一合
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モモが、少しずつ少しずつ落ち着いていく。
リリューは、それをただ静かに待った。
真剣という、わずかのごまかしも効かない刃を、鞘から抜いているのだ。
ゆっくりと呼吸をしながらも、彼は桃から目を離さずにいた。
そうしているうちに。
何故、母がこんなことをさせたのか、分かって来た。
どんな実践より先に、桃に真剣に対する心構えの時間を与えたかったのだ、と。
ヤマモト流の道場では、おいそれと帯刀は許されない。
心が、しっかりと育たなければ、持たせないという母の信念によるものだ。
モモは。
心が育ちきるまでの時間が、なかった。
それに彼女も気づいて、刀を返そうとしたのだろう。
その時間を、いま母は作ろうとしている。
真剣で向かい合わせるという、荒療治で。
モモは、ヤマモト流の唯一の血を引いている娘だ。
しかも、父に似たという上背も加味され、身体的素質もあった。
足りないのは──覚悟。
必要なのは、その覚悟を決める時間。
いまはいい。
周囲は、誰もモモを傷つけない。
だが、旅に出れば違う。
旅に出てからは、彼女の力が必要になることもあるだろう。
その時に、覚悟を決める時間を作ることは出来ないかもしれない。
逆に言えば。
いまなら、どんなに長い時間を使ってもいいのだ。
そう理解出来たら、リリューは肝が据わった。
一時間でも二時間でも。
モモに付き合おうと。
だが、彼の従妹は、それほどの時間をかけることはなかった。
やっと。
やっと、道場で向かい合う時の目になった。
リリューをきちんと映した、まっすぐな瞳。
「一合」
母が言ったのは、一言だけ。
呼吸が、見える。
桃の呼吸が、自分の呼吸ときちんと重なった瞬間。
強い手ごたえと──火花を見た。
※
「何を……やっている」
その一言で、真剣勝負は終わった。
異様な空気に誘われたのか、父が家から出てきたのだ。
すぐさま、リリューはサダカネを鞘におさめた。
桃も、鞘を拾ってしまいこむ。
「礼」
しかし、母は父の登場などなかったかのように、一言でまた片づけるのだ。
互いに頭を下げ終わったら。
モモが、へなへなとその場にへたり込んだ。
すっかり、腰が萎えてしまったのだろう。
「刀は……最初から魂があるものとないものがある」
彼女は、刀を握りしめていて。
それに語りかけるかのように、母は微笑むのだ。
「魂のない刀には……お前の魂を吹き込むんだ」
少しは、あたたまったか?
言葉に、モモは握りしめている自分の手を見る。
確認するように、一度握り直す指。
「定兼は……」
母の視線が、リリューに飛んだ。
どきりとした。
「定兼は、私が握る前から魂があったからな……一緒に生きろ」
まだ、しっくりなじまない指。
母のように、自然に振れない自分を思い知った。
この刀にとって、まだ自分は他人なのだ。
「あ……」
へたりこんだまま、モモは母を見上げる。
ぎゅうっと。
その手が、強く刀を握り締める。
「あ……ありがとうございました!」
言葉に、母は微かに笑うと、父の方へと歩いて行く。
「見世物は……終わりだぞ?」
憮然とした男を、軽やかにかわす一言。
父は。
ため息をつくしかなかったようだ。