お母さんは日本人
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「母は、本当に植物が好きでね」
桃が、ホックスを休ませていると、ハレが自分の荷を解いた。
ハレの母――太陽妃でもあり、桃の母の数少ない同胞。
「よく、母と一緒に宮殿の温室へ行ったよ」
荷の中から、紙の包みを取り出す。
それを、ハレはつらそうなホックスに差し出すのだ。
「体力が落ちているせいで熱が出たのだろう……母直伝の薬草だ」
あ。
包みが開かれた時、知っている匂いがした。
熱を出した時、母が自分に飲ませる薬だったのだ。
独特の匂いなので、決して間違えない。
そっか。
太陽妃の薬に、桃もお世話になっていたのだ。
匂いに、ホックスは顔をしかめる。
「効きますよ、これホントに」
しかめる気持ちが、とても良く分かって――桃は、つい笑ってしまった。
しかめた視線が、自分にすっとんできたので、慌てて桃は薬を飲むための水の準備に取り掛かったのだ。
さすがに、太陽妃直伝の薬を、ホックスも拒むことは出来なかったようで。
桃の差し出す水と共に、一気に薬を飲み干したのだった。
この後、何が起きるか桃は知っている。
にこにこしながら待っていると。
疲労していたホックスは、ことりと眠りに落ちたのだ。
このまま、少し長めにぐっすり眠るだろう。
桃も、いつもこうだった。
「道場の朝稽古に、遅れる薬だな」
リリューは、瞳に笑みを浮かべる。
彼もまた、その薬のお世話になった人間なのだ。
「そっか……みんなお母さんは日本人なんだっけ」
分かっては、いたことなのだ。
だが、いまもなお、ちゃんとつながっている事実が、不思議であり、嬉しかった。
「そう……不思議な三人の女性は、父の旅路に舞い降りたんだよ」
美しい物語を繰るように――ハレは目を細めた。
※
桃も読んだことのある太陽妃の物語は、捧櫛の神殿が作った本に記されている。
美しい挿し絵と共に。
その挿し絵を描いた男は、道場に時折居候しにくる。
手土産に持ってきてくれたのが、その本だった。
『二人の侍女を従えて、太陽妃はこの国に舞い降りた』
それが、一番最初の書き出し。
扉の絵は、太陽妃の後方に控える二人の女性。
一人は本を持ち、一人は刀を持っている。
一人は、長い黒髪に着物姿。
もう一人は、短い髪の袴姿。
侍女の名など、本の中には出てこない。
しかし、その絵をみた桃は、すぐに誰か分かった。
『これ、かあさま?』
問い掛けに、母は『さあ、どうかしらね』と、はっきり答えなかった。
でも、桃は疑わなかった。
時折、太陽妃が母を訪ねてくるのを知っていたからだ。
ただ。
侍女というのは、嘘だと分かっていた。
太陽妃を特別に記すために、そう書かれたのだろう。
母と太陽妃は、とても親密だった。
形式上の儀礼は取るが、お互いの存在をとても大事にしているのが伝わってくるのだ。
小さい小さい太陽妃。
だが、彼女が成し遂げた偉業は、この国を歩いてゆけば、必ず見つけることが出来る。
穀物畑を、見ればいいのだから。
『太陽妃は、やせた畑を水で満たすようにおっしゃりました。するとどうでしょう。畑はみるみる甦り、金色の豊かな実りを迎えたのです』
いまや、農業を営む家庭で、収穫後に畑に水を入れるのは、当たり前のことだ。
その涼しさに誘われ、水入れの日には、小さな祭が行われるほど。
都の外畑の水入れには、太陽妃は必ず出席されるのだ。
農民たちは、みなそれを知っている。
太陽妃がいる限り、豊作を約束されていると信じているのだ。
生きながらにして、ハレの母は伝説となった。
母も、たくさんの仕事を成し遂げた。
そんな日本人の血を引く自分には、何が出来るのか――まだ分からなかったけれども。
※
目を覚ましたホックスは、すっかり熱が下がっていた。
桃は、それにほっとしながらも、野営の準備に取り掛かっていた。
辺りは、すっかり夜になっていたのだ。
「前から思っていたが……」
まだ少しけだるそうなホックスが、語り掛けてくる。
話し方が、ハレに対するものではなかったので、つい桃は視線を彼に向けた。
こっちを見ている。
「野営に慣れているのだな……市民は皆そうなのか?」
桃に、というより――桃とリリューに、問い掛けているという感じだった。
「おばさまが……ああ、リリューのかあさまなんですが、よく小さな旅に連れ出してくれたんです」
世間話のように桃は語るが、ホックスはまるで学問のようにしかめっつらで聞いている。
しばし、彼の反応を待つ。
それほどすぐには、ホックスはしゃべりださなかったのだ。
「ああ……君たちは従兄弟なのか」
何を今更、な話だった。
それを、真面目に語られるものだから、桃の方が面食らってしまう。
「そうです」
答えたのは、リリュー。
その目には、笑みがあった。
声にも何か、前までと違う響きが。
リリューが少しだけ、ホックスに歩み寄った気がしたのだ。
そういえば。
ホックスに、個人的な話を聞かれたのは――これが初めてだった。
そっか。
ホックスはいままで、彼女たちをただの空気のような使用人だと思っていたのだろう。
だから、興味もないので、話し掛けもしない。
そんな彼が。
やっと、二人を認識したのだ。
一緒に旅をしている人間なのだと。
同じ釜の飯を食べて、日夜の苦難を共にすれば、その人間のことが、よく分かる。
そう言っていたのは、伯母だった。
釜の飯なるものは、食べたことはなかったが――共に食べるパンを切り分けることは出来たのだった。