表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/329

布告

 ホックスが大きなあくびをしたのを、リリューは見ていた。


 コーの歌のせいだろう。


 桃が一度駆け寄った後、明らかに彼女の歌は変わった。


 さっきまでが、夜の祭だとするならば、今度は祭の終わった後というところだろう。


 疲労が、少しずつ眠りに形を変えて押し寄せてきて、まどろむ瞬間の何と気持ちのよいことか。


 桃まで、あくびをかみ殺している。


 そんなコーの姿を、ハレは満足そうに見つめていた。


 彼女が歌えば歌うほど、月の人間はそれを知って追い掛けてくるだろうに。


 分かっていながらも、彼は歌わせようとするのだ。


 リリューの視線に気づいたのか、ハレはこちらを見る。


 ついに日は落ち、夕焼けのみを残す薄暗くなっていく世界で、彼は金褐色の瞳を細めている。


「これから、なお一層世話をかける」


 歌にまぎれる、男の声。


 見た目は十歳ほど。


 しかし、ハレの瞳は男のものだった。


 ハレの言葉も、男のものだった。


 元々、穏やかで大人びていたが、旅を続けるほどにそれがなお一層強くなってゆく。


 彼が太陽になれば、どれほどの良い時代が来るだろうかと、一瞬リリューの頭の中に翻る。


 ハレは望んでいないが、彼はそれを惜しいと思いかけたのだ。


 決してリリューは、自分が賢者になりたいとは思っていない。


 テルが相応しくないと、思っているわけではない。


 だが、この男を惜しいと思った。


 ここで初めて、太陽にならないと言った彼を惜しんだのだ。


 共に旅をする。


 それは、世界を知ることでもあるが、同時に旅の仲間の本質を知ることでもあった。


 ハレイルーシュリクス。


「命に代えても、お守りしますよ」


 彼は、この男にそれだけの価値があると見定めたのである。


「もはや、魔法も使えない身だ。お前の命がなければ、私の命もない」


 イデアメリトスの御子は、そう言って笑うのだ。


 リリューが死ぬ時は、自分も死ぬ時だ、と。


 男たちの心を知らぬ、優しい優しい歌が──星の出始めた空を渡って行くのだった。



 ※



 そして。


 その日は、やってくるのだ。


 とてもとても長い髪の子供と、白い髪の歌う少女の話は、到底隠しておけるものではなかった。


「やっと見つけたぜ……」


 男は── 一人で現れた。


 野営中の炎の側で、リリューは既にサダカネを抜く寸前で間合いを計っていた。


 二十半ばくらいか。


 ざんばらに伸ばした髪が、まだらに白い。


 その白さが、リリューを警戒させるのだ。


 そして、腰にはあの者たちと同じ鋳造の剣をさげていた。


 間違いなく、月側の人間だ。


 男は、まっすぐに一人を見ている。


 桃の後ろの、コーを。


 コーは。


 あの白い髪の少女は、茫然と男を見ていた。


 恐怖でも怒りでもなく、魂がなくなったように茫然と。


 桃は、そんなコーを守るように、腰に手をかけている。


 しかし。


 男の視線は、その少女からひきはがされた。


 別の男が、口を開いたからである。


「私は、ハレイルーシュリクス=イデアメリトス=ラットフル18です。我らの旅路に、何の御用ですか?」


 いつもの穏やかさではない。


 芯の太い、強い声。


 彼は、堂々と己の名を──いや、名という形をした血の全てを、名乗ったのだ。


 相手が誰かを知っていて、である。


 これは。


 宣戦布告。


 彼らの旅路に邪魔をするならば、必ず打ち倒せという男の強い意思。


 リリューは、それを汲んだ。


 だから。


 サダカネを。


 抜いた。



 ※



「お外が嫌いな方の坊ちゃんか……」


 男の目は、まっすぐにハレに向けられた。


 憎々しく、吐き捨てるような声。


 リリューが、既に刀を抜いたというのに、まったく動じている様子はない。


 続いてモモも抜刀したが、彼女の方に視線ひとつ動かすこともなかった。


「一人で来たからには……貴殿も自分の力に自信があるのでしょう」


 猛毒の言葉など、ハレの皮膚一枚焼くことさえない。


 既に、己は魔法が使えない身でありながら、それを決して匂わせなかった。


 余りの動じなさにか、男は忌々しげに舌打ちをする。


 あと一歩でも近づこうものなら、リリューは斬りかかるつもりだった。


 既に、ハレの許可は宣戦布告という形で出ている。


「お前を嬲り殺して、バカ女を連れ帰れば、誰もオレに逆らうものなど出ないな……」


 だから。


 男の口が、その三文字を唇だけで綴った次の瞬間。


 一歩より先に。


 その口が──大きく開いた。


 音は。


 なかった。


 だが、波は来た。


 聞こえない音の波。


 リリューは、踏み出そうとしたのだ。


 一歩を自分の足で、飛び越えようとしたのだ。


 だが。


 音の波の方が、速かった。


 刀を持ったまま、リリューは動けなくなった。


 全身が石のように固まり、心以外が全て封じられたのだ。


 そして、動けなかったのはリリューだけではなかった。


 視界の端に映る全てが、止まったのだ。


 モモも、ホックスも──ハレも。


「ハッハッハッ! ざまぁねぇ!」


 男は、大きな嘲りの笑いを発した。


 ああ、そうか、そうだったか。


 動けないまま、リリューは理解した。


 トーは、歌しか歌わない。


 だが、その歌に沢山の秘密は隠されていたではないか。


 人の心を揺さぶる歌。


 そう──彼らの魔法は音、なのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ