予兆の男
∞
都の人々は、出陣の兵士や太陽の子らを見ようと、朝も早くから沿道に人だかりを作っていた。
桃も、見送りにきた。
彼女の親戚や友人が多く、戦いに行くのだ。
顔を見ることは出来ないかもしれないが、見送りたかった。
兵士の列は、わずかのブレもなく門へ向かっている。
その歩調を整えるかのような音が、既に桃に届いていた。
低い音と、少しだけ高い音。
これだけの大人数のざわめきや足音が入り乱れていてもなお、耳まで届く──白い歌。
父娘が、歌っているのだ。
兵士に守られるようにして、深い赤の幌の荷馬車がゆっくりと進む。
幌の布を通してなお、強い気配のようなものを感じた気がした。
テルの荷馬車だろうか。
リリューもそれに乗っているのかもしれない。
その荷馬車の次に、深い緑の幌の荷馬車が続く。
歌は、ここから溢れていた。
ハレの、荷馬車なのは明らかだ。
歌だけではない。
荷馬車の上空には、ソーがいた。
彼も、我が子を置いて戦いへ行くのだ。
「いってらっしゃい!」
桃は、大きな声で呼びかけた。
手を振っても、向こうに見えるはずもない。
でも、手を振らずにはいられなかった。
しかし、美しい父子の和音が、一瞬だけ音を強めた。
耳のいい彼らのことだ。
桃の声を聞き分けることなど、造作もないだろう。
それに、応えてくれても何ら不思議などないのだ。
自分にしか分からない、『いってきます』を。
あんまりに見送りに一生懸命になって、兵士の最後の最後まで見送っていたから。
桃は、すっかり忘れていた。
「もういいだろう?」
この見送りに、エインが同行していたことを。
※
「無理して来なくてもよかったのに」
都の人々にもみくちゃにされ、すっかりエインは疲れているようだった。
乱れた髪を整えている。
背が高いので、乱れているのは後ろに垂らしている部分だけだったが。
「次代の太陽が出陣するのだから、見送りは当然だ」
憮然としながらも答えるその言葉は、次代の領主のものだった。
若くても、弟は立派な領主を目指して頑張っている。
にまにま。
そんな姿が父と重なる気がして、桃はつい頬を緩めてしまった。
そのまま、姉弟でのどかにおしゃべりでもして道場に戻れると思っていたのに。
既に、そこではのどかとはかけ離れた、穏やかじゃない空気が張り巡らされていた。
「えっ……」
見送りにはいかなかっただろう伯母──道場の主が、立ちはだかっていたのだ。
桃たちに対して、ではなく。
イーザスに対して。
「テテラフーイースルを連れに来た」
さあどけ、いますぐどけ、さっさとどけ。
今にも爆発しそうな不安定な早口の声。
「残念ながら、彼女はここの客人でね……そして、自分の意思でここにいる」
伯母は、わずかの怪訝も怯みもない。
あっ。
そんな二人のやりとりに、桃の頭の中で光が弾けた。
「来るの!?」
反射的に、大声を出していた。
イーザスは、この家にテテラを置いておくことを、不承不承ながらに了解していたし、いま彼女の義足が作られていることも分かっている。
それなのに、こんなに性急にテテラを連れ去ろうとしているのは。
ここに置いておくと、危ないからではないか。
ここ──そう、桃のそば。
忌々しそうに、自分の方を振り返るイーザス。
そんな彼に、もう一度聞く。
「ユッカスが…来るの!?」
「いいからテテラフーイースルを渡せ!」
会話は。
噛み合っていないようで。
実は、噛み合っていた。
※
義足よりも、テテラの命の方が大事。
そんなイーザスが、彼女を取り返しに来たと言う事は──そういうことだろう。
「伯母さま、爆弾男が来ます!」
桃は、伯母に分かる形で、それを伝えようとした。
こんな。
月の一族の、討伐隊が出るのを待っていたかのように、顔も知らぬ男が動き出したのだ。
伯母も、港町のロジアの屋敷で、直接の対峙はなかったが片鱗は知っているはず。
「ああ、聞いている」
ユッカスの危険性は、既に伝わっていたようだ。
「イーザスとやら……」
一度だけ、ちらりと彼女は後方の家を見やった。
桃の家。
いまは、母とそしてテテラがいる。
これだけの騒ぎを家の近くでしていながら、二人とも動く気配はなかった。
彼女に、この家を出て行く気がない、という証だ。
「お前さんには、本当の意味で彼女を守れるのか?」
伯母の言葉は、緩やかだが──痛い。
たとえ、ここでテテラを連れ去ったとしても、ずっと彼女と共にはいられない。
せいぜい、ユッカスにテテラの命を盾に、脅す材料にされるのが関の山だ。
「うるさ……っ!」
口から泡を飛ばして怒鳴ろうとする男は、瞬間硬直した。
一瞬にして間合いを詰めた伯母に、鞘ごと引き抜いた刀の柄で、その顎を押し上げられていたのだ。
動きの切れ味は、さすがとしか言いようがない。
わずかな時間にせよ、あのイーザスを動けない状態にしたのだ。
「何故……私らを利用しない。そうすれば、こんないびつな関係も終わりに出来るってのに」
伯母は、己の道と己の美学を持っている。
それは、決して真っ白ではない。
そんな彼女が、イーザスに言わんとしていることを、この時の桃は──理解出来た。