伏兵
∞
火が。
火がひとつ、建物を迂回してくる。
庭の喧噪に、加勢にきたのか。
新しい火が、その口元から増やされたのを見て、桃はとにかく後方へと走った。
距離を取る以外、現時点で有効な手立てがないからだ。
庭の木の向こう側に隠れた瞬間。
後方で爆音が響く。
びりびりと、木も空気全体も、大きな振動を伝えてくる。
どうにか。
距離を詰めなければ。
あれだけの衝撃だ。
逆に言えば、近距離で使うことは、自殺行為に思えた。
幸い、ここは広い庭で。
向こうは火をくわえて、どこにいるか丸分かりだが、こちらは障害物を利用することが出来る。
桃は。
木をいくつか経由して──茂みへと飛び込んだ。
そこで身を伏せると。
目が。
合った。
闇の中、爛々と輝く緑の双眸。
それは、桃をじっと見ている。
ああ。
桃は、そこに潜んでいる生き物が何であるかに気づいて、ほっとする。
そして。
はっとする。
ハチの耳も、ぴんと立った。
「ハチ!!!!!!」
この生き物を。
呼んだ人がいた。
建物の砕けた窓の中。
ハチは、茂みを飛び出した。
あっ!!
一歩遅れて。
桃も、ハチとは反対方向へと飛び出した。
※
ハチは、一目散に声の主へと駆けてゆく。
建物を迂回して表へ回ろうとするその動物と、反対の方向へと桃は飛び出した。
火が弧を描いて、ハチの走る音を追おうとする。
「……!!!」
千載一遇とは、まさにこのこと。
一瞬、男は見誤ったのだ。
山追の子の足は、怪我をしていても人よりも速く、駆ける音よりも遠いところで爆発が起きる。
その爆発が起きた時には。
彼女は、口元の火を斬り捨てていた。
その奥にある──頭部ごと。
男が両手に持っていた何かが落ちる音も気にせず、桃は踵を返す。
ハチを追った。
本来、彼女が向かう予定だった玄関の方へと。
ドォンと大きな音が、建物からも聞こえてくる。
それどころか、既に煙が出始めていた。
爆発のせいか、はたまた使用人の持っていた燭台が落ち、屋敷に火がついたのか。
いずれにせよ、このままではロジアの屋敷は火の海になる。
玄関先で。
ハチは、男の足に噛みついていた。
勇敢で素早いその生き物は、既に爆弾をぶつけられることのない距離で奮闘している。
それだけではない。
ハチに気を取られた男は。
桃の接近に気づくのが遅れた。
スパッ。
火は、切った。
しかし、男は大きく身体を引く。
手ごたえはあったが、浅い。
その足が、鋭くハチを蹴り飛ばす。
すぐに飛び起き、山追は戦う姿勢を取る。
桃も──追撃を入れるべく、足を踏み出した。