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この危うい関係  作者: 素子
本編
13/52

13  遠乗り

「良い遠乗り日和になったものだ」

「本当に」


 軽やかに走る二頭の馬のすぐ後ろで、場にそぐわない空気が発せられている。  

 そぐわないというのは語弊があるだろう。周囲への警戒のあまり殺気に近いものがびしばしと放たれている。  

 ハースト国王の乗る葦毛、カデル元王妃の乗る鹿毛の後に、大きな青毛に乗るハースト騎士団長が続いていた。前後左右にハーストの騎士が護衛をしてはいるが、人数は多くない。中には副官のバートと熊親父旗下のヒューもいた。


「なあ親父様が怖くないか?」

「あの人が怖くなかったためしがあるか?」

「いや、それはそうだけどいつにも増して……」

「そこ、うるさい。無駄口をたたくな。気の緩みを招く」


 ヒューがぼそぼそと他の騎士と馬上でやりとりしていたのを、バートは聞きとがめて声をかけた。一部には地獄耳とも小姑とも言われてるバートの耳目からは、滅多なことでは逃れられない。今も注意を受けたヒューは、へらりと情けない笑みを浮かべて手綱を握る。  

 バートは部下への厳しい眼差しを一転させて、上官とその主に向けた。  


 にこやかにカデルの元王妃、レディ・エリザベス・プレストンに話しかけるハースト国王レジナルド・ブリス・キングスリー・ハースは三十半ば。落ち着きと施政への自信が風格となって滲み出ている、バートにとっても自然畏敬を覚える偉丈夫だ。  

 文武ともに優れていて、乗馬も難なくこなす。  

 対して礼にかなった受け答えをしているのは、黒い簡素な乗馬用のドレスに身を包んだカデル元王妃で、抑えた色彩も陽光を浴びて輝く髪の艶を引き立たせている。  

 ――似合いに見える。


 その後ろの親父殿。バートはうかつに近寄れば射殺されるか、吹っ飛ばされそうな物騒な雰囲気のハースト騎士団長の後姿を眺める。弓矢で狙われないように、道中の足場になりそうな地点には既に兵を配している。  

 いざという時の盾になるようにと騎馬も付けている。  

 だが親父殿が一番の悪役に見えてしまう。バートは同情を禁じ得なかった。  

 せっかくのレディとの遠乗りも国王陛下の護衛に加えて、前日の襲撃事件の姿の見えない賊への警戒のあまりに全く楽しんでいる節はない。騎士団長としては正しい姿でも、親父殿を案じるバートにすれば不憫だった。

 しかも美味しいところを国王陛下が一手にさらっているとなれば。


「レディ・エリザベスは乗馬がお好きか」

「ご覧の通りの田舎ですから、幼少の頃から仕込まれました」

「乗馬の楽しみを共有できるご婦人は貴重だ。その馬も素晴らしい」

「ありがとうございます。陛下のお乗りになられているのもさぞや名のある馬なのでしょうね」

「血統はよいな」


 帽子のかげでよく見えないが、レディは笑顔のようだ。馬を走らせているせいか声も弾んでいるように聞こえる。  

 あんな楽しそうな様子を親父殿に見せたことがあっただろうか、とバートは思いめぐらせて首を振る。親父殿の前でのレディは強張っていたり、無表情だったり。怒りや恨みをぶつけたりはされていたなあ。  

 バートはさすがに実行はしなかったが、熊親父の肩にそっと手を置きたい誘惑にかられてしまった。



 小高い丘の上の大樹のところで、一同は休憩を取った。  

 クラークが昨夜厨房から分捕った軽食や果物、飲み物がふるまわれる。  

 王子や姫を連れて行った泉も良かったが、この眼下に領地を一望できる場所もなかなかだとクラークは思う。これがエリザベスが幼い頃から馴染んで育った景色と思えば、いっそうきらきらしく感じられる。  

 さすがにここへは襲撃もできまいと、遮蔽物のない丘から周囲を睥睨する。  

 ようやく警戒を緩めることができると緊張をほぐした。


「クラーク、こちらに来ぬか」


 国王陛下に誘われて近寄れば、エリザベスも側近くに腰を下ろしていた。  

 ひざまずくとハースト国王が大仰だと笑う。その場で簡易の折り畳み椅子が用意され、クラークは国王陛下とエリザベスとともに軽食を取るはめになる。  

 一緒に食事など初めてだ。お茶ですら卓を挟んでのやり取りだったのに、この晴天のもとでとても近くにエリザベスがいる。はっきり言って軽食や茶の味など分からない。  

 気持ち良い風に吹かれながら、クラークも少々舞い上がっていた。


「レディ・エリザベスのデボラ号は見事と思わぬか」

「は、左様に存じます」

「あれはハーストに連れて行ってもよいと、ウォーレン卿が許可をくださったんです」


 エリザベスから名前が出て、クラークは心臓が止まるかと思った。  


「そうか。それは喜ばしい。ハーストで是非繁殖させたいものだ」

「ウォーレン卿はご自身の馬と、とお考えのようです」

「ああ、ウルスス号か。レディはどう思われる?」


 エリザベスがクラークから馬達に視線を移した。鹿毛で額と脚に白斑のあるデボラは、陽光を浴びてすらりとした肢体でたたずんでいる。ウルススは黒光りする素晴らしい筋肉を誇り異彩を放っていた。


「拝見しましたが、とても良い馬と思います。これで相性が良ければ……」

「だそうだ。良かったな、クラーク」

「は」 


 一昨日の失態が国王陛下の耳に入っているかどうかは定かではないが、クラークは冷や冷やしながらもエリザベスに愛馬を褒められていい気分だ。

 エリザベスが周囲の景色に懐かしさを滲ませた。


「ここは、父とまだ健在だった頃の母と来た場所なんです。来られて……良かったと思います」

「そうか」


 ハースト側にとっては通過点に過ぎない場所もカデルの人間には故郷であり、特にエリザベスにとっては思い入れの深い場所でもある。

 これで見納めになるだろうと思えばなおさらだ。


「私は馬の様子を見てこよう。クラーク、随行には及ばぬ」


 レジナルドはさっと立ち上がって近衛騎士を連れ、愛馬のもとへと行ってしまう。

 残されたのはエリザベスとクラークだった。

 やや気まずい空気が漂うが、エリザベスが口を開いた。


「ウォーレン卿、連日の警護をありがとうございます。急なことで驚きましたが、卿も大変だったのではありませんか?」

「いえ。警護の者達への通達は直前でしたが、陛下からは昨夜のうちにご下命がありましたから」

「そうでしたか」


 霊廟で両親に花と祈りを捧げているエリザベスに、遠乗りのことを伝えたのはクラークだ。侍女は同行せずに最小限の人数で館を抜け出した。

 エリザベスの騎乗ぶりにクラークは感心した。デボラと気持ちが通じているのか、騎士や自分たちに遅れることなく、軽やかに駆けてこの大木まで案内してくれた。

 同時に警戒心も湧く。その気になれば馬で逃げることも可能かもしれない。

 何もできないお嬢様ではないようだから。

 昨夜陛下と話していて示された可能性は常に頭の隅にある。常に疑え、狭い視野でなく物事を見よと。


「ここを離れるのも近いのでしょうね」


 ぽつりとエリザベスが呟いた。もともと側室の体調不良で予定外に延長した滞在も、彼女の回復は順調なので遠からずまた旅に戻る。

 ハーストにエリザベスは連行される。

 エリザベスは黙り込んだクラークに、苦笑して見せた。


「ウォーレン卿を困らせるつもりはありませんの。ただ、感傷的になっているだけなんです」


 あなたにならいくら困らされても構わない、とはさすがに口にしない分別はある。

 バートが背後から何か言いたげにしていてもだ。


「いや、お気持ちは分かります。ここはとても美しくて――見飽きない」


 クラークの視線につられてエリザベスも遠くを見やる。

 ただ静かに二人が同じ方向を見つめる。それだけなのに少し離れた場所から見守るバートには、二人の間の空気が少しだけ変わったように思えた。ぎすぎすとした堅苦しさのない、むしろ黙っていても通じ合っているという憧れの状況のような。

 熊親父にこんな穏やかな日が来るなんて、とバートはぐぐっと拳を握りながら警護名目の覗きを続行する。


「――そろそろ時間です」

「はい。一度ウルスス号の側に寄ってもよろしいでしょうか」

「もちろんです」


 馬も休憩を終えて帰り支度が始まるさなか、エリザベスはクラークの愛馬を見上げた。デボラよりも大きくて、真っ黒な青毛が存在感を放っている。


「初めましてウルスス号。なんて大きくて立派なんでしょう。ご主人に似たのかしら」


 バートはクラークが棒立ちになったのを認識した。きっと今、熊親父の頭の中はエリザベスの褒め言葉でいっぱいだろう。

 それが馬のついでに褒められたとしてもだ。


 ――なんて大きくて立派。


「うちの子をよろしくね。もしかしたらあなたのお嫁さんになるかもしれないの」


 ――よろしくね。あなたのお嫁さんになるかも。あなたのお嫁さんに。お嫁さんに。


 あ、親父殿がやられた。機嫌よさげなウルスス号とそれを微笑ましく仰ぎ見るエリザベスの横で、直立した熊が硬直している。

 一昨日が馬がらみで最悪の日なら、今日は最良の日だろう。親父殿の歴史にとっては。

 さてこの親父殿を呼び戻さないと、足に根が生えるまでこのままでいそうだとバートは大声を上げた。


「親父殿、時間です」

「あ、ああ……」


 夢からさめたクラークが陛下とレディを視界におさめたのを確認して、バートも自分の馬の鐙に足をかける。

 来たとき同様に優雅な足並みで、束の間の気晴らしは何事もなく終わった。


「陛下、お疲れ様でした」

「いや楽しかった。私の想像以上にレディ・エリザベスは優秀な使い手らしい」


 一人納得の笑みを漏らす国王は、留守の間のことを侍従長に報告させた。

 カデルの側室はすっかり良くなって、三日後一行は出立した。

 賓客が去った女主人の部屋でエリザベスは小物の引き出しを開けた。目的の品を手にして馬車に乗り込む。


「それは何ですか? 金属の……扇子?」

「ええ、母が若い頃に暴漢に襲われそうになったことがあったらしくて、父が護身用にと作らせたんです」

「拝見してもよろしいでしょうか」


 ハーストの女性騎士にエリザベスは扇子を手渡した。

 やや太い両端の骨には浅く彫刻がされ、中の骨も金属で繊細な透かし彫りが施されている。本来なら布を張る扇面の部分も、この金属を重ねて構成されていた。要の部分は碧の宝石がはめ込まれている。

 女性騎士はあちこちを触ったが、特に不審な点もなく扇子をエリザベスに返した。


「父が作って母に贈ったものですから、形見として持っておきたいのです」

「いざというときの護身用にはなるでしょう」


 ほんの気休め、という言葉を騎士は飲み込んだ。エリザベスはその扇子を開いてじっと見つめた。

 忠実な家令はじめ侯爵家の使用人に見送られ、馬車はゆっくりと離れていく。

 エリザベスは、ひとつため息をおとした。



 次の逗留先の寝台の上で、エリザベスは枕元においた扇子を手にとった。

 要の宝石部分を押しながら端の骨を引っ張る。彫刻に隠されていた切れ目がすうっと広がった。

 手の中にやや曇りはあるが光を放つ細身の短剣が現れる。


「磨きはどうにかかけられる」


 短剣に目を落としながらエリザベスは呟いて、また元に戻した。


「これで……」


 後の言葉を飲み込んで、エリザベスは寝台に横たわる。

 閉じる直前の碧の瞳は決然とした光をたたえていた。








 

 

 

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