夜のコー
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真夜中の訪問者は──コーだった。
休もうとベッドに入りかけていたハレは、闇に浮かび上がるその白い髪をバルコニーに見つけて、寝るのをもうしばらく後に伸ばすことにした。
今朝、都に入るまでは一緒だった彼女は、いつの間にかいなくなってしまっていたのだ。
心配をしていたわけではないが、こうして来てくれてほっとする。
遠征中、毎日ずっと彼女と一緒にいたのだから、いないということに慣れなくなってしまったのだ。
「コー……よく来たね」
彼女の来訪は、いつでも嬉しかった。
特にこうして、ハレが宮殿にいなければいけない間は、彼女が会いたいと思ってくれなれば、会うことは難しいのだ。
コーは、自由な鳥のような人生を送っているし、これからも送るだろうから。
「ハレイルーシュリクス…コーはしばらく、こんな遅くにちょっとだけしか来られなくなるけど、ごめんね」
彼女は、少し斜め後ろを見るような素振りを見せた。
そっちに、何か大事なものでもあるかのように。
「何かあったのかい?」
彼女の心配事は、自分の心配事──ハレはそう思って問いかけた。
「桃の側についていたいの……本当は、お父さんについてて欲しいけど」
コーは、不思議な話をする。
モモに何かあったようだ。
だが、不思議なのはその点じゃない。
「どうしてトーが出てくるんだい、そこで?」
「だって、お父さんにとって、桃は特別だから」
音を探すように、コーは空を見る。
夕刻まで、そこにはトーの歌声が響いていた。
凱旋の歌というには、少し物寂しい響きが、町中に流れていたのだ。
「コーは、お父さんと同じもので出来ているけど、桃は違うものから出来てるでしょ? 違うものとして、お父さんは桃を愛してるもの」
コーの言葉は、真実を浮き上がらせる。
彼女の伝えたいことが、誤解もなくハレに伝わってくる。
あの白い髪の男は、自分の気持ちを語ることなどないが、何も思っていないわけではないのだ。
そしてコーも。
桃の幸せを思いながらも──父の幸せもまた、思っているのだろう。
※
トーは、ある日満足をした。
娘を手に入れ、自分の心を彼女に全て託して、自分が消えてもかまわないと思ったのだ。
ハレは、それを止めた。
トーという人間は、一人しかいない。
代わりなど、決していないのだ。
だから、ハレは自分が出来うる最大限の力を使うことにした。
彼が命を、失う理由を消し去るために。
トーは、命を粗末にしているのではない。
使うべき時に、使うことにためらいがないだけ。
だから、命を使う理由さえなくなれば、彼は踏みとどまると思ったし、結果的にそうなった。
彼は、自分自身ではなく夜や月が愛されれば、幸せな人だ。
いや、そうあることが、自分への愛だと思っていたように感じていた。
そして、多くの人に愛の歌を歌う日々を送る。
昔、少し母とトーの話をした時、『あの人は、菊さんを大好きだったわ。太陽の当たる世界に、引っ張り出した人だったからかしらね』と言っていた。
しかし、彼女は武の賢者の妻となった。
「モモは、トーのことが好きなのかい?」
誰かが、彼のことを個人として愛する日が来るのだろうか。
コーを愛しているハレだからこそ、気になることでもある。
「桃は……他の人が好きだったみたい。それに、桃は愛がいつもいっぱいあるところで生きているから、お父さんの心も、その中のひとつだと思ってる」
言外に、モモは鈍いと言っているコーに、思わず笑ってしまった。
人の色恋まで語れるほどに、彼女も成長したようだ。
「エインライトーリシュトも桃を愛しているけど……桃はやっぱり他の愛のひとつだと思ってる。コーね……桃には一番幸せになって欲しいな。でも、お父さんにも一番幸せになって欲しい……一番がいっぱいで、時々困ることもあるよ」
ままならない人のを心表すかのように、指先でくるくると円を描くように動かす。
「私は、コーに一番幸せになって欲しいよ」
その指先を、ゆっくりと捕まえてみる。
コーの指は、逃げなかった。
「あ……ハレイルーシュリクスも……ちゃんと一番だから……」
「知っているよ」
はにかむバルコニーの白い花を、ハレはゆっくりと抱き寄せた。