無罪
∠
テルが部屋に帰ると、オリフレアが来ていた。
「珍しいな」
ソファに身体を深く預ける彼女のおなかは、随分大きくなった。
そろそろ生まれるのではないかと思うが、まだ先だという。
「大分、具合がよくなったわ」
そのおなかの割に、オリフレアの体調は悪くないらしく、最近は軽い散歩も出来るようになったようだ。
「そうか、それは良かったな」
彼女の隣に座り、軽く肩を抱く。
ため息をひとつついて、彼女は身体を預けてくる。
「面白いことをしてるんですって?」
自分のおなかを軽くなでながら、オリフレアは好奇心を覗かせる。
「どれの話だ?」
テルは、探りを入れてみる。
いま、彼の周りには様々な問題が山積している。
彼女にとって面白い話とは、どのことか分からなかったのだ。
「異国人のことよ」
ふふと、オリフレアが笑う。
一番、厄介な問題を捕まえていたようだ。
箝口令の元、内輪の議論から出すことはないというのに。
「どこまで耳に入っている?」
テルは、自分から話すことはしなかった。
ことは、かなり危険なまつりごとの話だ。
オリフレアを信用しているとかいないではなく、迂闊に外で口に出すものではない。
「馬鹿ね。宮殿で牢獄につないでいるならまだしも、武の賢者の屋敷で半分自由にさせておいて、隠し切れるわけないじゃない」
聞けば、武の賢者の子が産まれた事を聞いたシャンデルが、祝いを持っていった時に、話を仕入れてきたようだ。
赤子の側に離れない、見知らぬ火傷の跡を持つ女性。
シャンデルは、不自由ながらも既にオリフレアの側仕えとして復帰している。
キクたちと縁のあった彼女だけに、話を聞いてくることが出来たのだ。
女性たちの情報網も、侮りがたいものである。
「会いに行こうとは思うなよ……まだ、な。とりあえず、無事子を産んでくれ」
テルの心配の種を、これ以上増やされてはたまらない。
「じゃあ、私を満足させるほどの話を聞かせてよ」
好奇心旺盛な──困った妻だった。
※
「無罪放免?」
オリフレアは、おかしそうに笑った。
「ハレなら分からないこともないけど、よりにもよってテルが?」
間近から顔を覗かれるほど、彼女にとっては信じられないことのようだった。
港町を実質牛耳っていた、飛脚問屋の女主人。
キクの家にいる、火傷の女だ。
ヤイクには散々抵抗されたが、テルは未来への投資をしたつもりだった。
「完全な無罪放免じゃない」
紐つきだ。
テルはキクだけでいいと思ったが、彼の忠実なる部下はウメまでそこに押し込めた。
要するに、自然に彼女の知識が、この国のために流れ出るための布石だ。
ヤイクは、ウメをとにかく評価している。
だから、彼女から効率的に知識を吸い上げられると思っただろう。
だが、テルはもっと別の形で使うつもりだった。
「いま、ハレに仕事を頼んでいる」
各町の寺子屋から、優秀な人材を推薦で集め、放り込む学問専門の町。
学と技術の底上げを図る。
異国の足音が近付いているのに、のんびり国内のことだけをやっている場合ではない。
「最終的には……ロジアという女も、そこへ放り込むつもりだ」
学問に渇望する若者に、もみくちゃにされ、すべて吸い取られるといい。
彼女は、港町で子どもや若者を必死に育てていたという。
祖父からの手紙には、何かをしていないと死んでしまうような女だと書かれていた。
長い間、じっとしていられるわけがない。
後は、身を持て余した彼女に、機会を与えればいい。
「何だ……無罪にしたけど、放免じゃないのね」
相変わらず、意地の悪い男だわ。
「人材が足りてない。俺の駒になるなら、異国人でも何でも使うさ」
一連の出来事を、全てテルの手駒で済ませたからこそ出来る技だった。
父の賢者など噛ませた日には、別の意味ですりつぶされて牢獄行きだろう。
テルは、それだけは避けたかったのだ。
そう遠くなく来る自分の時代のため、彼はいま基礎の石を積んでいる。
その石に、異国人だの月の人間だのが混じろうとも、崩れないよう強固に噛み合わせるだけだ。
彼女の産む、次代の太陽のためにも。