兄弟子参上
∞
「テテラフーイースルは、俺が背負う」
殺意みなぎる言葉で──それは、お願いではなく命令だった。
リリューと睨みあうその図は、桃の背筋をひやりとさせる。
従兄が穏やかな性質でなければ、もうこの瞬間には、血を見る騒ぎになっていただろう。
リリューは、テテラの方を見た。
彼の意見でいいのかと、確認をする瞳。
少し困ったように、彼女は微笑んで頷いた。
「一緒に、行きましょうか」
心配していたことが、現実となった。
そして、ありえない旅の一団が出来上がることとなったのだ。
異国の危険な男に、港町の片足の女。
日本人とこの国の人間の混血に、武の賢者と日本人の養い子。
空には尾長鷲のオス。
地上には、山追の子。
この状況が出来上がったのは、奇跡というよりも、強引かつ無茶の集大成というか。
とりあえず、テテラを彼が背負ってくれたのだけは、助かることだった。
少なくとも、彼女をしょいこに乗せたまま、奇襲をしかけてくるような無茶だけはしないだろうから。
リリューも身体が空くために、とっさの反応もしやすくなるだろう。
要するに。
桃は、イーザスをまったく信用していなかった。
出来るはずもない。
この男に、したたか痛い目をみせられていたのだから。
ただ。
テテラを思う気持ちだけは、嫌なくらい伝わってくる。
痛いほどではなく、嫌なくらい。
彼の思いは、周囲の人間にしてみれば、猛烈にはた迷惑だ。
彼女以外は、全部殺したとしても、これっぽっちの良心も疼かないだろう。
「イーザス……速すぎるわ」
二人を置いて、物凄い速度で進もうする彼を、テテラが止める。
しぶしぶ。
ようやく、危険人物は歩速を緩めた。
「早く来い」
振り返った抉るような瞳には、ひとかけらの好意も含まれてはいない。
うまくやれるかなあ。
限りなく──無理に思えた。
※
すぐに爆発して、周囲に危害を加えそうになるイーザスを、最後の一瞬で止めるのはテテラだった。
その代わり、殺意に満ち溢れた視線を、日々向けられる羽目となる。
ハチに至っては、絶対に彼には近づこうとしなかった。
「何故、薄暗くなると進むのをやめる? もう少し進めるはずだ」
都へ戻るのに、それほど急ぐ必要はないというのに、とにかく一秒でも早く彼らと別れたいかのようにイーザスが言い放つ。
本当のことを告白すれば、空から降りて休もうとする鳥目のソーを、焼き鳥にしかねない勢いだ。
さて、どうしようと思っていたら、助け船が出た。
「私がお願いしたのよ。一生で、何度も出来ない旅だから、ゆっくり行って欲しいって」
下ろしてちょうだいと、テテラが言う。
「テテラフーイースル……旅なんて楽しむものじゃあない。辛いだけだ」
彼女に向ける声は信じられないほど優しく、しかし、限りなく深い悲しみに満ちたものだった。
母にすがって涙を浮かべる子どものように、地に下ろした彼女の手をぎゅうっと握って訴えるのだ。
恐ろしいほど、激しく動く喜怒哀楽。
テテラに対する豹変ぶりには、毎回驚かされはするが、彼のその言葉には、海よりも深い実感がこもっていた。
「イーザス……あなたは辛い旅をしたのね」
手を握り返しながら見つめる彼女の瞳は、悲しげだった。
「でも……それなら何故、あなたは町に腰を落ち着けなかったの?」
テテラの問いは、おそらく痛いものだっただろう。
この男の性質を考えれば、本来であればテテラの側を離れずに、あの町で生活していてもおかしくないはず。
だが、イーザスは町を離れなければならなかったのだ。
祖国から命じられた仕事のために。
「痛いわ、イーザス」
言われるまで、気づきもしなかったのだろう。
彼にとっては、誰よりも大事な彼女の細い指を、折らんばかりに強く握りしめていたことを。
桃は、ひとつ思い出した。
ロジアのことだ。
彼女は、港町の人間全てを人質に取られていた。
では、このイーザスは。
彼は──誰を人質に取られていたのだろう。
※
「ユッカスってどんな人ですか?」
イーザスという男に、祖国に対する愛国心なんかあるとは思えなかった。
テテラ以外を心酔して行動することも、ありえないだろう。
そんな男を、動かしている誰かがいるということだ。
ラベオリ、ユッカス、ヘリア。
そうなると、まだ出てきていない三人の異国人が、桃にはひっかかるのだ。
その中でも、特にユッカス。
カラディによれば、桃が顔に傷をつけたのが、この男。
夜、炎を囲む中、彼女の出した話題は、テテラに向けられる。
勿論。
イーザスも、桃を撲殺せんばかりの視線で睨んだ。
その名前など、聞きたくもないように。
「ユッカス……」
テテラの表情が、思い出すように夜空に向けられる。
「頭のいい子だったわ……立ち居振る舞いも、一人だけ少し違っていて。いいところの子どもだったんでしょうね」
別れてから、一度も会ってないと彼女は言う。
いいところの子。
それは、他の人間とは立場が違うということか。
彼らを祖国にしばりつける、中心人物ではないかと思った。
イーザスやカラディを恐れさせるほど。
桃は。
心の中で、彼女を八つ裂きにしているだろう男の方へと、向き直った。
昔の、ではなく、限りなく今に近いユッカスを知る男へと。
「多分……私は、ユッカスの顔に傷をつけたわ」
そう語りかけると、イーザスは目を吊り上げるようにして笑った。
「ああ、そうか。そりゃあよかったな」
全身を震わせ、地の底から笑い声を搾り出す。
「傷のお礼に、地の果てまで、お前を追ってくるだろうよ」
正々堂々、戦ってもらえると思うなよ。
言葉にされない刃が、楽しげに桃の周囲に突き立ってゆく。
やはり。
そういう男なのか。
※
「イーザス……あなたたちは何をしているの?」
テテラの言葉は、いつか出てしかるべきものだった。
少なくとも、今まで何も聞かれなかった方がおかしいのだ。
ロジアの屋敷が焼け、桃はユッカスと対立した関係になった。
彼女が手塩にかけた子供たちが、騒動の根元にあることくらいは、分かってきているだろう。
「……」
イーザスは、黙った。
事情を説明するには、まず自分の本当の血の話からしなければならない。
それは、出来ないと思っているのだ。
何故なら。
祖国の兵士たちが、港町を焼き、テテラの足を片方奪ったのだから。
そんなことを、彼女を愛するイーザスが言えるはずがない。
他の場所で聞かれたならば、どうとでもごまかせることだが、ここには桃もリリューもいる。
事情を知っている人間のいる前で、下手な嘘もつけないだろう。
だが。
逆に彼は、二人がいることを利用した。
「こいつらの前では話せない」
なるほど、うまい逃げ方だ。
「何もかも……知っている人たちの前で話せないことなんかないでしょう?」
だが、テテラの方が上手だった。
悲しげな表情を浮かべながら、桃たちの方を見る。
ついでにイーザスに、心の底からの呪いの視線もいただけた。
よくない展開だった。
彼は、追い詰められていく。
誰あろうテテラに。
これまで、イーザスが出来ない我慢をしていたのは、一重に彼女のためのみだ。
その本人から追い詰められては、どこにも逃げ場がなくなってしまう。
「テテラフーイースル……その話をするなら」
血走った目を、彼女に向ける。
桃は、反射的に身構えた。
危険なことが起きたら、いつでも抜けるように。
それほど、イーザスの声は切羽詰まったものだったのだ。
「その話をするなら……」
強く何かを押し殺すように、ぶるぶると震えるその身。
「最初に……俺の足を切ってくれ」
イーザスは、強烈な精神のせめぎあいに耐えかねてか──泡を吹いて倒れた。
※
イーザスは、何もしゃべらなくなった。
目だけがギラギラと殺気だっているものの、テテラに対する愛情だけは揺るぎなく、ただ黙々と彼女を背負って歩く。
その殺気だった目は、つい先日まで桃やリリューに向けられていた。
だが、いまは何もない虚空に向けられている。
テテラに問われた言葉が、どれほど彼の精神に深い痛みを与えたのか、そんな態度の変化から推察出来た。
夜、彼女の片方の膝にすがって眠るようになったイーザスの姿は、まるでよりどころのない子供のように見えた。
ロジアも、そうだった。
彼女もまた、自分の居場所を作ろうと必死だったように思える。
カラディも、そうなのだろうか。
ふと、思い浮かんだその男を、桃は振り払った。
人がみな、自分を好きなわけではない。
多くの愛情を素直に受けて育った桃は、旅を通して身を持ってそれを知った。
桃が考えるのは、彼が異国人であり、この国を害する働きをしている、ということだけでいい。
もうすぐ、都へ帰りつく。
そうすれば、こんなことを考える暇もない日々に戻れるだろう。
母がいて、エンチェルクがいて、コーがいて、伯母もいる。
ロジアと、そこにテテラが加われば、一気に女性密度が高くなる。
静かな生活が送れるとは、とても思えなかった。
そう考えると、少しだけ足が軽くなる。
そんな旅路の歩みが、止まった。
先頭をゆくリリューが、足を止めたのだ。
不意の停止に、睨み上げるようにイーザスが顔を向ける。
「リリューにいさん……どうかした?」
呼びかけに、微かに従兄の首が斜めに傾く。
怪訝な様子だ。
桃は、歩を進めて、リリューの横から道の先を見通す。
まっすぐな道の、遠く遠くに荷馬車が見えた。
飛脚ではないそれの御者は、何となく見覚えがあるような。
近づいてくる内に誰なのか分かって、はっと従兄を見上げた。
「あれ……」
桃も首を傾けながら、怪訝さを隠せないまま言葉を発してしまう。
「あれ……シェローにいさんだよね」
シェローハッシュ──道場の兄弟子であり、軍令府の役人でもある男だった。
※
「シェローにいさん!」
停止しようとする荷馬車へ、桃は駆け寄った。
「モモ、無事か。よかったよかった」
身軽に御者台を飛び降りてくるシェローは、彼女の身を確かめるように軽く肩や背を叩いた。
その後、ぐるりと旅の一行を見渡す。
「リリューも無事で何よりだ」
「ありがとうございます」
男同士らしい挨拶が交わされている中、桃はふと他の人の気配を感じ、荷馬車の方を見た。
後ろから、誰かが降りてくる気配があったのだ。
「ああ、そうそう」
シェローが振り返る。
「俺は、役所の仕事でこの先の町に行くところだったんだが、乗せてくれって頼まれてな」
客人だ。
後方から現れたのは。
「……!」
桃は、驚きのあまり声を失ってしまった。
目を大きく見開いて、見間違いではないか確認してしまう。
「突然、訪問してすまない」
桃が見上げるほどの高い背。
長い手足。
彼の名は──エインライトーリシュト。
テイタッドレックの後継者。
桃の、ひとつ下の弟。
「なっ……どうし……ここに!?」
焦るあまり、言葉がひっからまる。
「父の許可が出たので、剣術の修行に来た」
少し会わない間に、前よりも随分大人びて見える。
剣術の修行。
そういえば、イエンタラスー夫人の屋敷で、都に来るように桃も勧めたではないか。
「あ……うん……そう」
心の準備が出来ないまま、こんな旅路で再会したため、桃はどうにも調子が狂ってしまった。
そんなエインが。
桃ではなく、リリューの方を向き直る。
「リリュールーセンタス……あなたの客人は…都で待ってます」
従兄の客。
とっさに桃は──誰のことかわからなかった。