ただの一度
∠
「駄目ですね」
ヤイクの言葉は、常に事実に基づいたものだ。
六日間の領主宅への逗留は、予想以上に月の一族を集結させていた。
その数、100を下らない。
少なくとも、剣でまともにやりあえる数ではない。
テルたちは、戻る道を選ぶしかなかった。
細い街道で行く手がふさがれたのならば、そうするより他ないのだ。
本当に幸いなのは。
魔法を使える月の人間が、そこにいなかったことだろう。
もしもいたなら、既に何らかの魔法を仕掛けてきているはず。
「戻ったところで……未来はないな」
走りながら、テルはそれを言葉にした。
領主宅まで駆け戻って、頭から掛布をひっかぶって成人を向かえるワケにもいかない。
彼らの後に、オリフレアもハレも通る道だ。
「ある意味……これがいま……集められる最大数……とも考えられますな」
ぜいぜいと息を切らしながら、ヤイクも「それ」を望んでいるようだ。
「私が食い止めます」
ビッテは、号令ひとつあれば、命を賭けてでもあの群れに突っ込んで行く気だった。
「いや……皆に前回の借りを返す時が来たようだ」
テルは──足を止めた。
土煙を上げて迫る集団を、まっすぐに見やる。
「殿下!」
すぐ前に、ビッテが立ちふさがる。
エンチェルクも。
ヤイク一人が、やれやれとテルの後ろに立っていた。
「皆……頭を下げて、しっかり俺にしがみついていろ」
テルは。
猛り狂う怒号を聞きながら、髪を抜いた。
右手に、それを絡める。
あの時、皆が残してくれた魔法の力を、本当に必要なところで使うことが出来るのだ。
右手を──激しく緑に燃え上がらせた。
※
一番、重く強い風を呼ぶ。
風と風はぶつかり合い、ねじり合い、いくつもの竜巻となった。
風が、容赦などするはずがなかった。
風を生み出す、テルの周辺わずかを除いて、ことごとく竜巻はなぎ払ってゆく。
三人の従者は、彼の足にしがみついている。
前回、イデアメリトスの反逆者と遭遇した時、彼らは素晴らしい勇気を見せた。
テルの心が、大きく震えた日だった。
その思いに、いま自分にしか出来ないことで応えるのだ。
自分のため、従者のため、オリフレアのため、ハレのため──この国の未来のため。
竜巻に空に放り出される人間たちは、そしてこの後。
地に吸い寄せられて叩きつけられる。
いや、猛烈な竜巻の力により落ちる前に、全身の骨は砕けていることだろう。
痛みなど、分からなくなっているに違いない。
この、強い魔法を見せ付ける。
太陽の血筋を根絶やしにしたいと思っている連中に、この圧倒的な力を見せ付けるのだ。
自分たちが、弱く小さくなってしまったのだと、思い知れ。
北の極地の一族のように、静かに生きればよいのだ。
たとえ、イデアメリトスを根絶やしにして国を手に入れたとしても、その弱さでは、とてもこの巨大な国など治めることは出来ないのだから。
風がやみ。
人の雨が降る。
それを起こしたテルの周囲に、人だったものが落ちてくるのだ。
ビッテは、彼を抱きかかえるようにして、その雨から守る。
テルは、少しの間呆然としていた。
呆然と出来る時間があるほど、もはや敵などどこにもいないのだ。
「大丈夫……ですか?」
ビッテの声に、ようやくテルは奥歯を強く噛み締めた。
「大丈夫だ」
強い声で、そう答える。
「さあ……先へ進もう」
この、屍の山を築いたのは、自分。
これが、イデアメリトスの力であり、国を治める一番深い力。
テルは──それをしっかりと噛み締めたのだった。