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この危うい関係  作者: 素子
本編
11/52

11  森の中

 あまりよく眠れないままに朝を迎えたエリザベスは、お茶と果物を取っていた。そこにクラークの来訪が告げられる。着替えてはいたものの、髪は結わずにいたので身支度に向かう。

 手際よく結い上げられた髪の毛を鏡で確認しながら、エリザベスは自分の姿を検分する。丁寧に櫛が入っているから艶だけはあるが、色はありふれて平凡な栗色。目の碧はこれだけが特徴的だ。真面目で固そうな顔つきと露出も飾りもない黒い衣装。

 エリザベスは鏡から目を逸らして、クラークの待つ部屋へと出向いた。


「お早うございます。レディ・エリザベス」

「お早うございます。ウォーレン卿」


 それきり沈黙がおちる。部屋の面々は侍女の顔が違うくらいで、昨日の夕刻からの緊張を引きずっているように思える。

 エリザベスはクラークの出方を待った。クラークから居心地の悪さが発せられているが、それでもここにいるのは本意ではないにせよ顔を合わせないとならない事情があるのだと考える。


「ご側室が体調を崩された件で、もう数日ここに留まることになりました」

「はい、承知しております」

「王子と姫君達が退屈なさっているだろうから、何か気晴らしをと思いまして」


 エリザベスははっとした。体調を崩した側室の方に注意がいってしまっていたが、確かに子供達は、特に娘である姫は母親から遠ざけられて心細くもあるだろうし、上の姫も王子だって部屋にこもりきりではかわいそうだ。

 ここまで敵国の国王の遺児へ心配りをしてくれるクラークへの、感謝の念が湧く。


「仰るとおりですね。本当にそうですわ、わたくし、思い至りませんで」

「あ、いえ。昨夜、こちらの家令にいくつか候補を挙げてもらったのですが、レディに許可と助言をいただきたいのです」


 心持ち身を乗り出したエリザベスに、クラークはつとめて事務的に話をする。

 後ろの副官のかもし出している空気は不穏だが、いくらクラークだとて昨日の失態を繰り返すつもりはない。

 できるだけエリザベスを視界に入れないように、書類に集中した。


「この館の遊戯室、庭、厩舎と馬場などがあがったのですが、そんなに遠くない場所で子供の喜びそうな所をご存知ないでしょうか」

「そうですね。館の中や庭ですと、声が響いて安静にさわるかもしれませんから……。館の近くに小さな森と泉があります。そこならば花も咲いていますし、馬車でも行けるのでよろしいかと」

「では昼食を用意させて昼前に出かけましょうか」

「ええ、きっと喜ぶと思います。ウォーレン卿、ご配慮に感謝いたします」


 自分も子供の時分に遊んだ場所だ、とエリザベスは懐かしさを滲ませた。

 その柔らかな雰囲気にやられてしまったクラークだが、霧散しそうな理性をかき集め踏みとどまって副官のバートを振り返った。


「聞いたな。お子と母君にその旨を伝えろ。いや、私が赴こう。厨房には屋外での食事を用意させて、騎士と護衛、馬と馬車の準備を」

「既に通達していますのですぐに召集させます」


 きびきびと返答した副官にわずかに頷いて、クラークはエリザベスの方に再び向き直った。こぶしを握り、わずかにためらってから切り出した。


「レディ・エリザベス、あなたにも同行していただきたいのですが」

「わたくし、ですか」

「はい、あなたならお詳しいでしょうし」


 あなたにも気晴らしが必要に思えるから、とクラークは胸のうちで呟いた。

 エリザベスはけして認めないだろうが、おそらく二度と戻れないと覚悟はしているようで時間を惜しんで館や庭を見てまわっているのは知っている。さきほど浮かんだ表情から、その森と泉も思い出深い場所に違いない。

 国王陛下からのご命令でもあるし、とクラークは自分に言い聞かせた。


「――わたくしも同行いたします」

「では後ほどお迎えにあがります」


 大きな体躯で軽やかに立ち上がったクラークは、礼をして部屋を出る。

 これから客室や女主人の部屋を回って、側室や子供達にお出かけのことを伝えなければならない。

 人をやって伝えるのが泣かれず、怯えられずで気は楽だが礼を失する。できるだけ手短に用件を済ませようと、クラークは心に決めた。



 昼までまだ少し間がある頃、玄関にはしゃいだ子供達の声が響く。

 用意された馬車にわれ先にと乗り込む。子供達と王妃が一緒の馬車になった。王子と上の姫の母親達は、残って休むとのことだった。

 前後左右を守られて馬車が出発する。クラークは家令から見せられた地図を頭に叩き込んで、馬車の隣で馬を進めた。

 泉まではさほど遠くもなく、子供達もわくわくした表情のままで馬車から降りた。


「わああっ」


 歓声があがる。陽光を浴びて水面が輝く小さな泉があり、周囲には花が咲いている。

 庭師が整えた庭園や噴水しか知らないだろう子供達は、自然の造形に目を奪われていた。きゃっきゃと笑いながら我先に泉に手を入れては水をすくい、早くも夢中になって遊び始めた。


「これは、きれいな場所だ」

「わたくしの大好きなところなんです」


 子供達に先んじられたエリザベスは、心地よい陽気と風を感じながら馬車からおりた。その手を取りながらクラークは泉と周囲の状況に目を走らせる。信頼できる、そして少なくない人数で周囲を固めてはいるが警戒は怠ってはならない。

 するりと手が離れて、クラークはす、とエリザベスの背後にまわった。エリザベスが子供達に呼ばれてそちらに歩いていこうとしている。すぐに後を追った。


「王妃様、水が冷たい」

「きらきらしている」

「あっ、あれ、なあに」


 興奮そのままに口を開く王子と姫に、かがみこんだエリザベスが優しい笑みを向ける。その光景は幸福を切り取った絵画のようだと、クラークは息を飲んだ。

 側室の子供にわだかまりなく接している様子は、エリザベスがもし母親だったらと連想させる。この目線よりももっと優しく、慈しむように触れ合うのだろうか。抱きしめたり、抱き上げたり、本を読んで聞かせたり、歌いかけたり。

 たとえば仕事から帰って暖炉の前でそんな光景があったなら、そしてその笑みを向けられたなら。

 油断なく周囲を見渡しながらもそんな夢想が浮かぶ。



 ひとしきりエリザベスに群がって、話をしてもらったり花を摘んで冠を作ったりしていた子供達も屋外で敷物を敷いて食べる昼食に夢中になっている。これなら気分転換としては上々だろう。

 食後はかくれんぼとあいなった。遠くには行かせぬ様、一人の子供に複数の目が届くように差配してクラークはお遊びに付き合う。

 最初はクラークに怯えていた子供達も、エリザベスが側で平気な顔をしているせいか、または肩車や広い背中によじ登る楽しみを見つけたせいか、時間が経つにつれてクラークに馴染んでいた。

 その様子にバートがわざとらしく、そっと涙を拭う仕草を見せるのも腹立たしいが、泣かれて困り果てるよりはずっとましだとクラークは折り合いをつけた。


 エリザベスも付き合って木々の間に身を潜める。今の鬼はクラークだ。勝手知ったる森だ、護衛も子供達のようには張り付いていない。それでも少し離れた場所に、気配を殺して待機しているのを感じる。かつて両親ともこんな風に遊んだと、追憶にふけった。

 顔を上げれば護衛達も、子供に付き合ってかがんだりしているのが見て取れる。わざとらしく側を通り過ぎて戸惑うふりのクラークに、子供が笑いをこらえているのが微笑ましい。

 自身が森の熊のように下草を踏み分けながら、クラークがやってくる。

 さして本気ではない大人同士、簡単に見つかり見つけられた。


「ありがとうございます。皆がとても楽しそうです」

「いえ、我らも体がなまっていたのでちょうど良い機会でした」


 陽光を受けて艶めく髪と、いつもより明るい碧にクラークは胸を高鳴らせながら子供達の方へとエリザベスを誘う。

 背後に気配を感じて自然に体が動いた。絶妙の力加減でエリザベスの背中を押す。


「あっ」

 

 短い声を発しながら体勢を崩すエリザベスを背後から腕を回して抱きとめて、クラークは木の陰になるように位置を変えた。二人の前方でがさり、と音がした。

 項がちりちりとする。周囲の気配を探るが、もうさっきの鋭いものは感じられない。


「ウォーレン、卿」

「大丈夫ですか? 足を取られたようですね」


 腰に回していた腕をほどいてクラークが半歩下がる。クラークに抱きとめられて硬直していたエリザベスは呪縛が解け、納得のいかない表情ながらもさっき音がした繁みに目を向けた。


「音がしませんでしたか?」

「おおかた、森の小さな獣でしょう。穴倉にでも逃げ込んだのではないでしょうか」


 確かにもう音や気配は感じられない。エリザベスは、クラークの言葉に曖昧に頷いた。

 

「そろそろ子供達がしびれを切らしているかもしれません。戻りましょうか」

「ええ」


 下草や倒れている木に注意しながら二人は泉の側に戻った。それからは要領よくクラークが子供達を見つける。

 そろそろ戻る時間だと告げられて唇を尖らせたが、それぞれの母親に土産の花を摘んではとのエリザベスの提案に素直に応じて、子供達は花をかかえて馬車に乗り込んだ。

 クラークはバートに耳打ちする。その前から護衛数人と森に分け入って戻ってきたバートは、木の枝らしきものを携えていた。



 子供達を引き渡し、付いてきているクラークや騎士達のことはつとめて意識から追い出して、エリザベスは馬車に乗ったまま厩舎に足を伸ばした。

 馬車からはずされた馬や、本日の護衛の使用した馬が厩舎に戻されて水を飲んだり手入れをされる。エリザベスはざわめきの中厩舎をさらに進んで、目当ての馬の前で立ち止まった。


「デボラ」


 呼びかけられた鹿毛は、頭を上げて上唇をまくり上げる。エリザベスも愛馬を仰ぎ見て笑みを浮かべた。伸ばした手に首筋を擦りつけ、デボラがエリザベスに甘える。軽く首筋を叩いて、エリザベスがなにごとか話しかけていた。

 つやつやとした栗毛のエリザベスに鹿毛のデボラ。

 クラークと、少し離れた場所から見守っていたバートは、熊親父の呟きを聞き漏らさなかった。


「乗りたい……」


 おっさん、どっちにだと詰問しなかった自分を褒めてやりたい。

 バートは無言で熊親父に森での拾得物を差し出した。一瞬で熊親父の表情が変わる。

 空気を裂いて飛来した、一本の矢。


「誰を狙ったと思う?」

「王子たちがしゃがんでいたので目標を見失ったか、親父殿か……」

「彼女、だろうか」


 側室達に変わった様子があったとは報告がない。

 森の中、障害物の多い中でエリザベスを狙ったかもしれないと思える今回の出来事に、クラークは表情を引き締める。

 誰が、何の目的で。

 目の前の心温まる、心騒がせる光景をよそに、熊親父の周囲の空気だけがどんどん冷えていた。








 

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