いた者と来た者
∞
伯母が。
桃の目には、それはとてもゆっくりとした動きに映った。
伯母が、身をひねるようにして桃の方へ飛んだ。
おかしい。
より爆弾から遠くに逃げるなら、真後ろに飛ぶべきで。
どうして自分に覆いかぶさるように飛んでくるのか。
おかしいよ、伯母さま。
今までで、一番間近で爆音が炸裂した。
物凄い風と力に、砂粒のように吹き飛ばされる。
全身の骨が、バラバラになったんじゃないかと思えるほどの激痛に襲われて、桃はようやく自分が生きていることを知った。
自分の頭は、屋根からはみ出したところで止まっていた。
桃の上に伯母が重しのように乗っていなければ、落ちていたかもしれない。
そう、伯母が。
あの伯母が。
ただぐったりと、桃の上に重しになっているだけだったのだ。
「伯母……さま」
身体中が悲鳴をあげるのに逆らって、桃は起き上がろうとした。
伯母に触れた手から伝わる、ぬるりとした生温かい感触は、暗がりであっても何なのかくらい分かる。
「全部失うのだよ……物も、命も」
火が、近づいてくる。
日本刀は、握っていなかった。
爆風に襲われた時、どこかへ手放してしまったのだ。
伯母の刀もない。
「それとも……」
火をくわえた口が。
笑った。
ニィ、と。
「それとも……我の子を産むか?」
ユッカスが、桃の首に突きつけたのは、日本刀だった。
暗がりでも、決して見間違わない桃の刀。
「我の子を産ませてくださいと…泣いて赦しを乞え」
獣の神を信じる残忍な笑みは、桃を逆に冷静にさせてくれた。
そんなこと。
「そんなこと……太陽が西から昇ったってありえない」
※
喉に突きつけられる刀に力がこもった瞬間。
桃は、ユッカスを睨み返した。
いま、死がそこにある。
それを、はっきりと感じた。
ああ。
生きなければ。
死にたくない、ではない。
まだ、生きなければ。
伯母は、何故自分を庇ったのか。
自分が、伯母より若いからだ。
これから先の時間を、自分の方がより長く生きるからだ。
そんな伯母の思いを、無にしてはならない。
あきらめるのは──死んだ後でいい。
刀を使い慣れていない相手だ。
掌で横から切っ先を弾き飛ばせば、勝機があるかもしれない。
たとえ、それで喉が裂けようとも、生き延びられるかもしれない。
桃が、右手を動かそうとした。
まさにその時。
3つのことが、起きた。
「俺は……誰よりもお前を殺したかった。もう死ね」
ユッカスの後ろから伸びた腕が、彼の首をがっちりと締めた。
「ぐっ!!!」
続いて。
「……!!!」
刀が、ユッカスの手から落ちた。
短剣が、彼の腕に突き刺さっていた。
「やっぱり……お前がいると自由じゃない」
もう一人、いた。
「お前……ら」
ユッカスの側にいたのは、子どもが二人と大人が二人だったではないか。
子どもたちは、彼の盾となり倒れた。
残る大人二人は。
イーザスと──カラディだった。
※
イーザスとカラディ。
祖国に忠誠はないが、ユッカスに首ねっこをおさえられていた二人が──ついに反旗を翻したのだ。
自分の喉元から離れ、落ちた刀を桃は拾った。
まだ、身体じゅうがバラバラになりそうなくらい痛いが、立つことは出来たし刀を構えることは出来る。
ただ。
その必要は、なかった。
3つのことが起きたのだ。
1つ目は、イーザス。
2つ目は、カラディ。
そして、3つ目は。
「私の都で……無法をしてくれたな」
満月の夜空から、その声は降って来た。
姿は、よく見えない。
しかし、誰かが遥か高いところにいる。
「我が妻をも亡き者にしようとしてくれた礼は…命ではあがなえないぞ」
声は、ユッカスを縛り上げた。
イーザスに首を絞められていたことに抵抗していた身体が、石のように固く動かなくなったのだ。
「すぐに兵が来る……そこの二人は……好きにするがいい」
夜空の声は、異国人の二人を放免してくれるつもりなのか。
「殺さなければ、後にたたる」
だが、イーザスは抵抗のなくなった男の首から腕を緩めない。
そんな彼の手の自由は、あっさりと奪われた。
みな、夜空の人の仕業だろう。
「私の名の元に永遠の虜囚とする……案ずるな」
その凛とした声に、イーザスは何か毒づいたが、自分の両手が戻ったのを確かめるように一度振ると、梯子を下りていった。
その後を、カラディが続く。
こちらを見たのは、分かっていた。
だが、桃は彼に構っている余裕はなかった。
空に向けて、彼の人に言わねばならぬことがあったのだ。
その御方が、誰であるかなど想像するまでもなく分かっている。
そんな人ならぬ力のある人だから、頼まねばならなかった。
「お願いします、伯母を……山本菊を助けて下さい!」
夜空に向かって──桃は叫んでいた。