愛のかたち
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武の賢者宅では、珍しく大がかりな夕食会の準備がなされていた。
晩餐室には、料理も酒もふんだんに用意されているし、玄関も晩餐室も扉は開け放たれている。
桃が頼まれたのは、レチを道場まで案内することだけではなく、出会った門下生に、屋敷に立ち寄るよう伝えることもあった。
ついでに、帰り道に寄り道をして、行ける範囲の門下生の家に寄ってきた。
その間、エインは文句ひとつ言わず、桃に付き合ってくれる。
門下生だけでなく、リスのところへ寄った時は、分かりやすく顔を顰めていたが。
そんな遠回りをして屋敷へ帰る頃には、多くの人が来ていた。
武の賢者の部下だろうか、見なれない兵士の姿もいくらかあるようだ。
桃が嬉しかったのは、その中に自然にロジアやテテラが混ざっていた事である。
既に、ロジアを隠しておく必要はなくなった。
まるで自分の子のように次郎を抱き、テテラと微笑み合っている。
テテラも、両足で立っている。
まだ、新しい足に完全になじんだ訳ではないが、杖なしでもゆっくりゆっくり歩けるようになっていた。
後を追って屋敷へやってきたリスは、まず真っ先に彼女の元へ駆けつけ、余計な言葉を山ほど付け加えながらも、足の状態を確認している。
そんな大勢の人の笑い声と、幸せの笑顔の中、ひらりと白い影が現れた。
「ただいま、桃!」
「コー!」
驚いてその名を呼んでいる間に、彼女に抱きしめられる。
「おかえり。元気そうで何より」
ぎゅうっと、その身を抱き返す。
こうして抱き返せる人を持っている事を、桃はいま本当に喜んだ。
時々、悲しみが一人の時にやってきて、彼女を寂しくさせることがある。
けれど、温かい人が、少しずつ体温を分けてくれた。
身内の性質上、慰めの言葉は少ないけれど、ぽんと肩をひとつ叩いてくれるだけでも、桃の助けになっているのだ。
コーが、少し身体を離して間近から、桃を見る。
「桃、少し話をしない?」
優しく微笑む彼女の瞳は、桃を落ちつかなくさせた。
桃の声ひとつで──コーは、どれほどのことを読みとったというのだろうか。
※
「悲しい時に、コーが側にいられなくてごめんね」
二階の、桃が借りている部屋。
そこで、コーは桃にそう切り出した。
結構時間がたったつもりだが、それでも声から簡単に彼女にバレてしまっている。
桃は、困った笑みを浮かべて、そんな優しいコーの言葉に応えた。
「大丈夫……というのは嘘だけど、もうこれはゆっくり乗り越えて行くしか出来ないから」
これでも、前よりも少しはマシになったのだ。
だから、もっと時間がたてば、もっとマシになっていくだろう。
思いは、ちゃんと伝えたのだ。
その思いが同じではなく、残念ながら道が交わることはなかったけれど、後悔するところはなかった。
そう、困ったことに後悔しようのない話なのだ。
あの時、こうしていようがああしていようが、きっと結果は同じだったろう。
自由の象徴として、彼が自分を手に入れ、恋人であるかのように扱うことはあったかもしれない。
でも、それは違うもの。
「桃……コーはね、桃には感謝してもしきれないの」
両手を、取られる。
ぎゅうっと握られる。
彼女の一生懸命の目が、すぐそこにあった。
「だって、コーが一番つらくて苦しい時、桃は側にいてくれた。歌や言葉を教えてくれて、優しく抱きしめてくれたから、私はいまここにいるよ」
愛を、訴える瞳。
何一つ、嘘のかけらもないまっすぐな言葉の列が、桃の心に向かって飛び込んで来る。
「だからね、桃」
コーが、笑う。
桃より年上の顔をしていながら、子どものように屈託なく笑うのだ。
「だから桃…コーが側にいるよ。桃が悲しくなくなるまで、いつでも側にいるからね」
彼女は、嘘は言わない。
側にいると言ったからには、きっとここにいてくれるのだ。
愛が、そっと桃の側に立っている。
神殿への旅の途中、桃はいままでトーにもらった愛を、コーへあげようとした。
そうすることが、トーへの恩返しであり、コーのためになるだろうと思ったのだ。
その愛が、いま──戻って来た。