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エンチェルクのこと

「追いつかれないものだな」


 テルは、微かに後方を振り返っていた。


 出発のずれは、たった半日。


 その半日というものは、わずかなアクシデントひとつで、楽に追いつけるようなものだ。


 いまのところ、テルの旅路は順調ではあったが、さして急いでいるわけでもない。


 追いつかれることがあったとしても、おかしくはなかった。


「ああ……あちらは、文官役が私よりひ弱そうでしたからね」


 ヤイクは、またも気軽に言葉に毒を混ぜた。


 肉体的な弱さの話をしてはいるのだろうが、能力的な弱さの話も匂ってくるのだ。


 ハレは、並みいる貴族の取り巻きの中から、学術肌の男を選んだ。


 目は確かな兄に選ばれたのだから、何なりと才能のある男なのだろう。


 だが、その才能の方向は、ヤイクが認めるものではなかったようだ。


「ただ……若いですからね、彼らはみんな。追いつかれるかもしれませんね」


 まだ二十代のくせに、ヤイクは肩をそびやかす。


 そして。


 よりにもよって、視線をエンチェルクに流すのだ。


 彼女は、そんな視線の挑発に乗ることもなく、完全に無視している。


 第一。


 エンチェルクは、確かに年は上だが、日々身体を鍛えていたのだ。


 これまで、彼女のせいで旅路が遅れたことなどない。


 それどころか、夜にきっちり休みたがるのは、誰あろうヤイクなのだ。


 ただ、年で一番高いエンチェルクの神経を、逆なでしたかっただけだろう。


 彼は、どうしてこれほど彼女につっかかるのか。


 ウメの側で、二人とも働いていたのだ。


 その間に、ヤイクは彼女を挑発し、エンチェルクは彼を無視するという構図が出来上がったのだろう。


 しかも、その挑発はいつも回りくどい。


 決して、エンチェルクに語りかけることはなく、他のことを話しているようで、彼女につっかかっていくのだ。


 そういえば。


 ふと、テルは思考をある一点で止めた。


 エンチェルクを女性の従者に。


 そう提案してきたのは──ヤイクだった。



 ※



「どうして、エンチェルクを推薦したんだ?」


 宿でのこと。


 部屋は、ふたつ取る。


 ひとつは、テルとヤイクの部屋。


 もうひとつは、エンチェルクの部屋。


 ビッテは、部屋はいらないと言った。


 彼は、テルの部屋の前を守るというのだ。


 宿の取れた夜は、ヤイクと同室になる。


 話す時間は、たっぷりあった。


「唐突ですね」


 向かいの寝台に腰かけたまま、ヤイクは短くなった自分の髪を確認するように引っ張る。


「どう見ても、貴公はエンチェルクに嫌われているからな」


 それを、聡い彼が自覚していないはずがない。


「足も速いし仕事も速い。体力もある。おまけに、食事も作れて剣も握れる……適材だったからですよ」


 ヤイクは、すらすらと言葉を並べたてた。


 なるほど。


 たとえ、自分が嫌われていたとしても、そんなことで仕事をおろそかにする人間ではないと分かっているのだ。


 言葉を交わさなくても、付き合いの長い二人である。


 お互いの仕事の腕だけは、信用しているのだろう。


 ただ。


 テルは、それを丸呑みしかけて喉を止めた。


 そのまま、じっとヤイクを見る。


「何ですか?」


 その視線を投げられることを、不本意そうに彼は言葉を返す。


 違和感を、覚えたのだ。


 いつものヤイクにしては、何か足りない気がした。


 そして、分かった。


 そうか、と。


「エンチェルクのことを話す時には……毒が混じらないのだな」


 それが少しおかしくて。


 テルは、笑みを浮かべてしまった。


「いつもは、まるで毒が混じっているようにおっしゃいますな」


 皮肉に上がる唇の端。


 まさに、それをテルは『毒』と言っているのだ。


 ただ、彼には分かったことがあった。


 ヤイクにとってエンチェルクという女性は──何か特別な意味を持っているのだ、と。



 ※



 そのエンチェルクは、随分とビッテと親しくなってきた。


 彼は、貴族の子息でありながらも、自分自身は貴族ではないというしっかりとした認識がある。


 そんな男は、身分のないエンチェルクと話すことも、身分のあるヤイクと話すことも、厭う様子はない。


 とは言っても、ヤイクには抗議を。


 エンチェルクには、雑事の事務的な話を、数えるほどするに過ぎないのだが。


「面倒くさい性質の人間を、選びましたね」


 ある日、ヤイクはそうテルに告げた。


 ビッテのことだろう。


 ヤイクが、毒や軽口を叩くと、彼が鋭く反応するのだ。


 いちいち水を差されて、ヤイクにしては少々煙たくなってきたようである。


 視線の先では、ビッテが火をおこし、エンチェルクが食事の準備を始めている。


「そうか? 結構バランスは取れていると思うぞ」


 テルは、ふっと微笑んだ。


 エンチェルクとヤイクの間に、ちょうどよくビッテがいる。


 女性には、無骨ながらに優しい男だ。


 それを、エンチェルクも気づいてきたようで。


 彼への態度が、前よりも柔らかくなっている。


 いい傾向だった。


 一番頑なで、心配していた彼女が、少しずつ心を開きつつある。


 ヤイク以外には。


「もう少し……彼女に優しくしたらどうだ?」


 だから、テルは一言小さく彼に釘を刺してみた。


 エンチェルクとヤイクの間が、一番うまくかみ合っていないと思ったのだ。


 すると。


 ヤイクが、苦々しげに微笑むではないか。


「あの女は、人に認められたがっているんですよ……そんな女を、どうして私が認めなければならないんですか」


 不思議な、言葉だった。


 テルでは、いますぐに理解できない何かが、その中にあった。


 認め、られたがっている?


 エンチェルクを、見た。


 彼女は──ビッテに微かに笑みを浮かべていた。


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