日
∠
『場』とやらで交わされた、決して外部には漏らすことのない密約。
知る者は、ここにいる6人と、ビッテやリリューのこれから産まれるだろう子孫たち。
全ての賢者が死に、テルが髪を切る前に、兄は別の理由で死んだことにして隠者になってもらう。
それから命ある限り、陰からイデアメリトスに貢献させる。
同時に、ハレの性格を見越して、その長く生きられる身体で、知識を集約し生き字引となってもらうのだ。
たとえこの国の、多くの書物が焼かれるようなことや、国土に甚大な被害を受けるようなことがあったとしても、ハレという知識の保険が残る。
テルは、長生きには興味がない。
イデアメリトスの一代が、永遠に君主の椅子に座ることは、百害あって一利なしだ。
思想や知識が変化していくように、人も生きて死に、君主も代わるべきと考えている。
だから。
さっき、テルが言ったことは、本当は残酷なことだ。
そんなものを喜んで受け取るのは、ハレくらい。
「次の太陽よ、私はイデアメリトスと永遠の信頼関係を誓おう」
テルとは呼ばず、兄は次の太陽と呼んだ。
個人ではなく、太陽と約束したのだと。
それに、頷きだけで返す。
余分な言葉は、不粋なだけだ。
「引きあげる」
テルは、両側に声をかけた。
自分について、ビッテとリリューが洞窟の外を目指す。
兄との契約は結ばれた。
ここに長居をする必要はなくなったのだ。
あの白い髪の父娘を殺す必要もなく、『場』とやらも破壊せずともよくなったということである。
この後、あの棺みたいなものの中に、娘の方が入るのだろう。
そうすれば、娘は全ての歌を手に入れるという。
もはや。
テルにとって、そんなことはどうでもいいこととなったのだ。
※
後処理のための兵を火口に残し、テルたちは都へ引き上げようとしたその時。
都からの早馬が届いた。
はらりと開き、一目通す。
父からだった。
「生まれたぞ」
テルは、控えているビッテとリリューにそう告げる。
「めでたきことにございます!」
「おめでとうございます」
リリューは、必ずビッテを立てる。
二人同時に声をかけたとしても、決してビッテより先に返事はしない。
「女だ。さぞや美しく育つだろうな」
書状をたたみながら、テルはひとつ息を吐いた。
母子ともに健康であるという事実に安堵したのと、何の実感もまだわかない自分が不思議だったのだ。
この時ばかりは、女が多少うらやましくなる。
自分の身を引き裂いて産む代わりに、誰よりも我が子であるという実感を得るだろうから。
母にとっては、初めての女の血縁となる。
さぞや今頃は、孫を可愛がっていることだろう。
「一筆したためる……待て」
テルは、早馬の兵を留まらせた。
手紙を書く必要があったからだ。
ひとつは、父へ。
戦果の報告だ。
もうひとつは、妻へ。
ねぎらいの言葉と、娘の名前を贈らねばならない。
そうでなければ、彼が都に帰りつくまで、娘は名無しになってしまうからだ。
テル自身は、母の国の太陽にちなんだ言葉をもらった。
日本には、たくさんの太陽の呼び方があると教えられて驚いたものだ。
母の国の言葉を、覚えることは勿論ないが、テルにでも覚えられる言葉はあった。
ヒ(日)だ。
この国の言葉の中に混じっていたとしても、誰も違和感も感じない一音。
ヒセリマイエザークレンサウ=イデアメリトス=オルセース19。
この国で、初めて生まれたイデアメリトスの19だった。