変化
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こんな戦い方もあるのか。
エンチェルクは、ほとほと感心していた。
ビッテのことだ。
彼女は、キクの弟子になるまで、剣についてはド素人だった。
だから、他の人間が剣を振っていたとしても、それがどういうものなのかまったく理解できていなかったのだ。
ある意味、日本剣術の純粋培養な人間だった。
何度か刀を抜いたことはあるが、相手は自己流の腕の良くない人間ばかりで、エンチェルクでも楽に撃退することが出来た。
しかし、ビッテの力は圧倒的だった。
洗練されているとは言い難いが、力を剣に乗せる技術だけで言えば、キクを超えているだろう。
そこまで思って、エンチェルクはキクが女性であることを思い出した。
ああ、そうか、と。
キクは、力に頼る剣は振るわない。
だがそれは、同時に出来ないことでもあったのだ。
だから、彼女は力を補って余りある技術を会得した。
そのかけらを、エンチェルクも受け継いだのだ。
自分が剣術を習おうと思った時。
キクが女だったからこそ、自分にも出来るのではないかと考えた。
もし彼女が男だったなら、女に剣は無理だと思い、決して手を出さなかっただろう。
そういう意味で、キクという女性は稀有なのだ。
足りないものは、別の方向で補うことが出来るのだと、エンチェルクは彼女の背を見て知ったのだから。
「見事です……」
エンチェルクは、全てを切り伏せた彼に、そう話しかけていた。
無意識だった。
ビッテの視線がこっちに来て、慌てて口を閉ざす。
思い出したのだ。
彼は、貴族の子息なのだ、と。
エンチェルクにとって貴族とは、昔雇われていた屋敷の主人一族と、ヤイク。
彼女をひどく扱わない貴族など、昔世話になった領主の子息くらいだった。
それも、キクの修行を受けた後の話なのだが。
「……たいしたことじゃない」
ビッテは。
答えた。
エンチェルクの言葉に──答えてくれた。
※
ビッテは、悪い男ではなかった。
貴族の息子でありながら、武で身を立てようとした男だ。
骨太さと、武に対する真摯さがある。
彼の中には、貴族としての誇りよりも大事なものがあるように思えた。
エンチェルクが、野営のための食事の準備を始めると、ビッテは何も言わずとも、火をおこしてくれる。
ヤイクは、自分は歩く仕事なのだと言わんばかりに、木に背を預けてだらけているというのに。
彼女は、非常に助かっていた。
テルは、そんな二人の仕事を、きちんと見ている。
自分の従者が、きちんとやるべき仕事をしていることに満足そうな瞳で。
この御仁には、決して野放しではない力強さがあった。
本来ならば、イデアメリトスの世継ぎになるかもしれない人間である。
おそれおおく、視線を投げることさえはばかられるはずだ。
しかし、テルは昔からキクの門下生で、エンチェルクとは言葉を交わすことはほとんどなかったが、何度も顔を合わせている。
彼の、ひたむきな剣術への打ち込みぶりは、その目に焼きついている。
ビッテやエンチェルクが、野営の準備をきちんと仕上げようとする様を、剣術の稽古のようにまっすぐに見つめているのだ。
あの太陽妃の、息子だけのことはある。
彼女は、本当に規格外の女性だった。
いろんなものを大きく逸脱している彼女の息子だからこそ、キクの道場に通うような男になったのだ。
「食事の用意が整いました」
エンチェルクは、一日のうちに数えるほどにしかしゃべらない。
事務的な言葉を、ようやく口にした。
食事と言っても、保存食ばかりの味気ないものなのだが。
「世話をかける」
堂々とした、ねぎらいの言葉。
最近は、これが心地よくなりかけている自分に気づき、エンチェルクは何とか振り払おうとしていた。
ウメならば、もっと優しくねぎらってくれるではないか、と。
だが。
彼こそが、この国を統べる人間の子。
エンチェルクが、頭上に戴くべき子なのだ。
その子が。
心強き者でよかったと──ようやく、彼女は実感し始めたところだった。




