テテラとカラディ
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燃え上がる屋敷を、桃は庭の離れた木の下で見ていた。
井戸の水で、返り血を洗い流したのだが、この屋敷の火のおかげで、すぐに乾いてしまう。
近くの茂みには、ハチ。
そして。
彼女は、木を見上げた。
木の枝で、バサバサと羽音が鳴る。
ソーだ。
伯母は、本当は荷馬車に乗らないはずだった。
だが、ロジアが次郎を離さなかったのだ。
赤ん坊には、乳がいる。
その理由で、伯母は荷馬車に乗ることになった。
いくら山追の子でも、ひたすらに走る荷馬車を追い続けるのは大変だろうと、ハチは桃に託されたのだ。
同じく、荷馬車に乗らなかった人がいる。
リリューだ。
彼はいま、ヤイクの残した走り書きを持って、兵の詰所へと向かった。
この事件の、後始末をするために。
ロジアは。
ここで死んだことになる。
巻き込まれて死んだ、憐れな使用人たち。
彼らの誰かが、ロジアとなるのだ。
皮肉なことに、彼女を見分ける手掛かりのはずの火傷の跡は、何の意味もなさないほど、全て燃えてしまっただろう。
町の人たちも。
家の窓から、ロジアの屋敷が燃えているのを見るのか。
恐ろしい月に照らされる夜の世界に、飛びだせないまま。
だが。
それは、桃の浅い考えだった。
開けっぱなしの門に。
炎に照らされ、人影が浮かび上がる。
一人。
いや、二人、三人、もっと。
みなが、茫然と敷地へと入ってくる。
男ばかりなのは、満月のせいか。
恐ろしい夜を越えて、彼らはロジアの屋敷を襲った悲劇を、言葉を失ったまま見ている。
二十年前。
彼らは、多くを失った。
そして、今。
彼らは──ロジアを失ったのだ。
※
リリューの戻りは、遅かった。
遅かった理由は、その姿を見ればよく分かった。
その背に。
テテラをおぶっていたのだ。
こんな夜にも関わらず、彼女はロジアを心配して出てきた。
その姿を見て、リリューは放っておけなかったのだろう。
彼女を下ろし松葉づえを手渡すと、彼女はいまなお燃える屋敷を、悲しげに見上げる。
真実を。
テテラに、真実を話したくてしょうがなかった。
だが。
彼女は、異国の人間に近い女性だ。
そんな人に、ロジアの真実を告げることは、この日の出来事を全て無駄にしてしまうこと。
「都へ……来るといい」
従兄は──やはり、あの伯母の息子だ。
打算ではなく本能で。
ぼんやりとした外側ではなく、まっすぐな中心を。
しっかりと掴んで、差し出すことが出来る。
「都には……あなたの真実があるだろう」
片足で、長い旅など難しいはずの人に、何故迷いなくそんな言葉が言えるのか。
その先に、何があるのか分からない人に、だ。
本当は。
それを言いたかったのは、事情を一番知っている自分だ。
リリューは、これまでテテラに会ったことなどない。
彼女が、どういう境遇で、ロジアとどういう関係だったのかも知らないはずなのに。
もしかしたら、道中で話はしたのかもしれない。
そうであったとしても──桃は、悔しかった。
いや、恥ずかしかった。
異国人とつながっているから、ロジアのことを教えるわけにはいかないと、そう考えていた自分に、だ。
もっと他の方法を、模索することも出来たのに。
安易で、見えているものをとっさに掴んだ自分を恥じた。
「一緒に、都に行きましょう!」
だから。
桃は、テテラに呼びかけた。
どれほど時間がかかっても──彼女をロジアに再会させたかった。
※
人々の中から、無精ひげの男が近づいてくる。
「カラディ……」
反応を返したのは、桃よりもテテラが先だった。
「あなたたちは……一体何をしているの?」
問い詰める言葉に、カラディは面倒くさそうに頭をかく。
「テテラフーイースル……あんたは帰った方がいい。こいつらといると、悪いことになる」
相変わらず、歯に衣着せないしゃべり方だ。
その歯は、すぐさま桃に向けられた。
何か言おうとして、近くのテテラが気になったらしく、ついてこいと顎で呼ばれる。
少し離れたところ。
「一人……逃がしただろ?」
カラディは、頭が痛いとばかりに自分の眉間を押さえた。
「よりにもよって、ユッカスだ。しつこさも、あの国への忠誠も天下一品だぞ」
ただの忌々しい悪口のように思える。
だが、これからこの国と桃の敵になる相手が誰なのか、それを教えてくれているように感じた。
六人の子どもたちの中の、一人。
桃の出会った、四人目の異国人。
「でも……顔に傷をつけたわ」
どれほど自分を呪ったとしても、顔を合わせればすぐに分かってしまう。
この国の兵士に、傷の男を疑うよう仕向けることだって、ヤイクならば出来るだろう。
カラディは。
桃の腰を見た。
彼女の刀を。
「爆弾相手に、こんなもんで戦って……ユッカスを傷モノにしたか」
あーあ。
彼は、心底いやそうに声を吐いた。
「嫌な血だな、お前らの血は」
カラディが、背を向ける。
「お前が……死ねばいいと思ったのに、な」
彼は、行ってしまった。
おそらく、どこかへ行方をくらますのだろう。
ユッカスに、見つからないように。
桃は。
最後にもらった言葉に、少なからず衝撃を受けていた。
※
都に、帰ることにした。
全ての準備が、整ったのだ。
従兄のリリューと、山追のハチ。
尾長鷲のソーと──片足のテテラ。
詳しい理由を聞かずに、彼女は都へ行くと行ったのだ。
そんなテテラのために、リリューが背負子を手に入れてきた。
背負える椅子、とでも言えばいいだろうか。
ここから都までの距離を、従兄は背負っていく気なのだ。
長いひざ掛けをすれば、彼女の足はよく分からなくなる。
「とても、見晴らしがいいわ」
何しろ、長身のリリューの背なのだ。
これまでより、遥か高くが見えるだろう。
そんな姿で、町を抜ける道を歩くのだ。
誰もが、彼らを振り返った。
そして。
誰もがみな──喪服だった。
ロジアの死を、まだこの町は悼んでいる。
そんな中を。
黙々と彼女を背負い歩くリリューと、何を予感しているのか、ちょっとだけ晴れやかなテテラが通り過ぎる。
桃は。
もやもやする気持ちを、綺麗に拭いきれないまま、そんな二人と共に歩く。
ピューイ。
上空で、ソーが輪を描く。
「あら、尾長鷲かしら……カラディの好きな鳥ね」
桃の連れだと知らないテテラが、珍しそうに目を細めて空を見上げている。
彼女の綴った言葉のひとつに。
胸が。
ちくんと。
痛んだ。