賢者襲来
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招かれざる客は、夜に来た。
「子が出来たと聞いてな」
エンチェルクは、玄関先で大勢の人間を引き連れた男を見た。
応対しているのは、この家の主人である武の賢者。
一応、少ないながらに使用人のいる家であるにも関わらず、彼が出なければならない相手ということだ。
見たことのある男だった。
確か。
天の──
「ああ、うるさいのが来た」
階段のそばにいたエンチェルクの後ろから、キクが現れる。
苦笑混じりに、しかし、真正直な言葉。
「久しぶりだな……リサー」
キクは、ぽんとエンチェルクの肩を叩いて、玄関の方へと進み出る。
恐ろしい呼び方をしながら。
確か彼は。
「相変わらず、不作法で無礼な奥方だな」
天の賢者。
彼は武の賢者を見上げながら、痛烈な皮肉を投げつける。
「こんな平民の家にまで、賢者殿が祝いの品を届けてくれるとはありがたいことだな」
この家の奥方には、さして効いている様子もないが。
何より、キクの夫もまた賢者であるというのに、あっさりと「平民」と言い切れるのも大したものだ。
「我が跡取りの時に、祝いの品が届けられていたからな。さて、子を見せてもらおうか」
天の賢者の、話の流れは強引で。
こんな夜に、急いで祝いに駆けつけるほどの仲であるとは思えない。
非常に、違和感のある事態に感じた。
その違和感は。
「賢者殿がみたいものは、私の子ではないだろう?」
キクによって、ばっさり斬り捨てられる。
はっと、エンチェルクは身を固くした。
そうか、と。
「分かっているのならば、素直に通してもらいたいものだな」
そうか。
天の賢者が見たいのは──異国人のロジア。
※
「会いたければ……テルの許可でも取ってくるといい」
キクは、人の悪い笑みを浮かべる。
どこから情報を仕入れたかは知らないが、天の賢者がテルと話をしたとはとても思えない。
それには、エンチェルクも同感だった。
でなければ、無罪放免なんてありえない結論を出せるはずはないのだから。
勿論、賢者の甥であるヤイクがしゃべったとも、絶対に思わない。
たとえ血縁であろうとも、彼がテルを裏切るはずはない。
そんなことをするくらいなら、最初から無罪放免を引き受けてくることなどありえないのだ。
あの旅で。
ヤイクは、テルに忠誠を誓った。
その瞬間、親戚だろうが何だろうが、彼にとっての最上はかの君になったのである。
「いいか、奥方。私は賢者だ。この国のまつりごとを担うものだ。殿下が何とおっしゃろうが、私達がしようとしていることの邪魔は出来ない」
唾を飛ばさんばかりに、天の賢者はキクへと詰め寄る。
そんな険悪な二人の間に。
「……すまないが、今日はお引き取り願おう」
大きな男の身体が、入った。
武の、賢者。
「武の賢者殿……賢者でありながら、邪魔立てするのか?」
厳しい声。
同じ賢者でありながらも、二人の本当の身分は天地ほどに違う。
それを、思い知らせるような声だと思った。
「お話なら、明日我が君の前で伺う」
静かで、強い言葉。
最初から、この二人に貴族や賢者の力など、見せたところで通じるわけなどないのだ。
「……では、そうすることとしよう」
腹立たしい気持ちを隠すことなく言葉に乗せ、天の賢者は踵を返した。
つき従った者たちが、慌てて贈り物の箱だけを置いて去ってゆく。
「あいつの言葉は……適当に聞き流していいぞ」
キクが、自分の目の前に立つ男の背中を、軽くぽんと叩いた。
この二人は本当に──心が強い。
※
心の強い人間に、幾人も出会ってきた。
それが、エンチェルクを作った要因の一つと言っていいだろう。
だから。
「こんにちは、エンチェルクさんですね?」
所用で、ウメの家に向かっていた途中に呼びとめられた時。
ちゃんと、どこかで心の用意が出来ていた。
「こんにちは、何の御用ですか?」
彼女と同じ年くらいの男は、いかにも役人か下級貴族然としている。
人と応対し、しゃべることに慣れている。
しかも、にこやかだ。
にこやかな役人や貴族は、下の方と相場が決まっている。
上と付き合うために、そのにこやかさを手に入れたのだ。
エンチェルクのような平民にさえ、にこやかに近づいてこなければならない理由が、この男にはあるということ。
「ちょっと折りいってご相談が……悪いお話ではないはずですよ?」
握らされた言葉は、とてもおかしいものだった。
だから、エンチェルクはふふと笑ってしまったのだ。
これまで、彼女にこんなに優しい言葉を投げかけるような男は、周囲にいなかった。
誰も、自分を利用しようなんて思ってない人ばかりだった。
勿論、彼女自身にそんな価値なんか、なかったのかもしれない。
けれど。
誰かを利用しようとする人間の声は、傍から聞くとこんなにも滑稽なのかと思ったら、笑わずにはいられなかったのだ。
「私にとっては、悪いお話のようです……さようなら」
どうせ──買収の話。
天の賢者あたりが、あの家の二人の武の化身を乗り越えて、ロジアにたどりつくための道として、エンチェルクを選んだだけのこと。
テルも、あるいはいまの太陽をも、うまく説得出来なかったために、こんな搦め手に走ったのだろうか。
「待って下さい。お話くらい聞いていただいても」
慌てて伸ばされる手を。
するりとかわして振り返る。
「……!」
何か、言おうとしたのに。
驚きの余りに、エンチェルクは言葉を失った。
男の後ろに、誰かいたのだ。
「面白そうな話をしているな……そのいい話とやらを聞かせてもらおうか?」
フードもかぶらず、顔も隠さずに町を闊歩する、身分に合わぬ変わり者──ヤイクだった。