足
∞
都。
いよいよ、イーザスのことを先送り出来ないところまで来てしまった。
エンチェルクに、予想通りの反応をされた後、桃は家路につく。
少なくとも、彼を伯母の家に置くことだけは、避けなければならないと思ったのだ。
幸い、心配したエンチェルクが、従兄をつけてくれた。
本当に、心強い。
家に向かう道は、内畑の間にある。
その道を、さまざまなことを考えながら歩いていると。
突然、背の高い穀物の畑の中央めがけて、ソーが急降下してゆく。
「ソーさん!?」
エサでも見つけたのだろうか。
尾長鷲の今までにない動きに、桃が驚いていると。
ひょこっと。
その穀物畑から、白い頭が覗く。
「桃ーっ!」
飛び出してくる、好奇心溢れる女性。
コーだ。
彼女につられるように、他の人も頭を上げた。
「桃さん、おかえりなさい!」
丸い硝子を、鼻の上からずり落としそうにしながら声をかけてくれるあの人は──!!!
た、太陽妃!
ぞっと、した。
一応、少し離れて護衛はついているはずだが、こうして見る彼女は、とても無防備に見えたのだ。
イーザスであれば、片手でひねれるほど。
そんな桃の心を知らないまま、コーがひらりはらりと飛ぶように走ってくる。
その頭上を低く舞う、尾長鷲。
「おかえりー桃!」
彼女は、全身で帰還を喜んでくれた。
その大きなよく通る声は、きっと道場まで届いたことだろう。
しかし、ハチはびくりともせず、ただ動きを止めたまま。
そんなコーが、テテラとイーザスを見ながら、こう言った。
「新しい桃のお友達?」
その屈託のない天真爛漫な声は、イーザスの呪いの視線を作り上げる。
「ええ、そうよ。よろしくね」
テテラだけが、二人のまったく絡みあわない空気を解きほぐすことが出来たのだった。
※
コーの声のおかげか。
道場の外には、ちょうど練習中だっただろう門下生と伯母が。
家からは、母が出迎えてくれた。
「ただいま帰りました」
晴れ晴れと、という気分ではないが、それでも久しぶりに会う母の姿を見ると安心する。
門下生たちも、にこやかに迎えてくれるが、イーザスのただならぬ雰囲気にはさすがに気づいたらしく、腕の立つ度合いによって警戒感を消してはいなかった。
「イーザス……下ろして」
しょいこに座るテテラがそう願うと、すぐに彼女は杖で降り立った。
多くの人々を前に、彼女は柔らかく微笑む。
「こんにちは、太陽の都の方々」
テテラは、眩しそうに目を細めた。
「こんにちは、海の方」
伯母は、分かったのだろう。
穏やかに、目を細めて返す。
それまで、門下生たちは彼女の足を見たり、見ないようにしたりしていた。
どうしたらいいのか、分からないでいたのだ。
「足は、どうされました?」
その空気を知っているように、伯母が微笑みながらずばっと切りこむ。
空気が、固まるかと思った。
「太陽の御許へ参りました」
だが、相手はテテラだった。
眩しく空を照らす光を、ちらとだけ見上げて答える。
「ここは、太陽に近い場所でしょうから、どこかに私の足も来ているかもしれません」
そして、おかしそうに笑うのだ。
もっとおかしそうに笑ったのは──叔母だった。
「それは、素晴らしい考えだ。ゆっくりと、都で足を探して行かれるといい」
何と、あっけらかんと笑うのか。
「是非、ゆっくりしていらっしゃって」
母まで、微笑んでいる。
この姉妹は、一体何を考えているのか。
若輩者の桃には、到底その思考には追いつけなかった。
だが、そのおかげで。
門下生たちは、彼女の足について触れてはならないものではないことを知って、みな穏やかな表情に戻る。
空気は冷えることも固まることもなく、ただイーザスだけを置き去りにした。
※
道場の前で、宴会となった。
桃とリリューの無事と帰還と、新しい客人を向かえる祝いだ。
門下生は、ひとっぱしり市場まで買い物に走り、作業中の太陽妃も呼び、すぐさま宴会は形となった。
だが、気づいた時には──イーザスは消えていた。
こんな集まりに付き合う気もないだろうし、とりあえずテテラが住む場所は確認したことで、離れても大丈夫だと思ったのだろう。
桃は、少しほっとした。
これで、機会をみて彼女をロジアに会わせることが出来る、と。
エインも、こんな集まりは初めてなのだろう。
戸惑っているように見えた。
太陽妃を紹介された後は尚更だ。
みな、すぐ側で楽しそうに歌いたわむれる姿は、いくら父から教育を受けた彼であっても、すぐさま飲み込めないに違いない。
そんな中、エインは。
母を、見た。
都に来てから、直接会ってなかったのだろうか。
何か、物言いたげな、けれどもうまく言葉に出来ないような、そんな瞳。
そうか。
エインは、知っているのだ。
母の顔を。
父が、送らせた肖像画で。
イエンタラスー夫人宅で見た、あの絵を思い出す。
父が、愛した女性。
息子にとっては、複雑だろう。
その視線が、ふっとこっちを向く。
不意を突かれた桃は、まっすぐにエインと視線がぶつかってしまう。
「大丈夫?」
彼女は、少し心配しているという雰囲気を絡めて、そう問いかけた。
この空気に馴染みきれていない弟を、気遣っているという心を伝えようとしたのだ。
しかし、それはエインを不機嫌にしたようだった。
「どうということはない」
そう強がるのは──男の子に生まれた宿命なのだろうか。