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この危うい関係  作者: 素子
本編
14/52

14  乱高下

 カデルからハーストへと国をまたぐ。目に見える境界線はなくても、厳重な国境警備と堅牢な砦、周囲からカデルの人間がいなくなることでエリザベスはそれを痛感した。

 侍女や、乳母、侍従など、要するに元王族関係者以外がハーストに入ることを許されずに、一行と離れていく。

 

「ハーストに入りました」


 馬車の外から告げられて、エリザベスは言いようのない心細さを味わった。

 それでもカデルから持ってきた品を取り上げられないだけ、まだましなのだろう。身につけるものから全て故国のものを持ってくることを許されなかった例だってある。ぎゅっと扇子を握りしめて、馬車の振動に身を任せた。

 心なしか、馬車の速度も上がったようだ。ハーストの人々にとってはかつての敵国から自国に、故郷に入ったのだから気もはやるだろう。侍女がいなくなり女性騎士と二人だけの少しだけ広くなった空間で、エリザベスはつらつらと考えていた。


「親父殿、ハーストですね」

「ああ、だが王城に入るまでは気を抜くな」


 大過なく国境を越えた安堵が認められる兵達の気を引き締めながら、クラークは馬を進める。神経をとがらせていたものの、結局追加の襲撃はなかった。

 単なる事故か、様子見か、諦めたか、いずれでもないか。見えざる敵という一番神経をすり減らす相手に、クラークの機嫌も良かろうはずはない。


 容疑者からエリザベスを消去できないことも、クラークを落ち着かなくさせている。

 カデルの人間の代わりにハーストの人間が加わって、王都を目指す。王都に入れば、カデルの元王族達は離宮へと隔てられる。国王陛下の意向一つで先行きが決まってしまう、頼りない身の上になるだろう。

 考えてもあまり楽しくない未来を頭を振ることで追いやり、クラークは背筋を伸ばし周囲を見やった。



 カデルと同じように、ハーストでも道に点在する貴族の館に逗留しながらという形式だ。

 王子と上の姫はまだ我慢ができたが、末の姫は乳母がいなくなったのが相当に悲しかったようで、部屋でも泣き通しでいる。仕方のないこととはいえ、むごいこととエリザベスは出されたお茶を黙って飲んだ。

 給仕をしてくれるのも、側付きで世話をしてくれるのもハーストの人間だ。丁寧な物腰なのに、冷ややかで。エリザベスは強いて気付かないふりをした。

 しっかりしなくては。カデルの血筋を伝える子供達と、その母親を守らなければ。

 弱みをみせる訳にはいかなかった。


「親父殿、明日には王都からの兵が到着します」

「カデルで合流すると、いらぬ摩擦を生じるからな。だがこれで少しは楽になるか」


 クラークとバートの会話も、張りつめたものが少し和らいでいる。ここからは勝手知ったる自国内と思えばだ。

 ハーストの酒に舌鼓を打ちながら、報告をあげさせる。


「陛下のご様子は?」

「お変わりありません。宰相様自ら迎えに来そうだと、王都からの書状を読んでおいででした」

「かなり長期の不在だからな」


 鬼宰相と呼ばれている老齢の御仁を思い出して、クラークは肩をすくめた。クラークにすら顔を合わせればやれ身なりに気をつけろや、身を固めろと口うるさく、いや心配のあまりの忠告をよこしてくれる宰相は苦手な部類だ。

 バートもカデルの元側室やその子供達の報告を淡々と済ませて、元王妃に言及する。


「レディもお変わりないようです。ただ緊張はしているご様子だとか」

「緊張? 何にだ?」

「さあ、私には分かりかねます。護衛の騎士も特にこれという理由は見当たらないが、と申しています」


 エリザベスの館を離れてからは個人的な接触には乏しかったので、憂える理由が思い当たらない。

 クラークは久々にご機嫌伺いをしようと思い立った。


「レディ・エリザベス。不自由なことはありませんか?」

「いいえ、よくしていただいております」


 昼の明るい日のもとで、そう言いながらも頬の線は幾分かかたく見える。

 エリザベスは形見という扇子を手に、少しだけためらってからクラークに切り出した。茶を供した侍女に退席を命じて。


「このお願いが失礼にあたるのは承知しておりますが、子供達と母君の安全に配慮をいただきたいのです」

「無論、言われるまでもないことです」

「はい。ただ……カデルとの戦でわたくし達には良い感情を持たれていないと思っております。身内に不幸があった方もいらっしゃるでしょう。

 矛先が向くのではないかと。周囲で、世話をしてくださるのはハーストの方だけになりましたので、もしもと思うと……」

 

 カデルに恨みを持つ者に害する可能性を示唆されて、今度はクラークの顔が厳しいものになる。


「失礼ながらレディ、それは我々を見くびっていらっしゃる。毒味にしろその他についても厳しく目は光らせています」

「警備、警護の責任者であるウォーレン卿には侮辱ととられても仕方ありません。わたくしが浅はかにも懸念しているだけです」

「留意いたしましょう」


 貴族の館に仕える者の家族が、親しい人間が戦いで苦しんで恨んでいるかもしれないのは十分に予想される。敵国の王族の血筋を絶やすこと、害することが最も溜飲が下がるだろうことも。

 逗留する貴族の選定には神経を使い先遣隊にも調査はさせているが、下仕え、側仕えの個人までとなると調べきれないのも実情だ。警備は厳重にしてもなかなかに難しい問題でもある。


「いっそわたくしが毒味と世話係をしたいくらいです」

「レディがですか」

「ええ、わたくしなら後腐れがありませんから」


 皮肉でもなく本心からの言葉に聞こえて、クラークはぎりと歯を食いしばった。

 レディと呼びかける声は、エリザベスがひやりとするほど冷たいものだった。


「ご冗談が過ぎる。王妃が後腐れないとはなんという言いぐさか」

「……父も刑死、子供もいないのにですか?」

「レディ、それでもあなたはカデルの代表であり、最も高貴な方だ。あなたの無事を確保するのが、私の使命です」

「では、わたくしに何かあれば卿の失態ということですか」


 バートは熊親父の背後で、手に汗を握っている。先程からの応酬は、いっそ聞かなかったことにしてしまいたいと願うほどに恐ろしい。

 怒れる熊親父もだが、その前でいて動じないレディはどういうお人かと思えるほどだ。今だって凶悪化の一途をたどる様相の親父殿の前で、あろうことか口の端が上がっているではないか。

 この状態の親父殿の前で微笑めるなんて、それだけで部下の尊敬と畏怖を集めるだろう。バートですら、その度胸のよさに感動を覚えるくらいなのだから。

 どうなる、どうするおっさん、とはらはらしながらそれでも表面は平静を保つ。


「私の失態云々ではない。あなたに危害が及ぶなど我慢がならないだけだ」

「なれば子供達と母君をよろしくお願いいたします。戦場の悪鬼と称される卿ですもの、頼りにしております」


 優雅に退出を促され、クラークはしぶしぶ立ち上がった。胸に手を当てて軽く礼をするかわりに、大股でエリザベスへと歩を詰める。

 いささか強引に手を取ると、厳しく真摯な眼差しを向けた。茶色の瞳が碧の瞳と交錯する。


「くれぐれも御身を軽く考えないでいただきたい。父君も、そう思われているでしょう」


 視線を外さないままわずかに強ばって引こうとする手も逃さずに、クラークはエリザベスを見下ろす。


「私がこれまで手にかけてきた命が軽いとは思いません。どんな立場でも理由でも命を奪ったのは事実です。同様にその人たちが守ろうとした命もけして軽いとは思わない。どうか大切にしてください」

「……ウォーレン卿」

「これで失礼します」


 無骨な男のどこに、と思うような優雅さで身をかがめて手の甲に軽く口づけるとクラークは身を翻して部屋を後にした。

 バートも続くが、すぐに立ち去ったばかりのエリザベスの部屋に戻る。

 落とし物をしたと告げれば、入室を許された。

 エリザベスは、さっき座っていた長椅子に深く身を沈めていた。入ってきたバートを認めて、心持ち顔を上げた。


「あなたは、ウォーレン卿の」


 返答の許しを得てからバートは深く礼をした。


「副官を務めております、バート・ベイリーと申します。どうかベイリーと」


 さっきまで立っていた場所から小さな紙片を拾い上げて、バートは不調法をわびて辞去しようとした。それをとどめたのは、エリザベスだった。


「ウォーレン卿はどのような方なのですか」

「武術に関しては誰の追随も許さない。部下への面倒見は良いが、上つ方からの評価は色々です。個人的には尊敬する上官です」

「不思議な方ですね。悪鬼と称されるほど恐ろしいはずなのに作法は優雅で、押し出しは立派なのに挙動不審なこともあって」


 それはあなたの前だからですと言いたくて仕方ないバートは、しかし口に出さないだけの分別は持ち合わせていた。

 レディは熊親父が自分に寄せる気持ちを知っているのかいないのか。

 知らないほど鈍感ではないようにも思えるが、知っているからといってこれまでの態度からは踏み込む気など毛頭ないようだ。

 結果、バートは無難な返答をした。


「人相が凶悪な上に粗野な仕草をすればならず者にしか見えないからと、言葉遣いや作法には気を配っているようです」

「そうですか。わたくし達にも細やかな配慮をしてくださって、感謝していると伝えていただけますか?」

「それは……非常に喜ぶかと存じます」


 鷹揚に頷いたエリザベスにもう一度丁寧に礼をして、バートは廊下に出た。

 手の中の紙片を握りしめる。予想以上の収穫だ。

 熊親父の部屋に顔を出せば、警備の概要を記した紙を食い入るように見つめるおっさんがいた。


「どうしたのだ」

「落とし物を取りに。あ、親父殿。レディから、『わたくし達への細やかな配慮に感謝している』とご伝言がありました」


 その時の熊親父の顔は見ものだった。たった今、耳にしたのが信じられぬといった風情で。戦場の悪鬼にこんな表情をさせることができるのだ、やはりレディは熊使いに君臨するべきだろうとバートは思った。

 いつまでも呆けているのに、おっさん戻ってこいやと駄目押しとばかりに、さっきのレディとの会話を付け加えた。


「親父殿のことを、作法が優雅で押し出しが立派だともおっしゃっていました」

 

 褒め言葉の前後は面倒だから割愛する。無駄に落ち込ませる趣味もない。

 第一、これだけの内容でも十分な衝撃らしいので。

 

「本当に、レディがそんなことを?」

「親父殿に嘘を言ってどうしますか。よかったですねえ、レディから三つも肯定的なお言葉が発せられたんですから」

「三つ?」

「感謝と優雅と立派ですよ。まさか、こんな日が来るとは思いませんでした」

「何か裏があるのではないのだろうか」

「おっさ、親父殿。どれだけ疑心暗鬼なんですか。素直に嬉しがればいいのに」

「……慣れていないので、な」


 特にエリザベスの口から、と思えば疑念の方が先に立つ。何を考えている?

 直接ではなくバートを介してというのも引っかかる。

 エリザベスが自身を軽く考えているのは間違いない。先行きが明るいものではないのも承知しているのだろう。

 それにしても。まるで、そう。自身を餌のようにしているように思える。

 何を、誰を誘っているのだろう。暗殺を含めた危害か、逃亡の手助けか。

 しばらく考え込んで、にやにやしている副官に釘をさす。


「あまりレディとは、個人的な接触を持つな」

「親父殿。妬いて――いるわけではないようですね」

「弓矢の一件もある。カデルの遺児と母親達の警備には特に目を光らせろ。レディ、はしばらく様子見だ」

「はあ。ま、親父殿がそう言うなら。でも、俺以外の前ではそのにやけた顔はどうにかして下さい」


 指摘されて思わず顎に手をやる。にやけているつもりはないのだが。

 バートをねめつけると、すまし顔だが目が笑っている。


「あとでハーストの火酒を持ってきます。祝杯をあげましょう」

「なら、この変更した警備計画書を持って行け」


 無造作に手にした紙をバートに押し付けて、くるりと背を向けた熊親父の耳が赤いのには言及せずに、バートは騎士の詰め所へと急ぐ。

 ハーストに入り気分の浮上した多数と下降した少数の、思惑をはらんでそれでも王都への旅路は続く。


 半月後、一行は王都に到着し戦の勝利に沸く民の歓声に迎えられた。






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