未来
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リリューは、父と向かい合っていた。
最初に、話すべきだと思ったのだ。
「そうか…」
父は、小さくうなずいた。
テルの直属として、月の一族との戦いに参加します、と。
そう、伝えたのだ。
軍令府を束ねる最高位の、武の賢者。
それが、父の肩書。
「弟殿下は、武の王になられる気なのだろうな」
「そうでしょう」
それについて、リリューに異論があるはずがない。
テルが目指すものは、明らかに思えた。
強い国。
彼は、それを目指している。
「その王に…ついてゆくか?」
だが。
次の言葉は、息子に向けられた。
これから、リリューはどうするのか、と。
たくさんのことを、考えた。
それを、考えるきっかけを作ってくれたのが、彼女だ。
考え抜いた結果。
「命ある限り、剣の道を究めたく思います」
リリューは結局、この答え以外を見つけることは出来なかった。
すると。
ふっと力を抜いたように、父が微笑んだ。
「お前らしいな」
母のように奔放ではなく、父のような忠臣でもなく。
一歩一歩進んで行く以外、リリューの道はない。
「その言葉は、きっと弟殿下にも通じるだろう…何しろ、あれの弟子だからな」
あれ。
それは、父の妻にして、リリューの母である強い女性のこと。
家族への心配は、何一つしていない。
ただ。
『彼女』に、この話は通じるだろうか。
※
彼女──レチは、使用人部屋へと移っていた。
毎日、着々と使用人の地位を固めている彼女は、とても満足そうに見える。
思い込みの強さと、若さ特有の頑固さがたまに出てしまうようだが、他の使用人たちともうまくやっている。
リリューに会うために来たことなど、幻だったのかと錯覚してしまうほど、レチはこの家に馴染みつつあった。
仕事を終えたレチの部屋の前。
外は夜で、女性を訪ねるには少し遅い時間。
リリューは、彼女の部屋のノッカーを鳴らした。
「はい?」
少し慌てた問いかけは、自分の部屋を訪問する人など誰もいないと思っているからか。
「私だ…少し話が出来ないか?」
「………!」
中のレチが、激しい驚きを感じているのが分かった。
ばたばたと何か仕度をしているような音が聞こえた後、それはぴたりとやんだ。
「あ、あの…庭で待っててくれますか? もう少ししたら行きますから」
いま全ての準備を終わらせるのは、無理だと判断したのだろう。
わかったと言い置いて、リリューは玄関を出た。
ふっくらとふくらみかけている黒い月の下、彼は待った。
「えっと…何の御用でしょう」
玄関の扉を、そっとそっと閉めながら、彼女の影が月の下へと現れる。
髪に手をやるのは、慌てて編み直してきたからか。
こうして月の下で会う方が、自分たちらしい気がする。
「近々、戦いに出ることになった」
「え…」
意外な声だった。
この話をしたのは、これまで父母だけだ。
使用人の噂話にも上がらないなら、彼女が知るはずもない。
長い間家を空けると、レチはそれはもうどこに出しても恥ずかしくない、立派な武の賢者宅の使用人になっているだろう。
リリューは。
「出立の前に…私の妻になって欲しい」
それを、阻もうとした。
※
「都に行けば、あなたに会えると思ったわ…」
レチの声は、沈んでいた。
しかし、その言葉は、雇っている側に向ける丁寧なものとは少し違う。
彼女は、使用人としてではなく、対等にリリューに語ろうとしている。
「会えて嬉しかった…でも…」
でも。
それは、前の言葉の反対のことが溢れてくる前兆の音。
「でも…どうしてすぐあなたは、どこかへ行っちゃうの…」
レチには、求婚よりも気がかりな言葉があったようだ。
ああ。
どうしても、自分の常識で物事を考える。
リリューにとっての常識のひとつが、母だ。
自由に出て行くし、自由に帰ってくる。
人が旅に出ることは、必要に応じてありえることだ、と。
だが。
彼女は、閉鎖的な町の生まれだ。
婚姻以外で、出入りすることはほとんど出来ない町。
そんな家庭で育ったレチにとっては、男が頻繁に家からいなくなるのは理解しづらいのだろう。
「それに…戦いに行くって…帰ってこないかもしれないってことよね?」
結婚したところで、リリューが死んでしまったら一人残されることになるのだ。
「いきなり一人になってしまうのなら…最初から一人の方がいい…」
レチの言葉は、痛々しい音を立てた。
彼女は、一人だ。
町を捨て、出てきた時点で一人で生きて行く覚悟は出来ていたのだろう。
リリューを追ってきてなお、彼の胸には飛びこまず、使用人としての居場所を見つけようとしたのも。
求婚されてなお、やはり彼の胸に飛び込もうとしないのも。
その覚悟を突き崩されてしまうことを、恐れているから。
一人で生きる覚悟を、人と共に生きる覚悟に変えられなければ、この思いは叶わないのだ。
「レチガークアークルムム…」
世界に1人だけの女性の名を呼ぶ。
彼は、言葉を変えることにしたのだ。
「戦いが終わったら、私と子を成そう…あなたが一人になる心配が出来ないほど多くの子を」
リリューは──夫婦ではなく家族という未来を差し出して見せた。




