いい昔話と悪い昔話
∠
「手紙をお預かりしております」
イエンタラスー夫人は、テルへ2通の封書を差し出した。
差出人は、父とハレだった。
ヤイクが、ちらりとその封書を見る。
手紙の内容が、気にかかるのだろう。
だが、この封書が出される前は。
ついさっきまで、ヤイクは部屋の中の肖像画のひとつに、目を奪われていたが。
ウメの絵。
マリスのサインが入っている。
日本人を預かったイエンタラスー夫人の手元に、ただ一人最後まで残ったのが彼女だという。
身体が弱かったため、父の旅に同行することが出来なかったのだ。
「スエルランダルバ卿は、ウメに育てられた男ですよ」
領主と、どうしてもしなければならない話はない。
旅の安全地帯である領主宅で、地方の様子を聞くくらいのものだ。
エンチェルクを引きとめるほど、夫人はウメの話が聞きたかったのだろう。
だから、テルはあっさりとその仕事をスエルランダルバ卿──すなわち、ヤイクに振ったのである。
その時の、夫人の顔と言ったら。
若かりし時の美しさを感じさせるほど、生気に満ち溢れ、明るい表情をヤイクに向けたのだ。
「殿下……」
彼は、珍しく困っているようだった。
このようなウメを大好きな老女相手に、皮肉を聞かせるわけにもいくまい。
テルは、彼がどんなまっとうな言葉で、ウメを語るのか聞いてみたかったのだ。
さっき、絵に目を奪われていたその表情は、決して皮肉の対象ではなかったのだから。
「ウメは……素晴らしい仕事をしていますよ。まぁ……少々型破りですが、ね」
ヤイクは──いかにも言わされている感たっぷりだった。
思わず、テルが笑いをこらえなければならないほど。
「ええ、ええ、そうですとも……ウメはちょっと変わっているのですよ。でも素晴らしい娘ですわ」
夫人は、本当に嬉しそうだった。
もはや。
ウメは娘という年ではないのだが、彼女の中の姿は、昔のままなのだろう。
きっと。
本当の娘のように、思っていたのだ。
※
夫人の部屋を出ると、テルは二人の青年と対面した。
二人?
テルは、一瞬彼らが何者であるか判別できなかった。
一人は二十歳すぎ。
もう一人は、もう少し若いか。
二人とも髪を伸ばし、貴族然とした姿だ。
どちらかは、おそらく夫人の養子なのだろう。
「初めてお目にかかります……クージェリアントゥワス=イエンタラスー=ロクオワヌリフと申します」
二十歳すぎの男が、テルに見事な礼をした。
華やかな気配は十分だが、少々鼻につく感じがある。
イエンタラスーを名乗るのだ。
この男が、夫人の養子なのだろう。
では。
もう一人は、誰なのか。
「たったいま到着したばかりで、お見苦しい姿で申し訳ございません」
見苦しさなど、テルは微塵も気づいていなかったが、若い方の男はさっと立ち姿を改めた。
瞬間的に。
テルは、誰かに似ていると思った。
とても高い背丈。
柔らかそうな濃い栗色の髪。
だが──まっすぐに見つめてくる瞳。
「エインライトーリシュト=テイタッドレック=キルルスファイツと申します」
若いが、風格を感じさせる青年だった。
テイタッドレック。
イエンタラスー家の北側の領主の名だ。
若い後継ぎ同士、交流があるのだろう。
テルはその程度に、理解していた。
「テイタッドレック卿の……」
反応したのは──ヤイク。
その声には、好意的なものというよりも、怪訝がたっぷり含まれている気がした。
「お父上はお元気ですかな? 相変わらず、剣など振っておいでか」
たっぷりの毒を含ませ、ヤイクはゆっくり問いかける。
どうやら、彼はかの領主が好きではないようだ。
「はい、相変わらずです。都から刀が届いてからは、なおのこと日々鍛錬しております」
ヤイクの毒を受け流しながら、静かにエインは笑みを浮かべた。
刀?
ああ。
キク関係の人間か。
※
「不機嫌なようだな」
テルは、ヤイクを部屋へと招いていた。
今日の彼は、とても忙しい状態で。
エンチェルクと衝突はするわ、ウメの肖像画と出会うわ、テイタッドレック卿の子息と出会うわ。
それらが、完全にテルの中で結ばれているわけではない。
だが、いまのヤイクを形成する、何か大切なものであったことは間違いないのだ。
「大したことではありませんよ」
テルがソファにかけた後、それでも彼は大きな息を吐き出しながら、向かいへと腰かけるのだ。
「テイタッドレック卿は……キクの弟子か?」
正直。
テルが、一番気にかかっているのは、そこだった。
都から、刀が送られてきたという。
それは。
キクが、帯刀を許したということに他ならないからだ。
「でしょうね……詳しくは知りません」
その点については、ヤイクはあっさりしたものだった。
本当に詳しく知らないのだろう。
では、何故。
彼は、北の領主に食いついたのか。
「では、ウメと関係が……?」
ヤイクと一番関わりの深い人間は、彼女しかいない。
あっと。
言葉にしながら、テルの頭の中でチカッと光がまたたく。
いま、何かがつながりそうになったのだ。
エインを見て、自分は何を思ったか。
誰かに似ていると。
誰に?
「そうか……モモか」
背の高い、栗色の髪のウメの娘。
母にまったく似ていない容姿。
エインとモモが、よく似ている気がしたのだ。
「さあ……私は何も知りませんよ」
だが。
ヤイクは──大きな吐息を落としたのだった。
※
テルは、ヤイクの前で手紙の封を切った。
まず、ハレのものを開く。
「ハレが、すごいものを拾ったらしいぞ」
なかなか豪胆なことをしたものだと、テルはつい笑みを浮かべてしまった。
「いやな予感しかしませんね」
その表情に、ヤイクは苦笑している。
「月の娘だそうだ」
月の一族から、逃げているところを保護したという。
「それは……余計狙われる材料になりませんか?」
彼の言い分は、もっともだ。
だが。
「娘を差し出せば、あいつらが俺たちを襲わないでいてくれるのか?」
手紙を封に戻しながら、テルが言うと。
「あぁ……それもそうですね」
あっさりと、ヤイクは引きさがった。
「魔法を使う月の者が、奪い返しに来たのを撃退したそうだ……向こうも頑張っているようだな」
魔法、という言葉に、彼の文官は首を振っている。
もう二度と御免だ、というところか。
次に、父の手紙を開いた。
「……叔母だ、そうだ」
「叔母、と言いますと……いやな心当たりが一つしかありませんが」
ヤイクは、鋭く頭のいい男だ。
テルが何を言わんとしているのか、大体分かっているのだろう。
「その嫌な心当たりの叔母だ……幽閉先にいたのは、狂った違う女だったらしい」
昔々。
テルが生まれる前。
父の妹は、オリフレアの母を殺そうとした。
その咎で、一生幽閉されることになっていたのだ。
あの髪の長さは、伸ばし始めて2年くらいか。
2年前、誰かが叔母と狂った女を入れ変えた。
そう。
『誰か』がいる、ということだ。