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この危うい関係  作者: 素子
本編
1/52

01  出会い

 遠くで散発的な衝突が起きているのだろう、人馬と金属音が聞こえてくる。

 小高い丘に陣取って見下ろす限りでは自軍が優勢なようだ。敵が崩れ始めている。


「深追いはさせるな、待ち伏せされたら厄介だ」


 とはいえ沼沢地へと追いやる形にしているので、足並みを遅らせるのには成功している。あとは包囲を崩さなければ、それでいい。

 慌しい伝令の声が、戦場の厳しい空気を切り裂く。


「申し上げます。カデルの国王と思われる人物を発見いたしました」


 ざわっと空気が動く。一人、腕組みして目を閉じていた人物が、伝令を受けてゆっくりと辺りを睥睨する。

 日に焼けた肌、あせた金色の髪の毛とひげがぼさぼさになっていて顔の輪郭はよく分からないが、間違っても細面ではない。肩幅は広く、腕は丸太のようで胸板も厚い。それを支える下半身もよく発達していた。

 太い眉毛の下の相貌は鋭く、視線を当てられただけなのに伝令は睨み殺されるかと恐怖した。額から反対の頬に走る傷が、男の容貌を一層恐ろしげなものにしている。

 目尻には皺があり、漏れ出る声は太く、低い。


「敗走で浮き足立っているか。沼沢地の最奥に誘い込め」

「――では」

「ここで、終わらせるぞ」


 短い宣言だが、立ち上がった男の威圧感とあいまってその場の者は頭を垂れた。

 ハースト国王に最も近しい諸侯にして軍を束ねるウェンブル伯爵、クラーク・ベケット・ウォーレンはひときわ大きな馬にまたがり、配下の者を振り返った。


「勝利を」

「勝利を」


 唱和する声にあわせて一団が走り出す。

 ――この日、カデル王国のウィリス・アーロン・カデル国王は戦場で命を落とした。


 カデルの王都は比較的落ち着いているように見えた。先遣させた者達からの報告でも、国王死亡の話は広まってはいても庶民には日々の生活の方が差し迫った問題のようだ。王都を逃げ出す者もいたが、貴族階級以外は踏みとどまっているらしい。

 カデルの城が見えた時、クラークは安堵した。久しぶりに室内で眠れる。

 敵の本拠地ではあるが。


「気を抜くな。残党の抵抗も注意しろ」


 貴族付きの騎士や城に残った騎士が死に物狂いで来た場合、負けはしないが犠牲が出る。ここまで来たからには落とす命は少ないほうがいい。

 齢四十を越えて、一番大事なのは命を保って帰還することを信条に挙げるクラークだった。

 ここまでは順調だ。自分達が城に入って、カデル側と折衝しハーストの国王を迎えて正式に戦を終わらせる。留守居役の宰相は、切れ者と評判だ。この者との交渉は一筋縄ではいかないだろう。


 ただ切り札はこちらにある。国の存続、カデル国王の遺児の処遇をちらつかせれば無茶な要求は跳ね除けられる。あとは、カデル国王の家族か。

 王妃に、側室が数名と側室達の生んだ子達。これらをどうするか、国と連絡を取りながら対処しなければ。事務的なことや戦場以外での駆け引きを面倒くさいと思うクラークは、傷の走る顔をしかめた。



 城は敵国の――勝者達を静かに迎えた。さすがに怯えの色は隠せないながらも、自分達の仕事を全うしようとしている。

 初老の宰相が彼らを出迎えた。油断はしないように緊張しながら城内を案内される。


「陛下のご遺体を運ばせてあります」

「では霊廟に移します。わざわざのご配慮、感謝いたします」


 正式に死亡を通知して、カデルはハーストの支配下に置かれた。

 帯同した文官からの書類を宰相に渡す。


「私は専門外なので口は出さないが骨子は二つ。国名は存続、国王に関してはウィリス・アーロン・カデル陛下の遺児をもって次代の国王とするが、成人して政が行えるようになるまでは、わが国で暮らしていただきたい。国王ゆかりの方々もだ」


 人質兼教育の意味合いをこめてこの要望――実際には決定事項を通達する。

 宰相は予想の範囲内であったと見えて、動揺はない。


「承知いたしました。こちらの主だった者にもその旨を知らせます。ハーストの国王陛下がいらっしゃって正式な条約締結の運びでよろしいのでしょうか」

「殿下がまだ幼少とうかがっているので、摂政として王妃陛下に署名していただければと」

「……承知いたしました」


 わずかな間に、クラークはおやといぶかしく思った。それまで見事なまでに平静だった宰相の均衡が少しだけ、崩れた。だがすぐに立て直している。

 城内が落ち着いているのは、この宰相が采配をふるっていたからかと感心するような自制だった。


「殿下にお目通り願いたいのだが、私はこの通りの無骨者ゆえ子供には例外なく泣かれるのです。母君にも同席していただけるとありがたい」

「ではご案内いたしましょう。王妃陛下のところに側室の方々が揃われているはずですから」

「王妃陛下とご側室は仲が良いのか」


 国王を巡る女の争いしか想像できないクラークは、意外だった。宰相はそんなクラークに、穏やかな微笑みを返した。


「あなた方が城に入られるので、とても自室にはいられないと怯える女性が多くて」

「私達は略奪などしない」

「でも、女性にとっては、です」


 見目良い女性ばかりが集められているだろうし、敗戦国の女性の扱いは時に過酷になる。しかも良家の子女ばかりだろうから、怯えてしまうのは仕方のないことといえよう。

 宰相の案内で、城の王族の私的な生活空間へと足を踏み入れる。段々と装飾や調度が女性的になりうっかり触れて破損しないかとひやひやしながら歩を進める。実際には堂々とした大男が闊歩しているのだが、戦場の張り詰めた空気を引きずっているせいかクラークばかりは異質だった。


 宰相はある扉の前で立ち止まった。扉の両脇に控えている近衛に目配せをする。彼らは複雑な表情でクラークをうかがい見る。

 ハーストのウェンブル伯爵、クラーク・ベケット・ウォーレン。四十を越えてその体躯、技量、戦術に加えて老練な経験から勝利を呼び込む男として近隣では有名だ。

 顔の傷と、山賊かと見まがう人相の悪さも戦場の悪鬼と呼ぶに相応しい。

 今も敵の城の最奥部にあって、襲う隙を与えない。

 扉が開き、応接の間らしき部屋に通される。宰相が次の部屋へと声をかけ、しばらくしてから女性達が現れた。


 小さい子供が母親らしき女性の服にしがみついている。その女性にしても今にも倒れそうな顔色だ。クラークにとってはなじみの光景だ。

 ただ一人、例外がいた。姿勢よく、臆することなくクラークに近づき女性達をさりげなく背後にかばう。


 栗色の髪に碧の瞳で、まっすぐにクラークを見上げる。


「わたくしはカデル国の王妃、エリザベス・アン・カデルです。こちらが王子殿下のイアン・ルーク殿に母君、姫君は二人にその母君達です」


 声を震わせることもなくエリザベスは簡単に紹介をした。

 この優雅な空間にそぐわないクラークは、紹介された側室達とその子供に目を走らせて最後に王妃に視線を戻した。

 王妃に子供はいないと聞いている。ではこの女性達をハーストに迎え入れることになるか。鍵になるのはどうも王妃らしい。

 ――随分と落ち着いて見える。が、瞳の奥に揺れるものは完全には隠し切れていない。


 クラークは無骨な大男に不似合いな風雅な礼をした。


「初めてお目にかかります。御身をハーストに移送する責を負うことになる、クラーク・ベケット・ウォーレンと申します。カデル国王の首は私が取りました」


 悲鳴を上げて倒れたのは側室達で、慌てて別室へと子供とともに運ばれていく。宰相は侍医を手配するために応接の間を出た。

 残ったのは平然としたクラークと、こころもち頬に血の色をのせた王妃エリザベスだった。


「確認をしていただきたいのですが、どなたに――」

「わたくしが、いたします」


 一言一言を区切るように、エリザベスは言葉を紡いだ。

 

「では椅子にお座りください。倒れられては面倒だ」


 エリザベスはわずかに顎の線をかたくして、それでもクラークの言うとおりに椅子に腰を下ろした。その前に帽子箱のようなものが運ばれてくる。

 ちょうど侍医を連れた宰相が戻ってきたので、側室達は侍医に任せて宰相も王妃の近くに待機する。


「――よろしいですわ」


 手を固く組み合わせたエリザベスが低い声で促すと、クラークはす、と箱のふたを取った。中には男性の首が収められている。


「本当に首を落としたのですね」

「そうです」


 クラークの力技なら可能だったのだろう。実際首をつかんで、馬上でそれを掲げながら国王の死亡を大声で叫ぶ姿は、戦場の悪鬼のようだったと囁かれている。

 エリザベスもさすがに顔色が悪いが、食い入るように首を見つめている。

 しばらくしてから、視線をクラークに当てた。


「夫に、ウィリス・アーロン・カデルに間違いありません」

「では、首も霊廟に収めましょう」


 葬儀の準備と喪に服する準備が、残務処理に加わる形になる。

 そこに宰相が静かに問いかけた。


「一連の作業が終われば私も死罪でしょうか」


 はじかれたようにエリザベスが宰相を見上げた。エリザベスに静かに頷いて、宰相はクラークに答えを促した。


「おそらく、は」


 有能な宰相は危険だ。幼い王子が成人するまでは、この国の政はハーストからの執政官が行うはず。そして有能であればあるほど、作業が終わるのは早くそれだけ死も早いだろう。

 クラークはそう続けようとして、固まる。

 エリザベスの口から掠れてひしゃがれたような。


「――お父様」

「これが戦の世のならいなれば、仕方のないことです」


 そして自分に向けられた感情にクラークは気付いた。相手に向ければ軋轢を生じる、ことに敗戦の王妃が敵国の将に向ければ問題になる。それでも夫に続いて父親までも死に追いやる形の自分に向ける、隠しきれない怒りと憎しみを。

 戦場の悪鬼のはずの自分の背筋に戦慄のようなものが走る。

 ――自分を恐れずまっすぐに見据え、揺るがない。


 その感情の名前に気付くのに、さほど長くはかからなかった。







 

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