傍系
∠
既に、飛脚は前の町で都に向けて走らせた。
テルは、ようやく領主のいる町に到着し、次の準備に入る。
自分の後にここに来るであろう、ハレとオリフレアに情報を残すためだ。
イデアメリトスの反逆者のあの女は、既に死んだかもしれない。
だが、その反逆を一人で行った、とは言い切れないのだ。
傍系のイデアメリトスは、すべて家系を記録されている。
あの女の身内も、反逆に加担しているのかもしれない。
そうであれば、ハレもオリフレアも同じ危険に遭う可能性が高かった。
領主との挨拶もそこそこに、テルは部屋を借り受け、手紙をしたため始める。
ノッカーを鳴らして、ヤイクが入ってきたのにも、すぐには気づけなかった。
「もし、たくさんの反逆者がいた場合は……太陽御自らが出ていらっしゃるでしょうね」
テルが何をしているのかなど、彼にはお見通しなのだろう。
手紙の内容を見るまでもなく、ヤイクがしゃべり始めた。
「もしそうなれば……イデアメリトスの正統な血筋は、すべて都から引っ張り出されることとなりますか」
ふぅむ。
彼は、考え込む。
だがそれは、考え込んでいるフリだ。
ただ単に、テルに問題提起をしているだけ。
分かっている。
イデアメリトスの血そのものに、どれほどの危険が迫っているか、彼に認識させたいのだ。
もしも、父の身に不幸なことがおこれば、この国の太陽が不在になってしまう。
父の代で、旅を成功させたのは父のみだった。
既に祖父は髪を切り、老いた身ながら国を放浪している。
叔母は、もういない。
長い髪で、自由に魔法を使える人間は、実質父だけなのだ。
これが、どれほど危ういことか。
もしも傍系全員が敵に回って、太陽の地位を簒奪にかかったならば、それを食い止めることは難しい。
400年続いた太陽の国が、月のせいではなく、身内に脅かされているのである。
太陽がさんさんと輝く世界で──日陰で生きることを余儀なくされた人間たちは、月の人間たち以外にも、確かにいたのだ。
※
テルは、しばし領主宅にとどまった。
数日遅れで、ハレがやってくると思ったのだ。
だが。
ハレは、来ない。
さすがにしびれを切らし、旅立とうと思いかけた六日目。
到着したのは──オリフレアだった。
「何で、まだここにいるの?」
のろまな生き物を見る目で、彼女は容赦なくテルに言葉を投げつける。
「ハレに……会ったか?」
問いには答えず、逆に問いかけた。
オリフレアが先に到着したということは、どこかでハレを追い抜いたということだ。
「会ったわよ……それがどうかした?」
不機嫌に輪をかけ、彼女は大上段に構える。
とりあえず、ほっとした。
ハレの身に、何かあったわけではないようだ。
もしそうであれば、さすがのオリフレアも黙ってはいないだろうから。
彼女たちは、到着したばかりだ。
見れば、オリフレアのお付は、年齢が高めの者が多い。
新しく雇った人間ではなく、昔から使っている者たちを連れているのだろう。
武官役らしいフードの男には、ただならぬ気配があった。
男のまとう光に、何かひっかかりを覚えたが、この時のテルは、それを気にしている余裕はなかった。
もう一人の男も、文官役とは思えない。
明らかに、戦える者だ。
旅を成功させたところで、彼女のお付が何かの地位になることはない。
だから、武官役二人にして、旅の成功率を上げようとしたのだろう。
エンチェルクと余り年の変わらない女性の世話役が、彼女のマントを受け取っている。
「疲れてるところ悪いが、ちょっと話がある」
やっと一息つける。
そんな気持ちの彼女に、嫌な話を聞かせなければならない。
「とても大事な話だ」
明らかに、オリフレアの機嫌が悪くなったが、テルは表情を緩めることなく彼女を見た。
ハレとは、別の意味で。
オリフレアには、この大事な話を聞いてもらわなければならなかった。
※
ハレとは別の意味で。
オリフレアと二人きりになった部屋で、テルは彼女を振り返った。
「そこに、手紙がある……読んでくれ」
言葉で説明すると、おそらくオリフレアは途中で何度も口を挟んでくるだろう。
だからテルは、書いておいた手紙を読ませることにした。
「これ、テルの書いた手紙じゃない……何でこんなまどろっこしい……」
ぶつぶつ言いつつ彼女は紙を広げ、そして、黙り込んだ。
表情が変わっていくのを、じっと見ていた。
テルは、じっと、じっと見なければならなかったのだ。
オリフレアは──傍系だった。
母が、旅を成功させたイデアメリトスだったから、彼女にも旅の権利があっただけで。
いや、本当ならばなかった。
ないものを、父の力がありにしただけなのだ。
そんな複雑な血を持つ彼女は、自分の母を憎み、そして手のつけがたい癇癪も持っている。
要するに。
テルは。
オリフレアという存在を、危険視したのだ。
普通であれば、そんな心配はしなかっただろう。
だが、傍系の反逆者が出た今、オリフレアがそちら側に行ってしまう危険性もある。
もし、彼女が向こう側に行けば、これから彼女との殺し合いの旅になる可能性が高いのだ。
テルは、オリフレアを見た。
手紙を読み終わった彼女が、顔を上げ──テルを見るその目を見た。
青ざめてなどいない。
それどころか、獲物を見つけた猛獣の色をたたえ始めた。
「テルの考えてることなんか、分かってるわよ」
癇癪を持っているが、オリフレアは馬鹿ではない。
「私に……直系側にいて欲しいんでしょ?」
主導権を握ったとばかりに、彼女は口元に笑みを浮かべる。
ふぅと、テルはため息をついた。
「勘違いするな……」
その主導権に、テルは片手をかけ。
「傍系側に行ったら、俺がお前を全力で倒す、と言ってるんだ」
自分の方へと、ぐいと引き戻したのだった。
※
「何で……倒せると思ってるの?」
オリフレアは、目をギラつかせながら、テルを睨む。
奪われた主導権を、もう一度引き戻そうと思っているのだ。
「倒さなければ……俺が死ぬからだ」
主導権に足をかけたまま、テルは真っ向から言葉を吐く。
お互い、魔法を使える。
テル対オリフレアになったならば、もはや成人の旅もへったくれもない。
そこにあるのは、魔法を使った全力の殺し合いだけなのだ。
「あはは……そうね。確かにそうだわ……私が死ななきゃテルが死ぬ……まったくそうよね」
愉快そうに彼女は、大きく笑い声をあげた。
「そういう馬鹿正直なところは……嫌いじゃないわよ」
オリフレアは、笑いをそのまま窓の外に向ける。
「テル……」
ふふふ、と彼女は悪い笑みを浮かべた。
何かを決意したような、悪だくみに満ちた声に聞こえ、テルは嫌な予感を覚えたのだ。
「テル……ひとつ約束するなら、私はこっち側にいてもいいわ」
見た目と裏腹の、大人の目。
それが、自分に向けられる。
ずいっと近づく、大粒の黒真珠の瞳。
「私を……太陽妃にして」
テルは、その双眸を見返した。
前々から、彼女はそんなことを言っていた。
実際、それほど頓狂な話ではない。
旅を成功させて戻れば、彼女には十分その可能性はあった。
テルかハレか、太陽になる方の妻にしろ。
そう言っているように聞こえるが──テルには、少し違う響きに聞こえた。
彼女は。
自分を見ているのだ。
この、テルタリウスミシータを。
「オリフレアリックシズ……おまえ」
テルは、彼女を見つめたまま、ひとつだけ聞いてみた。
「おまえ……俺のことが好きなのか?」
返事は──大癇癪だった。