靴下と卵
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リスは──建築家で彫刻家だった。
特に、木材の専門家だという。
「彼の父が、うちの道場を建てたんだ」
そう伯母に教えられ、桃は驚きと感嘆の目で彼を見直した。
「本当は彫刻家一本でいきたかったのですがね。母に泣きつかれては、さすがの僕も断れなかったのです」
まだ、妙なキラキラ成分をまきちらしながら、リスは己の立場を語る。
「売れてねぇクセに」
ウーゾの厳しい一言に、男同士の視線が火花を散らす。
「リスチェイドーメルベンラウハ氏の彫刻は、とても写実的ですね。現実的な建築とよく似ていると思います」
母は、彼の作品を見たことがあるのだろう。
その言葉に感動したのか、リスはしっかと母の手を取る。
「全てありのままが一番美しい……そうは思いませんか?」
まるで口説いているようなその様子を父が見たら、斬られるのではないだろうか。
桃は、そんなくだらないことを考えてしまった。
「そのありのままを、あなたに再現していただきたくて、訪ねてきましたの」
柔らかい笑みで、母は自分の手を握るリスの指をじっと見た後。
彼の視線を引っぱるように、斜め後ろを見た。
そこには。
静かに。
杖で立ったまま微笑んでいる──テテラがいた。
リスは、彼女の上から下までを舐めるように見る。
そして、下で止まった。
「彼女の足を、一本御所望という話でしたね」
彫刻家の言葉は、衝撃となって桃の身体を駆け抜けた。
『ここは、太陽に近い場所でしょうから、どこかに私の足も来ているかもしれません』
『それは、素晴らしい考えだ。ゆっくりと、都で足を探して行かれるといい』
テテラと伯母の、冗談のような会話が甦る。
「素晴らしい足を作る必要はないよ。前と同じ足でいい」
冗談なんかじゃなかった。
伯母は、本気だった。
本気で──テテラの足を作る気なのだ。
※
桃は、鍛冶屋での衝撃から、すぐには立ち直れなかった。
常識なんて、軽々と飛び越える母と伯母の行動は、子どもの頃から何度となく見ているというのに、慣れられるものではない。
同じものを見ても、彼女らと自分とでは見え方が違うのだ。
知識を蓄積し、人脈を作ってきた母。
多様な立場の門下生を等しく受け入れ、相手を選ばず付き合ってきた伯母。
二十年後、果たして自分は彼女らのような人間になっているだろうか。
「……」
道場で、衝撃と仲良くしていたら、誰かに見られている視線に気づく。
ようやく気付いた、といった方が正しいかもしれない。
顔を向けると、そこには怪訝な目のエインがいた。
随分、長い間見られていたのだろう。
いけないいけない。
姉である自分が、道場でしゃきっとしなくてどうするのか。
というか。
毎回、落ち込んでいてどうするのか。
母は母で、伯母は伯母だ。
桃はどうひっくりかえっても、彼女らにはなれない。
模造品になろうとしたところで、あの二人から笑われるだけだ。
「モ……」
「よし!」
桃は、両の拳をしっかりと握った。
出来ることを、やろう。
ではなく。
出来ることを探そう。
それには、まず母へアタックだ。
鍛冶屋に行く時、自分でついていきたいとアピールしたように、母にアタックして出来ることを奪い取るのだ。
待っていたって、何も来るはずなどないのだから。
そうと決まれば。
桃はたったか歩いて道場を出る。
中に向かって一礼している時。
ふと、何かにひっかかった。
さっき、誰かに呼ばれかけた──ような。
※
家に戻ると、テテラと母は縫物をしていた。
布問屋から分けてもらう端切れの布は、母の収集品のひとつ。
テテラの作っているものは、その端切れを美しく組み合わせた大きな布のようなものだ。
「綺麗でしょう?」
母が、自慢そうにテテラの作品を見て目を細める。
「これなら、きっと布問屋さんも値をつけて下さるわ」
ただの居候という立場ではなく、彼女は自分が食べて行くための地道な努力を惜しまない。
「本当に……このまま壁に飾ってもいいくらい綺麗ね」
素直な桃の感嘆に、テテラはにこりと笑ってくれた。
しかし。
「母さまは、何を作ってるの?」
母の裁縫は、謎の物体だった。
筒状の布に、綿を押し込んでいる。
「靴下を作っているの」
靴下?
また、謎な話が出てきた。
足にはくのが靴下だが、普通の靴下に綿は必要ない。
しかも、奇妙な形だ。
はっ。
考えろ、考えろ。
桃は、自分に言い聞かせた。
母は、嘘はつかない。
これは、靴下なのだ。
何のための靴下か、それを想像でも何でもいいから考えなければ。
いま、母が一番力を入れているのは、何か。
その靴下を──誰がはくのか。
推察でよければ、答えは出るではないか。
「もしかして……テテラさんの靴下?」
普通の足の形ではないというのならば、そうでない足のための。
「そうよ。この靴下が、彼女と足をつなぐ緩衝材になるの」
母の頭の中には、テテラの足の構造が入っている。
それが、分かる一言だと思った。
「ど、どういう設計なの? 母さま」
身を乗り出し、桃は母に詰め寄る。
母は、綿を詰める手を止めた。
深い深い黒い瞳が、自分の目を覗きこむ。
その奥の、真意を知ろうとするかのように。
少しして。
「……紙と筆を持ってらっしゃい」
母は、そう言ってくれた。
※
「ただいま、桃」
ぴょんぴょん身軽に跳ねながら、コーが帰ってくる。
ここしばらく、太陽妃のところに行ったきりだった彼女は、上機嫌そうに見えた。
「おかえり、コー。いいことでもあった?」
母からもらった紙とにらめっこしていた桃は、眉間のシワを伸ばしながら友人を見る。
「うん、卵が産まれたの!」
両手の指でまあるいわっかをつくって、コーは嬉しそうに説明する。
ああ。
都に戻って、ソーには妻が出来たのだ。
コーが仲良くしているメスの尾長鷲。
人間には狩られることはあっても、野生の動物の中では強いその種は、多くの卵を産まないという。
今回も、2つしか卵はないらしい。
「ああ……私も早く卵が産みたいなあ」
うっとりとした声でコーがとんでもないことを言うものだから、桃はぶっと吹いてしまった。
すると、彼女はにこっと笑う。
「大丈夫、私が産むのは卵じゃなくて赤ちゃん。でも、卵を温める姿は、ちょっと羨ましいな」
ちゃんと分かってるよと言っているのだろうが、桃は内心複雑だった。
何というか。
コーは、見る度に艶が出てきている。
色気が増しているというか。
女性として成熟して、子孫を残したくて仕方がない繁殖期の動物に近い気配がするのだ。
ハレがいるからそうなのか、彼女の中の動物的部分がそうさせるのかは分からない。
「コーは、ハレイルーシュリクス殿下の子どもを産むの?」
つい。
直接的に聞いてしまった。
コーに、回りくどい言葉は無駄なのだ。
すると。
「一番最後の歌を覚えたら……子ども作っていいってお父さんが言ってくれたの」
彼女は、ぽぉっと頬を染めた。
あー。
何というか。
あのトーにして、このコーありというか。
動物的な父娘な関係を、良好に維持しているようだった。