陛下のご側室には縁談がございます。夜会において先方と顔合わせをする予定です」
「お待ち下さい。ご側室とはどなたのことですか」
「姫君達の母君です、レディ・エリザベス」
「……まだ、喪もあけてはおりませぬ」
強いて平静を装い渡り合えば、宰相は思案するようにあごひげを撫でた。
「ハーストとカデルの友好の象徴となっていただきたいのです。お相手はいずれもハーストでも名門の貴族です」
エリザベスは宰相の、ハースト国王の意図をはかろうとする。
有力貴族には嫁がせるようなことはないだろう。他国の王族の遺児など擁立されれば面倒だ。後見人を気取って、カデルの内政に口を挟むようになれば目も当てられない。
王子は残し、姫は出す。
カデルの元王族も分断でき、カデルの血も薄められるか。
「ご側室方はまだお若い。姫君達も幼く、しっかりとした庇護が必要と思われます」
「ご配慮はありがたいと思いますが、あまりにも急ではありませんか?」
「なにぶん領地が王都とは離れているので、此度の夜会で顔を合わせていただきませんと、次はいつになるか……」
いや困ったものですと苦笑しながら、申し訳なさそうに頭を掻く仕草は堂に入っている。そう、相手は名門ではあれど田舎に引っ込ませるつもりなのだと、エリザベスに言外に伝えようとする。
さすがにハーストを長年支えてきた、やり手の宰相なだけはあると感心するしかなかった。これに武門のウォーレン卿がいて、それらが戴くのがハースト国王。
父とて劣っていたとは思わない。ただ、人材の不足、なにより主君がとエリザベスは冷え冷えとした感情を押し殺した。
表だっての異議は唱えられない。なにしろ、カデルの者は『ハーストの温情にすがって』いる身だ。修道院に入れられて日の目を見ないよりは、まだ選択の幅がある。
姫君達もいずれはどこぞに嫁ぐだろう。そうなればまがりなりにもカデルの血は残り、伝えられる。
「王子殿下と母君はどうなるでしょう」
「もちろん、カデルの王位を継いでいただくために、しっかりとした後見と教育をする所存です。母君にも見守っていただきたいのですが」
思わせぶりに会話を切ってお茶を飲む宰相を、たとえは悪いが狐か狸と感じエリザベスは自分もお茶に口をつけた。
――当面は親子は引き離さないが、王子に、いやハーストの望む生育に不都合になれば、母親である側室の身分保障はしかねるということか。
母親には王子が、王子には母親が人質の役割を果たす。まあ、とエリザベスは考える。
王子をあげた側室は、素直な女性だから扱いとしては難しくない。
余計なことを焚きつけてそそのかすような輩にさえ気を配れば、ハーストとしても御しやすいだろう。
では、自分はどうだろうか。
エリザベスは茶器を卓において、宰相に微笑んだ。
「わたくしは夫と父の二人の喪に服しております。とても華やかな場に出るような状況ではありません。姫君達の母君はハーストの貴族の方がお相手を務めるとして、王子の母君はいかがでしょうか」
「はい、陛下の甥に当たられる方か、叔父に当たられる方にと考えております」
「わたくしは、欠席でよろしいでしょうか」
宰相はとんでもない、と言いたげに器用に眉を上げた。
エリザベスにしても欠席を認められるとは思ってはいない。お飾りであれ、カデルの王妃だった女を戦勝記念に出さないでおくはずはない。
あとは条件闘争になる。
「レディ・エリザベス。喪に服される心情は十分理解しておりますが、今回だけは曲げての出席をお願いしたいのです」
「他の方々には出席する大事な理由があります。姫の母君は顔合わせ、王子の母君にしても今後色々と関わりがあるでしょうから。
わたくしには称号以外に価値はなく、晴れがましい場に出る理由がございません」
宰相は子か孫かというほど年下のエリザベスに対して、丁重に礼をした。
「なにをおっしゃいますか。ご側室が出席して、王妃がお出ましにならないなどカデルに何か思惑があるのではと、痛くもない腹を探られてしまいます」
「わたくしの腹を探っても、陛下のお子は入ってはおりませぬ」
「これはこれは」
これからも入れるつもりもないけれど、とエリザベスは内心でつぶやき、宰相に向き直る。
「どうしてもわたくしも出席せよとの仰せですか」
「どうぞ、この年よりに免じてはくださらぬか」
「喪も明けぬ身で心苦しいのです。――では、贖罪も兼ねてその後に修道院に入ってもよろしいでしょうか」
宰相はさすがにとぼけたふりをやめた。
鋭い視線の奥では、今の発言への対応と今後を忙しく考えているのだろう。
眼前のエリザベスは澄ました顔で座っている。ハーストの侍女と騎士にも聞こえるように、柔らかながらも通る声で宣言した。
修道院に入る――夫も父親も失った女性が選ぶ道としては自然だ。
ハーストの懸念も払拭される。しかし。
「あまり結論を急ぎすぎませんように、レディ・エリザベス」
「いいえ、カデルが敗れた時よりの考えです。静かに父と……夫を想い生きていきたいのです」
本心からの言葉のように、エリザベスの瞳は真摯な光をたたえている。
宰相はぬるくなった茶を飲み干すと、腰を浮かせた。
「その件に関しては陛下にも奏上いたしませんと、この年よりの一存では返答しかねます。夜会へは出席ということでよろしいか?」
「さすがに黒では不適切でしょうね」
「明るい色がお似合いと思いますが」
「お上手ですね」
後ほど夜会に関しての詳細を知らせること、姫達の母親の再婚話は伏せておくことを確認して宰相は離宮をあとにした。
エリザベスは小さく溜息をついて、椅子に座り、お茶のお代わりを頼む。
最上の注意を払って淹れられたお茶は贅沢で、美味しい。
修道院ではとてもこんなお茶は飲めないだろう。
それでも、とエリザベスは考える。
この身は野放しにはされないだろう。元王妃の再嫁は高度な政治的判断を要する。しかも敗戦国の王妃であればなおのこと。
どうせ幽閉扱いなら修道院の方がよい。世俗にわずらわされることもなく、祈りの日々をおくれる。守らなければと気負った側室や、子供達とも遠くない時期に引き離されてしまう。
判断を下すのはハースト側。もう少し猶予があるかと思っていたが、夜会で姫の母親が縁組みと予想以上に動きが早ければ、我が身もどうなるか分からない。
宰相は夜会でエリザベスと同伴する者には言及しなかった。それが気にかかる。
敗戦国と低くみれば別だが、他国の元王妃の身分を考えるのであれば、ハーストの王族関係者か王族に近い高位の貴族になるだろう。とにかく無難な人選のはずだ。その相手によって、自分のハーストでの立場や今後が占える。
「夜会。明るい色と言われても」
新しく作るつもりもないし、手持ちで華やかな席に耐えうるようなものはあっただろうかと、久々に服飾で頭を悩ませる。
引きこもるつもりだったので、持ってきたものも少ない。
気安く相談できる侍女もいない。工夫してなんとかするしかなさそうだった。
そして開催された夜会も中盤を過ぎたころ。
エリザベスは死にかけていた。