イデアメリトス
∠
「先回りしてますね」
ヤイクは、忌々しそうにそれを口にした。
テルも、それには同意だった。
行く道行く道、彼らの歩みを遅くし、なおかつ疲労困憊させる敵が現れるのだ。
これは、彼らの情報が既に流れていて、先回りされているに他ならない。
かなり情報が早い。
これほど、整然と邪魔をし続けられるのだから。
「飛脚が裏目に出たんですよ」
ヤイクは、本当に頭の回転が速い男だ。
この元凶を、きちんと見抜いていた。
なるほど。
飛脚は、人の情報を平等に運ぶ。
彼らと敵対する勢力も、それを利用しているというわけか。
そう考えると、テルはおかしくてしょうがなかった。
「何か……おかしな点でも?」
ビッテが、そんな笑みに怪訝な声を向ける。
「太陽を憎んでいながらも、太陽のまつりごとに組み込まれているものから、彼らも逃れられないのだな」
飛脚は、確かに民間のものだ。
しかし、許可を出したのは、イデアメリトスである。
父は、飛脚の初荷の時に、各神殿への書状を持たせたという。
その四つの荷は、確実にそれぞれの神殿に届いた。
書状には、したためられた日付も記されていて、神殿の人間はその速さに驚いた。
大きい町へは、荷馬車が。
小さな町へは、行商人などが足で運んでいる。
その素晴らしさは、たとえ月側の人間であっても、利用したくなるほどのものだったというわけだ。
「本当に傑作だ」
この国が素晴らしければ素晴らしいほど、彼らには付け入る隙などない。
警備が手薄な成人の旅路で命を狙うので、精いっぱいという情けなさである。
「次々片づけてもらうぞ、ビッテ。ここで奴らを掃除をしておけば、ハレは居眠りしてても神殿にたどり着ける」
敵は、自分の前にいればいい。
旅の一番手を自分が手に入れたことを、本当に幸運だと思ったのだ。
だが、テルは──『それ』に出会ってしまった。
※
最初に動けなくなったのは──ビッテだった。
彼ら以外、誰も通っていない街道でのこと。
うっと、彼はうめくとその場に膝をついたのだ。
一瞬、テルは彼が体調不良でも起こしたかと思った。
だが。
その気配に気づいて、彼は飛びのいた。
「さがれ!」
他の二人にも叫ぶ。
ビッテは、先頭を歩いていた。
だから彼は、一番最初に『その中』に突っ込んでしまったのだ。
「カンのいいこと……」
脇の林の中から、女の声が聞こえる。
テルは、必死に頭の中で考えを巡らせた。
記憶にある人間と、次々と照合しようとしたのだ。
だが── 一致しなかった。
「ひとつ聞く」
テルは、向こうの思惑のペースに乗る気などない。
彼は、暴かなければならなかった。
そこにいる女が、一体誰なのか。
何故ならば。
「あなたは……イデアメリトスか?」
何故ならば、ビッテを落としたものは──魔法だったからだ。
魔法は、イデアメリトスの専売特許。
ただし。
成人の儀を成功させたものしか、自由に使ってはならない。
現在、旅を続けている者を除けば、父と祖父以外許されないのだ。
「そうよ……私はイデアメリトス」
木の幹の向こう側。
植物とは違う光が混じっている。
そこに、『それ』はいるのだ。
名乗った。
イデアメリトスと、名乗った。
テルは、なおさら視線に力を込める。
魔法を使ってはならない者が──そこにいるのだ。
※
イデアメリトスの、傍系の誰か。
禁止されている魔法の使用は、見つかったならば即極刑だ。
しかも、相手はそれをテル一行に向けて来た。
こっそり使うのではなく。
ビッテが食らったのは、『場』の魔法だった。
魔法は、個体を対象にする場合と、場全体を対象にする場合とある。
彼女は、彼らが通ると知っていて、眠りの魔法の場を作っていた。
その中に、ビッテは突っ込んだのだ。
下手したら、全員がぐっすり眠らされていただろう。
極刑を恐れず、テルに魔法をぶつけてくる女。
間違いなく──自分を殺すつもりだ。
殺さなければ、彼は女の存在を知る生き証人になってしまうのだから。
テルは、覚悟した。
死ぬ覚悟ではない。
自由に魔法を使う相手と、戦う覚悟だ。
先ほどのやり取りで、ヤイクもエンチェルクも緊張したのが分かった。
普通の戦いならば、100人分ほどありそうなビッテが、あっさりと魔法で落とされた。
魔法とは、そういうものなのだ。
たとえ、どれほど抵抗しようとしても、ほとんどの人間は抗うことが出来ない。
対して、テルが使える魔法は── 一度だけ。
その一度で、確実に彼女を仕留めなければならない。
捕まえようなどと、甘いことは考えられなかった。
向こうは、殺す気だ。
しかし。
即座に殺す気ではない。
もしそうならば、最初から眠りではなく命を奪う魔法をぶつけてくるだろう。
話を引き出すつもりか、この身を操るつもりか。
はたまた。
嬲り殺す気、か。
「殿下……私は逃げていてもよいですか?」
ヤイクが、あっさりと白旗を上げる。
エンチェルクは、そんな男を睨みつけるが、彼はさっさと林へと消えて行ったのだ。
「エンチェルクも……さがった方がいい」
テルが言うと。
彼女は──首を横に振った。