男の愛
∠
最近、ビッテのヤイクに対する表情が険しい。
昔から話の合う二人ではなかったが、性格のねじれたヤイクを、旅の間で彼なりに信頼するに至っていたはずだ。
だが、ここしばらく不信に近い目を向けている気がした。
「何かしたか?」
ビッテの同席しない、政治的な話が終わった後、テルはヤイクに問いかけた。
直接本人に聞いたところで、テルに言うべきことでないと判断される可能性があったのだ。
もし、テルに報告すべきだと思っていることなら、最初から黙っているような性格ではないからだ。
一方、ヤイクときたら。
「ああ……取るに足らないことですよ」
人の悪い、毒の舌を閃かせるのだ。
そんな取るに足らないことに、ビッテがこだわっているのだと言わんばかりに。
「私が、女を騙して弄んでいるとでも思っているのでしょう」
彼の鼻先を掠める空気は、くだらないと言わんばかり。
女?
テルは、怪訝を緩やかに意識の上に流し込んだ。
その水が、流れ込む先の心当たりは多くはなく、ようやく彼はひとつの噂を思い出した。
「ああ……エンチェルクか」
彼らと旅を共にした、女性の名だ。
彼女が、ヤイクの愛人であるというまことしやかな噂は、テルの耳まで届いていた。
正確には、名前までは聞こえて来ていない。
ヤイクが、平民の愛人を連れて、商人の会合などに出没しているという形だ。
それが、エンチェルクであると確信したのは、リリューの結婚式の時。
彼女が、ウメの元を離れたと聞いたのだ。
行き先が、ヤイクのところだということと、噂と重ね合わせると答えが出た。
その噂が、ようやくビッテの耳にも入ったということか。
かの武官は、旅の間エンチェルクと助け合っていた。
日常の雑事の時も、命を賭けた戦いの時も。
年は、相当離れてはいるが、親しみの情がわいていてもおかしくはないだろう。
そんな彼女を、ヤイクが愛人にしたと聞いたら。
これまでの彼の所業を考えると、エンチェルクがたぶらかされている──そう考えるのが自然だろう。
※
ヒセは、既に別室へと追いやられた。
そんな、オリフレアの部屋。
テルは出来るだけ、妻と夜を過ごすようにしていた。
ベッドに横たわる彼女のおなかは、微かな光を放っている。
その光が、オリフレアに宿った時から、テルはこうして側に寄り添っているようにしたのだ。
そう遠くなく起きるであろう話を、彼女と少しずつしていくために。
オリフレアは、少し時間はかかったが、何とか事実は受け入れてくれた。
彼女のおなかは、『微かに』しか光っていないのだ。
考えられることは、二つ。
ひとつは、とても命の力が弱い子で、無事生むところまでいけるかどうか分からないというところ。
もうひとつは──イデアメリトスの魔法の力を、受け継げなかった子。
可能性は、常にあったのだ。
テルの母は、イデアメリトスとは違う魔法の持ち主で、オリフレアの父は魔法の力を持たない。
いつか、起きるべきことだったのだ。
母の見立てでは、おそらく後者だろうということだった。
『私の光に、とてもよく似ているわ』
この子の祖母となる、テルの母の血が色濃く出たのだろう。
『大丈夫よ。この子には、たくさんの味方がいるの……何の心配もいらないわ。この子が産まれるのを強く望んであげて』
不安でいっぱいのオリフレアを抱いて、母は彼女を慰めた。
「この子は、ヒセと一緒には育てない方がいいわね」
自分のおなかに手をあてながら、妻がぽつりと言った。
「もし、私がこの子なら、血を受け継いだ姉を恨んでしまうもの」
ぽつり、ぽつり。
「心配するな……イデアメリトスの名などなくとも、幸せに生きる道は溢れるほどある。味方も腐るほどいる」
彼女のこめかみに口づけ、腕の中に引き寄せる。
何も不安などないのだと、毎夜毎夜、彼女に伝えるのだ。
オリフレアの不安も自責の念も、全部自分に移し替えるように。
「何があろうが、お前と子供たちを守る……愛している」
男の愛など、自分勝手なものだ。
だが、夫としての愛、父としての愛は違う。
テルはようやく──そこへ手をかけることが出来たのだ。