うるさい
∞
リクパッシェルイル。
飛脚を立案した母を、陰ひなたに支えてくれたのが、この男。
桃は、彼と向かい合って座りながらも、何から話していいかよく分からなかった。
聞けば、もう一人の老人は、夕日だというではないか。
髪を切ってなお生きていた太陽は、そう呼ばれるらしい。
何故、そんな男とたった二人で旅をしていたのだろう。
他の、一切の護衛もつけずに。
「ウメは元気ですか?」
リクは、静かに語りかけてきた。
その声に、桃はハッとする。
「はい、元気です」
旅立って結構な日数がたった。
でも、きっと母は元気だ。
桃は、それを疑ってはいない。
エンチェルクはいないが、母の側には頼りになる伯母がいるのだから。
深みのある瞳が、自分に向けられる。
自分の向こうに母を見ているのか、はたまた桃自身に思うところでもあるのか。
「何処へ、向かわれているんですか?」
当たり障りのなさそうな話が、ようやく自分の唇から出てくれた。
「さあ……あの御方が行きたいところに行くだけですよ」
夕日のことだろう。
本当に、流浪の旅路にいるらしい。
「あの……つかぬことをお伺いしますが……何故あの御方と旅を?」
聞いていいのかなぁ。
そう戸惑いながらも、やはり我慢が出来なくなった。
おそるおそる、言葉に乗せて見る。
すると。
リクは、薄く微笑んだ。
「昔々のご縁のおかげです」
『昔々』という言葉に、彼はとても深い心をこめたように思えた。
遥か昔の、とでも言わんばかり。
わ、分からない。
謎かけのような言葉の向こうに、この男の何かがあるのだろう。
だが、桃が手を伸ばすには、遠すぎるもののようだった。
※
リクとの短い対面が終わって。
桃は、コーを迎えにホックスの部屋へと向かった。
何だかんだで、随分長い時間たった気がするが、コーは大丈夫だろうか。
と、二階の廊下に差しかかった時、彼女は不思議なものを見たのだ。
ホックスの部屋の前で、立ち止まっている人間がいる。
使用人のようだ。
用事でもあるのだろうかと思いながら近づくが、使用人は、そのまま止まっている──ではなかった。
「えっ」
桃は、驚きの声をあげてしまう。
その使用人は、石のように固まっていたのだ。
はっとして、彼女は急いでノッカーを叩く。
この現象には、見覚えがあった。
桃自身が、これを食らったことがあるのだ。
ノッカーに返事はない。
「リリュー兄さん? コー?」
不安になって、性急な声で呼ぶ。
「……桃?」
返事をしたのは、コーの声。
大慌てで扉を開けた桃が見たものは── バルコニーの方からとことこと戻ってくる白い髪の少女の姿だった。
そして。
「……」
何と言えばよかったのだろうか。
桃は、自分の見た光景に、頭を抱えたくなった。
ソファの辺りにいる二人の男が──見事に固まっていたのだ。
勿論、それはホックスとリリュー。
「コ、コーがやったの?」
抱きついてくる彼女を引きはがしながら、桃はその瞳を覗きこんだ。
「だって……ホックスタンディーセム……うるさい」
怒られる気配を察してか、コーがむーと表情を曇らせた。
ああ。
外の使用人は、たまたま通りかかってとばっちりをくらったのか。
「コー……とにかく、早く解きなさい」
いつの間に、こんな技を覚えたのか。
そう考えかけて、すぐに思い当たった。
既に、コーはこの技を見たではないか、と。
あの聞こえない音は、彼女の耳にはちゃんと届いていたに違いない。
歌を簡単に覚えたように──コーは、あの音もちゃんと覚えていたのだ。