ヤイクの話
∠
「随分と、盛大なお話し合いだったようですね」
ヤイクの皮肉は、頬の傷にしみる。
大癇癪をおこしたオリフレアに、ひっかかれたのだ。
これは、しばらく消えそうにない。
「女は、難しいな」
心からの本音を、テルは口にしていた。
「そう理解されたのなら、殿下ももう大人ですよ」
ヤイクが、それに楽しそうに笑う。
女に関しては、百戦錬磨との噂も高い彼に言われるのも、微妙な気分だった。
「だが……とりあえず、オリフレアはこちら側だ」
テルは、それを確信した。
彼は、オリフレアに宣言したのだ。
『俺が太陽になったら、いくらでももらってやる』、と。
ハレが太陽になったなら──知らん、というところだが。
「ええ、ちゃんと聞いてましたよ」
ヤイクが、いけしゃあしゃあと答えるではないか。
部屋の中は二人きりだったは、扉のすぐ外にでもいたのだろう。
抜け目ない男だ。
「私としても、是非殿下には太陽になって欲しいものです……よい婚約者もいらっしゃるし、言うことなしですね」
いやあ、めでたきかなめでたきかな。
「うまくいけば、叔父も喜びます」
憎らしいヤイクのいいようではあったが、つけたされた言葉が気になった。
彼の叔父と言えば、父の旅の同行者であり、賢者のはずだ。
何故、そこでその男が出てくるのか。
「いやあ、旅に出る直前、ついに叔父に男の子が生まれたのですよ。喜びにむせび泣いてましたよ、あの叔父が」
ああ。
ことごとく生まれる子が娘という、賢者のことを思い出した。
そうか、男が生まれたのか。
旅立ちのごたごたで、そのような情報まで気に留める余裕はなかったのだ。
ということは。
跡継ぎと決まった方の子が出来た場合、喜んで息子を側仕えに差し出すことだろう。
やれやれ。
旅そのものでさえ成立が危ぶまれているというのに──呑気な話もあったものだと、テルは天を仰いだのだった。
※
オリフレアと入れ違いで、テルは出発することにした。
手紙はハレに渡してもらうよう、領主に預けて。
「長居しましたからね……気をつけましょう」
語りかけてきたのは、ビッテだった。
ああ、そうだな。
テルは頷く。
六日も、敵に準備期間をくれてやったことになる。
飛脚なら、遠く遠くの町まで届く距離だ。
少なくとも、月の連中は舌なめずりで待っていることだろう。
イデアメリトスの反逆者の洗い出しは、父の手腕に頼るほかない。
次の領主の町まで行く頃には、父親から返事が届いているかもしれない。
「そういえば……」
緊迫する人間たちの中を、ヤイクのひねりのある声が流れる。
「殿下は知ってました?」
何かを思い出すような、天を見上げる声。
「日向花の君の、世話役のことを……」
彼は、ついにオリフレアの事を、その母の二つ名で呼ぶことに決めたようだ。
本人が聞けば、また癇癪を起こしそうだが。
「世話役?」
エンチェルクくらいの年齢の女性だった。
その程度しか、彼は認識していなかった。
「そうですね……女性は記録には残りませんからね」
ふっと、ヤイクは毒を滲ませて笑う。
この国では、どれほど女が活躍しようが、その記録はほとんど残ることはない。
ウメにしかり、キクにしかり。
母は、太陽の正妃ということで、例外中の例外なだけ。
「彼女……お父上の世話役として、一緒に旅をした女性ですよ」
うちの遠縁でね。
それは、ただのくだらないヤイクの雑談だったのだろう。
だが、瞬間的にテルの頭の中に、過去の光景らしきものがよぎる。
勿論、それは想像に過ぎないのだが。
オリフレアの一行の中に、父の旅を知る女性がいる。
「そうか……頼もしいことだな」
その経験は、きっと彼女を助けることだろう。
分かっていたからこそ、オリフレアも年齢の高い彼女を選んだのか。
「女も……捨てたものじゃないでしょう?」
ヤイクの笑いに──エンチェルクは、決して笑ったりしなかったが。